呼称「ジェンダークレーマー」の懸念点を無視させてくるジェンダークレーマーたち

以前のnoteにとんでもない量のスキ、サポート、シェアなどいただいて恐悦至極です、虚無の先と名乗らせていただいている者です。

今回は、当初「ジェンダークレーマー」という呼称が提唱されたときに筆者が抱いた懸念と、それに対する反論を考え、「ジェンダークレーマー」という呼称が彼らにふさわしいことを示していきたいと思います。

その前に「ジェンダークレーマー」という呼称の提唱者である天路めあさんのnoteをご覧になってない方はご覧ください。(天路さんのヘッダー画像の選択センスの良さが光ってますね…筆者にはない…)

(追記:2022年4月6日)神崎ゆきさんが手嶋海嶺さん、とつげき東北さん、はるかかなたさんと共に「ジェンダークレーマー」を定義しました。正しいと言い切ることは不可能ですが、いろいろな分野の学問を修められた方による定義ですので、隙が極限まで小さいものになっています。

(追記終了)

また、今回のnote中で登場する「以前のnote」とは何ぞやと思われる方もいらっしゃると思います。それは、こちらのnoteになります。手前味噌で恐縮ですが、幻集郎氏の調査からフェミニストの共感力の減少傾向を見つけたものになります。

ジェンダークレーマーと呼ぶことの懸念点

このあとこの懸念に反論しやすい形に微妙に加工をしてあります。

1:相手の言論を無視するためのレッテルになる

例えばですがフェミニストは反対意見を「ミソジニー」「性差別」「性搾取」とレッテルを張ることでその反対意見を無視します。これと同様にジェンダークレーマーと呼ぶことで「ジェンダークレーマーとの議論は無意味」と(それが嘘ではないのも具合が悪いのですが)無視することができます。そのような「反対意見の無視」のためのレッテルとして使えてしまうのは良くないだろうという考えがありました。

また、以前のnoteにて、フェミニストのTwitter上での勢力が落ちてきている点を指摘しました。また、逆にアンチジェンダークレーマー(と勝手にラベリングして申し訳ないです)のTwitterでの影響力の増大も観測しました。このような要因から近い将来に多数派になるであろうと考えられる勢力がレッテルを貼り、言論を無視する態度をとるのは戸定梨香さんをキャンセルし、その後の言論を無視した全国フェミニスト議員連盟の二の舞になるため、アンチジェンダークレーマーのイメージ戦略として良くないと考えました。

2:「クレーマー」という言葉にネガティブなニュアンスがある

「クレーマー」と聞いたときの思い浮かぶニュアンスはポジティブなものではないと思います。ジェンダークレーマーと呼称することで弱者に不名誉なあだ名をつけていじめる構図にならないかという疑念です。ここに関しては自分自身がいじめを受けたというトラウマがあるのでそれもこの懸念にあるのかもしれません。また、クレーマーであることに当事者以外からあまり異論が聞かれないので(自分が見る世界が偏っている可能性は十分高いので確実にそうだとは言えませんが)、この懸念点は無視してもいいのかもしれません。

3:わかりやすいがゆえに濫用されやすい

この「ジェンダークレーマー」という言葉、定義がわからなくとも使えちゃいます。それが「ジェンダークレーマー」という言葉が広がりを見せる要因にもなっていると考えられるのですが、濫用のされやすさという懸念点と隣り合わせになっています。

これの何が問題なのかというと懸念点1,2との組み合わせで懸念点になるものであり、ネガティブなニュアンスを持った相手の言論を無視するためのレッテルがとてつもなく使いやすく、わかりやすいものになった時に、多数派によって集団的に行われる暴力的な言論の拒絶にならないのかという心配です。わかりにくいですねぇ…言い方を変えましょうか…あだ名をつけて無視する「いじめ」のような状態をネットで(≒とてつもなく広範囲で)作り出すような状況になるのではないのか?という懸念です。

4:「ジェンダー」である必要がない

ジェンダークレーマーと呼ぶことでジェンダーに関する考えそのものが悪かのような書き方になってしまうかもしれません。また、「ジェンダークレーマー」と呼称せずに「荒らし」と呼べば十分な場合も特に下位のジェンダークレーマーだとあります。そのうえ、「ジェンダークレーマー」の呼称を使うことでフェミニストへの攻撃につなげたくない場合も往々にしてあるでしょう。言うなれば、フェミニストへの攻撃を避ける目的であれば「荒らし」と呼ぶなり英語で「トロール」と呼ぶなりすればいいという考えです。

どうしてジェンダークレーマーに"優しい"のか

ここまでの懸念点を見て、どうして筆者はここまでジェンダークレーマーに"優しい"のかと疑問に思う方がいるかと思います。理由はいくつかあります。

1:社会を誘導するため

まず一つ目は一般社会をジェンダークレーマー潰しに引き込むためです。やってることが実質的に荒らしやアンチに近いので、そういったものを嫌う感情に訴えかければ社会(というよりも「推し」を持つ多くの若者、ここに関しては後述)がジェンダークレーマー潰しに同意してもらえる可能性が高いです。が、その時にアンチジェンダークレーマーもジェンダークレーマーをつぶすためにと外道な行いをしていると社会に「どっちもどっち」と捉えられて味方に引き込めない可能性が出てきます。それを無くすためです。言うなれば、ジェンダークレーマーが利用し、今の社会で最強の道具である「被害者性」をこちらが利用するためです。

ゆえにアンチジェンダークレーマーが加害者であることがジェンダークレーマーが社会的に受け入れられるための考えられる限り唯一の可能性です。そしてジェンダークレーマー側もそれを理解してるのかは知りませんがこちらを怒らせる動きに変わっています。だったら怒らなければいいです。相手の望むことをしなければいいという話です。

2:ジェンダークレーマー本人に興味が無い

二つ目はジェンダークレーマーがジェンダークレームしなければそれ以上その人間に興味が無いという点があげられます。いや、ジェンダークレーム入れるような人間興味あります?マジで。絵を描くとか言って加工アプリ通したネットから拾った写真公開するような人間、興味あります?そんな興味ない人間に貴重な自分の時間を使いたくないです(だったら鬼滅の刃とコラボしてるモンストやりたい)。

そのうえ、ジェンダークレーマーの多くはフェミニストを名乗っていますが、フェミニストの求心力は筆者の以前のnoteを参照すると減少傾向にあります。表現の自由戦士としても高々斜陽勢力に構っていられないのが現状です。

ゆえにジェンダークレームが無くなったらジェンダークレーマーだった人間は放置します。それ以上でもそれ以下でもないです。そういった「自分の世界からの排除」が"優しくて"、それをする自分が敵に情けをかけるやばいやつに見えるのであれば一回心療内科への受診を真面目におすすめします。SNSの攻撃性に毒されすぎているので。ちなみにこれ煽るとかじゃないですからね…まあそう思うのでしたらご勝手にどうぞと思いますが。

どのようにジェンダークレーマーは懸念点をぶち抜いたのか

ここからが本題です。ここまで慈悲深く聖人君子のような筆者(ここまでの記述でもう違うだろというツッコミが見える見える)が抱いた懸念についての反論を述べていきます。

1:ジェンダークレーマーは荒らしである

「荒らし」を定義できずに使うのも良くないとは思うのですが、最近ジェンダークレーマーは特定の絵師に粘着し、幾度にもわたって誹謗中傷を書き込んでいます。これは俗に言うところの「粘着荒らし」というべきものであり、その粘着された絵師さんに対して相当心理的なプレッシャーを与えています。

これに対して絵師さんが取れる行動は無視かブロックぐらいしかないのですが、そこにジェンダーという要素が加わるとぱっと見その荒らし行為に正当性が出てしまいます。ですので、相手が絵師に対する「ジェンダー」という方法でこちらに無視をさせないのであればこちらはその行動を「ジェンダークレーマー」とし、無視してもよいというレッテルを作り、使用してもらうことで、絵師さんを含むクリエイターを守るべきです。

2:わかりやすいからこそクリエイターも知りやすい

たとえどれだけ優れたレッテルであろうと知らなければクリエイターさんも使いようがありません。ですが、今、「ジェンダークレーマー」という言葉は確実に広がりを見せています。

参照日2022/2/17 from https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC&since=1642518000&until=1645023600&gm=m&samplingRate=100

こちらはYahooのリアルタイム検索で「ジェンダークレーマー」という言葉のツイート数を2022年2月17日までの30日間調べたものになります。自分が前回のnoteを上げた2月5日付近から急増しています(ただの偶然ですし絶対に無関係ですが)。多分原因は1.7万いいねを獲得している(2022年2月18日現在)神崎ゆきさんのこのツイートだと思います。

(そのせいで言葉の広がりが指数関数的増加のパターンから外れてしまったので正直なところ解析する自分としては増加傾向にあると言えるとはいえ微妙に具合が悪いのですが、ジェンダークレーマーという言葉の広がりに大きく貢献されたので文句はないです)

また、このYahooのリアルタイム検索だとその言葉の感情の割合がわかるので、少し検索結果一覧を見てみました。ジェンダークレーマーに対しての嫌悪を綴ったツイートがネガティブな感情に割り振られ、また、逆に、「ジェンダークレーマー」という呼称に対してのポジティブな反応がポジティブな反応に割り振られているようなツイートの割合という印象でした。(ここに関しては印象なので細かな計測をしていません。悪しからず。)

このように「ジェンダークレーマー」という言葉の使用数に増加が見られる現状です(厳密に言うと使う人間が広がっているかを調べるにはほかの手法を取り入れる必要がありますが)、クリエイターが知りうる可能性は十分にあるかと考えられます。(もっとも、ジェンダークレーマー呼称を広めるためにこのnoteを書いているわけでもありますが…)

3:「クレーマー」と「荒らし」という言葉を細分化する必要がある

現状、「クレーマー」という言葉では、あまりにもカバーできる範囲が広すぎます。ゆえに、ジェンダーという接頭語をつけることによって「クレーマー」という言葉をより限定的にすることでジェンダーに対してのクレーム行為をピンポイントで非難することができます。「ハラスメント」という言葉ではあまり浸透しなかったものが、性的を意味する「セクシャル」を接頭語にしたセクシャルハラスメント(セクハラ)や権力を意味する「パワー」を接頭語にしたパワーハラスメント(パワハラ)とすることで浸透し、多くの方に使われるようになりました。それと同様の動きが「ジェンダークレーマー」という呼称によって「クレーマー」においても始まるのではないのでしょうか。

そして、これは「荒らし」にも同様に適用できます。ネットスラングとして使われていた「荒らし」ではどうしてもそのように誰かをラベリングすることに抵抗があります(「ツイフェミ」という言葉でラベリングすることへの抵抗感と同様のものであるとこれは考えられます)。あくまでそれがスラングとしてではない、すなわち簡単に使える悪口としてではない使い方を求める言葉として「ジェンダークレーマー」という呼称が必要ではないのでしょうか。

ここまで懸念点を消してもなお残る懸念点

ここまで懸念点をつぶしたりポジティブに見方を変えたりすることで「ジェンダークレーマー」という呼称の良さを見てきたのですが、それでも懸念点は残ります。濫用の可能性です。どうしても雑に「ジェンダークレーマー」というレッテルを貼って正当な批判を無視する可能性が出てくるのではないか…という不安が取れません。が、それは自分が無視しなければいい。また、それを無視しない人が増えればいいという考えで解消できます。幸い(というと微妙ですが)表現の自由戦士の多くは議論を多く行ってきました。この議論を行うという姿勢は尊敬に値するものであると考えます。その議論を続けるということはあまり難しいものではないかと考えられます。

ついでに懸念点とは少し違うとはいえここしか機会無いので書きますが「アンチジェンダークレーマー」という呼称は自分自身をアンチ~で定義したくないのであんまり好きではないです。

提案:アンチジェンダークレーマーの新たな呼称

アンチジェンダークレーマーという呼称は嫌ですが表現の自由戦士と言うと少し違う、だからと言ってクリエイターを守りたい自分たちを総称できる呼称が無いのは結構鬱陶しいものがあります。だったら作ればいいです。なので、ガーディアンズ・オブ・クリエイターズ(Guardians of Creators: GoC)の呼称を提言します(ズを抜いたほうが読みやすいかもしれませんが、英語を学んだ身としてはズを抜くと気持ち悪くなってしまう…)。ただ、これも名前が長い!どうすれば短く作れるんでしょうかねぇ…

GoCはアンチジェンダークレーマー(AGC)と同様のものであり、その名の通りクリエイターをジェンダークレームに限らない誹謗中傷全般から守るために動く人たちの呼称です。基本的にはアンチジェンダークレーマーとして天路さんがやりたいことと大きく異なるわけではないです。多分最初することはブロックリストの作成になると思われます。

ただ、ジェンダークレーマーと比較しての「荒らし」の厄介な点は、ジェンダークレーマーほど階級構造が明らかになっていないという点にあります。なので攻撃のためのマーキングをするマーカーとでも言うべきもの(ジェンダークレーマーの「いつメン」と言われる存在に相当するもの)が分かりません。そのため、ジェンダークレーマーとは違い(フェミニストと言う簡単な印もない点も相まって)、やりづらいものになると思います。

ブロックリストの意義

「ブロックをすることや鍵アカウントでの運用をすることで分断されたインターネット言論空間は他人への陰口的な個人攻撃が容易になり、不健全である。」
という意見があります。これに対して異論はないです。それどころか筆者自身も見えないところで陰口を書かれ、共有されるいじめを学生時代に受けたこともあります。また、政治家のTwitterの引用リツイート欄やその政治家の名前で検索をかけると、ブロックされたことへの恨みつらみが書かれていることもあります。確かに、政治家は公益性がある以上ブロックは一般人のものとは違う運用が求められるのかもしれません。ただ、それらのような意見によって一般人がブロックをすることや、鍵垢運用をすることへのハードルが必要以上に上がっているのではないのでしょうか?

もし、何かを見ることで傷つくのであれば、それを見ない行動をとることは許されるはずです。それは誹謗中傷を見ないことにも当てはまるのではないのでしょうか?また、自分が傷つくかどうかは自分にしかわかりません。だからこそ、ブロックという引き金を自分が握ることには意義があります。

また、ブロックをしたところで、自分の返信欄をブロックした相手が使えなくなる以外は相手の表現の自由を侵害している(ここにおいては相手の表現の場を奪うことを「表現の自由の侵害」とします)とは言えません。(引用リツイートやスクショツイートはできるはずなのでもし何かを書きたいのであればそれらを利用するのは手ですが、ツイートが見られないので別アカウントを用意するなりログアウトしないといけないという具合の悪さはあると思います)

推しを持った若者について

どうして推しを持った若者を反ジェンダークレームの運動に引き込める勝算があるのか?という疑問があると思います。簡単です。ジェンダークレーマーを放置し、好き勝手に推しを荒らさせた場合に、次に燃やされるものが自分の推しである可能性を誰が否定できますか?また、他人の推しは、自分の推しが自分にとってそうであるように、その人にとっては尊い存在です。それがたとえ他人の推しであったとしても、いわれのない理由で簡単につぶす活動を許すわけにはいきません。そして、その推しの多様性を尊重する価値観を現代の若者は持っています。

このような「推し」を基にする今の文化に対してジェンダークレーマーは土足で踏みにじっている状況です。自分の推し、もしくは他人の推しを自身の思想の求心力の低下とか言うくだらない理由で簡単に消し去ろうとする人たちを信じることはできません。

筆者自身、そういった若い皆さんを代表するほどの者とは自負できないですが、色々な推しの存在を否定しない者の一人として、推しの存在を否定するものを否定します。

もしよろしければ、スキ、拡散への協力、Twitterへのフォロー、コメントなど、よろしくお願いいたします。

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