イノベーションで障がいを超えていく
日本を代表するタイヤメーカーの特例子会社として、障がい者雇用の促進に奮起するブリヂストンチャレンジド株式会社。その代表取締役社長 中根氏が実現した障がいを持つ社員(以降、チャレンジド社員)への挑戦的な業務。そのチャレンジド社員がなぜ親会社の開発業務に参画できたのか。その事実に迫る。
タイヤ開発者から社会貢献へ
中根氏のキャリアは、株式会社ブリヂストンから始まった。タイヤの開発者として、日本国内トップシェアを誇るブリヂストンタイヤの開発や品質向上に尽力した。その後も労働組合での労働環境の整備を通じて、社員が働きやすい環境づくりに努めたり、社会貢献のためにアクティブアンドヘルシーライフスタイル(以降、AHL)を立ち上げたりと様々な分野で企業に貢献してきた。
例えば、AHLではブリヂストンの施設内にあるテニスコートを活用し、車いす体験会を実施。車いすテニスを通じて、シニアや障害を持つ人々など、閉じこもりがちな人たちが集まり、自分のペースで社会と関わるきっかけを提供した。また、自社の技術を活かし、車いすマラソンの選手が使用するグローブや、トライアスロン選手の義足用ゴムなど、スポーツ用具の開発にも取り組み、パラスポーツ業界に貢献した。
これらは全て、「シニアや障害を持つ人々、外国人、貧困家庭の子どもたち、そして子育て世代など、さまざまな困難に直面している人々が活き活きと暮らせる社会を実現する」という中根氏の取り組みである。
2021年3月、ブリヂストンチャレンジド株式会社の前任の社長が亡くなったことを受け、中根氏は同社の社長に就任。現在は、障害者雇用の促進や労働環境の整備に注力し、障害を持つ人々が安心して働ける職場づくりに力を入れている。タイヤ開発者としての経験と、AHLでの社会貢献活動を通じて培ったノウハウを活かし、誰もが働きやすい社会の実現を目指す。
ブリヂストンチャレンジドについて
2004年、東京都小平市で設立されたブリヂストンチャレンジド株式会社は、7人の知的障がいを持つ社員と共に、清掃業務からスタートした。その後、横浜、名古屋、京橋といった都市部だけでなく、那須や甘木などの地方へも拠点を拡大し、全国9箇所に拠点を構える。現在では約300名の規模へと成長し、社員の9割が知的障害を持つ特例子会社として、障がいを持つ社員が働きやすい環境整備に尽力してきた。
ブリヂストンチャレンジドでは、大きく目標は2つの目標を掲げている。1つ目は、チャレンジド社員に「働きがいのある仕事」を提供し、社会課題の解決に寄与すること。これは、彼らが社会との繋がりを感じ、誇りを持って働ける場を作ることに他ならない。2つ目は、ブリヂストングループ全体の企業価値を高め、持続可能な社会の実現に貢献することだ。
この目標を達成するため、チャレンジド社員が自分の目標に向かって成長できる環境を整え、「どう生きたいか」という思いを支援している。同時に、社員の「Well-being(心身の健康と幸福)」を重視し、心の健康を保ちながら自分らしく働ける職場づくりに注力し、自己実現と社会貢献の両立を目指している。
級制度で育むプロフェッショナル意識
ブリヂストンチャレンジドは、雇用機会の提供にとどまらず、チャレンジド社員の成長環境の構築にも力を入れている。その一環として導入しているのがチャレンジド社員の級制度だ。チャレンジドは入社時に3級からスタートし、基本業務やセルフマネジメントといった社員として必要なスキルを身につける。
2級に昇格すると、業務の難易度もあがり、納期を意識して仕事に取り組むことが求められる。1級では、チャレンジド社員のマネジメントや育成、スケジュール調整やクレーム対応など、障害を持たない社員と変わらないレベルの業務を担当するようになる。
昇格の判断基準には、日々の業務や仕事に対する姿勢などがあるが、その中でも危険予知が上手くできるかどうかは重要な指標となる。危険予知ができないと精神的・身体的な限界を自分で気付けないため、仕事を継続できなくなってしまう。しかし、取り組みを続けていく中で、危険予知もトレーニングによってできるようになることが分かり、教育制度として危険予知トレーニングを導入している。
この級制度は、障がいの有無に関わらず、チャレンジド社員が1人のプロフェッショナルとしてキャリアを築いていくための重要なものとなっている。
第3創業期の新たなステージへ
2024年、ブリヂストンチャレンジドは「第3創業期」として新たな段階に突入。これまでの事業に加え、親会社であるブリヂストンの本業の開発にも積極的に関わっていく。具体的には、ゴムの耐久試験用サンプルの準備や材料の評価をチャレンジド社員が担当するというもので、開発者の簡易作業への負担を軽減し、彼らがより高度な業務に集中できるような体制を実現した。
また、本業参画を通じて、チャレンジド社員は「企業の成長に貢献している」という自覚と誇りを強く感じている。そもそも彼らが本業に参画できるようになったのは、開発の工程にある。製造の過程ではなく、チャレンジド社員がどのように開発に関わるかを軸に開発工程を組み立てたことで、開発業務への参画を実現している。
さらに、作業環境の改善にも取り組み、社員一人ひとりに合った道具を3Dプリンターで作成し、作業の質と効率を向上させた。これにより、高品質を保ちつつ作業のスピードも向上した。様々な工夫を通じて、チャレンジド社員は自分たちの役割を実感しながら、日々成長できる環境を作り出している。
こうした取り組みは、障害者が自らの力で社会に貢献し、誇りを持って働ける職場を実現するための重要な一歩だ。
障がいを超ていく
障害のある人と障害のない人が、お互いにどう接していいか分からず、距離が生まれてしまうケースは多い。障害のある人にとって、障害のない人はどこか怖い存在に感じられ、逆に障害のない人はどう接したらいいのか分からず、身構えてしまう。ブリヂストンチャレンジドは、この壁を壊し、境目をなくすための取り組みを続けている。もっとお互いの接点を増やし、日常的に関わる機会を作ることで、相手がどう感じているのか、どういった場面で困るのかが自然に分かるようになる。
この課題を象徴するエピソードが、「塩飴事件」だ。総務課で働くチャレンジド社員が、外で働いていた頃に夏場に塩飴を配られていた経験から、デスクワークに変わった現在も同じように塩飴を要求した。総務課の社員たちは、その理由を尋ねる前に、必要以上に気を使ってしまい、どう対応すべきか悩んでしまった。しかし、実際に話を聞いてみると、外仕事をしていない現状では塩飴は必要ないという結論に至った。このエピソードは、障害を持つ人への配慮が時に過剰になり、普通の同僚として接することの難しさを浮き彫りにした。
障害のある人とない人が、互いに気を遣いすぎず、普通に接し合うことができる社会。その実現に向け、ブリヂストンチャレンジドは、日々新たな挑戦を続けている。
チャレンジド社員:小浦氏
小浦氏は2010年にブリヂストンチャレンジド株式会社に入社した。最初の10年間は清掃業務に従事し、11年目からはシュレッダーやメールの仕分け作業を担当する。その後、京橋拠点へ転勤することになるが、すんなり快諾した。チャレンジド社員は、変化を拒む傾向にあるため、転勤を望まない人も多い。その中でも、小浦氏は転勤に応じたのだ。
京橋での勤務は、毎朝4時半に起床し、早い時間に出社するという厳しい日々だったが、小浦氏はその生活リズムに順応し、4年間にわたりメールの仕分け業務を担当した。業務の中には困難なものもあったが、仲間との密なコミュニケーションを通じて、正確かつ効率的に作業を進めることができた。特に、荷物や書類が紛失した際には、チーム全体で協力しながら問題を解決できたことに、大きなやりがいを感じたという。
また、小浦氏は現在、2級社員への昇格を目指して奮起している。昇級には、実務をこなすだけでなく、業務内容を他の社員に正確に説明するスキルが求められる。業務説明文を覚える作業は一見単純に思えるが、実際には多くの練習と集中力を要する難しい課題だ。
2級に昇格することで、教育担当として他の社員を支える役割を担うことが可能になる。そのため、小浦氏はこれまでの経験を活かしながら、新たなステージへの準備を進めている。彼の目標は、チームと共に働き、リーダーシップを発揮することにあり、これからもその意志を持って会社に貢献していくことだ。
ライター情報
氏名:須藤覚斗(スドウガクト)
所属:立教大学4年
経歴:大学2年の時にメディア系インターンでの活動をスタート。これまでに200近くの経営者や政治家などに取材を実施。傍で日本スタートアップ支援協会の事務局やScheem-Dのピッチコンテストなどに参画。現在は、学生団体Uni-Futuresの共同代表として、Webメディアの制作やイベントの企画運営などを行なっている。
SNS:𝕏 (Twitter) / Instagram / Facebook