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夢の輪郭

『シラノ・ド・ベルジュラック』楽屋にて

はじめまして、福原冠と申します。
役者をやっています。

今月から月に一度、「わたしと演劇とその周辺」について書かせていただくことになりました。
演劇や創作や準備、上演の中で浮かび上がったことをなるべく消えないうちに書き留めておこうと思います。

第一回目は演劇との出会いについて。

自分が演劇に出会ったのは16歳、高校2年のおそらく春だったと思います。「俺の教え子が劇団やってるから今日はそれを見にいくぞ、これも授業の一環だから」と現代文の松下先生に連れられて行ったのが最初の観劇体験でした。
授業が潰れるからラッキーぐらいにしか思っていなかった自分たちが辿り着いたのは神奈川県は大船にある鎌倉芸術館。

舞台は幕末、坂本龍馬の獅子奮迅が描かれた作品だったと記憶しています。しかしニュースクールハードコアとルナシーが全てだった当時の自分には、日本の歴史も開国するしないの問答もピンと来ず。
前から2列目の席だったこともあり、首痛いとか思いながら舞台上で行われていることを眺めていました。
今思うとあまりよろしくない態度だったと思います。

「歴史ものなのだから、物語はほんとにあったことなのかもしれない。
それでも舞台上にあるものは全てが嘘だ、刀だって黒船だって江戸の街だって全てが嘘。」
漫然と舞台で行われていることを眺めながら自分はこんなことを考えていました。

舞台は終盤、坂本龍馬は嘘の夕陽を背に客席しかないはずの太平洋を指差しながら大きな声で叫びます。
唾を飛ばし、滝のように汗をかきながら。
そして目には溢れんばかりの涙を浮かべながら。
そこには何もないはずなのに。

演じている人の方が演じてない自分より生々しく存在している。
それは「衝撃を受けた」でも「稲妻に当たった」でもなく、「目が覚めた」が一番近い感覚でした。
あの時の役者さんの迸るエネルギー、座っていた椅子の感触、劇場を出たときの青空も鮮明に覚えています。
「舞台上の人の方が生きていた、あれはなんだったんだ」なんて感想を友達に共有できぬまま、モヤモヤしたまま残りの授業を受けたことも。

恩師からそれが芸術鑑賞会だったということ、そして後にも先にも演劇を見たのはあの年だけだったことを告げられ、(大袈裟かもですが)人生の進路がぐっと決まった人がここにいますよというような、(更に大袈裟かもですが)小惑星がぶつかって今があるんですねという的確じゃない例えの一つも言いたくなるような妙な面持ちになったのは2021年の春でした。

あれから20年、ずっと演劇にのめり込んでいる。
果たして自分はあのとき眠りから覚めたのか、それとも未だ覚めない夢の中なのか。

劇場でのリハーサルの合間に、客席の2列目に座りながら時々あの時のことを思い出そうとしてみることがあります。
その感触は夢の輪郭をなぞるようでもあります。



福原冠の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me96780b246d6


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note「わたしと演劇とその周辺」
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