見出し画像

海のどこか、立ち寄るところ

1999年、高校1年の夏に、windows98が届いた。ダイヤルアップでネットサーフィン。個人の趣味のHPに、適当にHNを決めてbbsに書き込みして、知らない人と初めてchatなんかして。箱のなかに世界が収まりながら広がっている。学校と部活と塾と、自分の住んでいるところだけで生きていたのが、よくわからないけどそうじゃなくなったらしい。

ちなみに、同じ年に携帯も持った。電話するとお金がかかるからって、ワンギリばかりしていた気がする。あの、隣に居て肩をツンツンとつつくみたいな、それだけのなんでもない存在確認の文化はしかし、今思うととても微笑ましく、好ましいものだったように映る。

大学で東京に出てきた。自分の家がただの部屋で、一人の食事が静かすぎて、興味もないのにナイターをつけたりしていた。やはり電話もメールもあまりしなかったように思う。こうなってくると単に、積極的にコミュニケーションを取ろうとすることが得意じゃなかったということなのかもしれない。

SNSもあまり得意ではなかったのだと思う。初めてそれに触れたのはGREEだったけれど、何をすれば良いのか、よく分からなかった。mixiやblogなんかも、当時どんなふうに使っていたか、もう正確には思い起こせない。10代とか20代の頃にInstagramが入ってきていたら、楽しかったのだろうなと思う。きっとTikTokも。でもそう思うってことは多分、mixiだって使っていた当時は楽しかったのだろうな。いまはときどきFacebookを覗くくらいで、個人的にはTwitterもほとんど使わなくなった。いつからか僕はSNSで発信するほとんどが、芝居の宣伝になっていったような気がする。

20代から30代前半にかけては、劇団に所属していたり、ほかに常連で出演する劇団があったりもした。そのときどきのメンバーとは、公演があって稽古があってというなかで、飲みに行ったり沢山の話をしたり、多くの時間をともに過ごした。劇団や公演で一緒だった人たちは、戦友と呼ぶような感覚に近い。それは、どこか根を張るというようなあり方ではなく、しかし明らかに濃密な関わり合いのなかにあるものだった。まるで演劇をするってこと自体がそのまま、コミュニティであったかのようだ。公演が終わったら解散する、数ヶ月だけの共同体。

僕が東京での生活のなかで一番長く居続けた場所は、バイト先だった。20年近く続けたそのバイト先は、飲食店の路面店で、仕事仲間や常連さん、ご近所さんとの付き合いなど、そのお店という場に根ざした関係が生まれていくものだった。それはさっぱりとしたもので、深くはないが温かみを感じるものだったように思う。いざとなれば会える人がいて飯を食わせてくれる場所が近くにあるというのは、精神的にも身体的にも大きな支えになる。拠り所とも言えるし、あるいはパッシブスキルなんて呼んでも良いのかもしれない。それは元々ある場所であると同時に、獲得できるものでもあるのだから。

たぶんネットコミュニティも、そういうような場所になり得るのだと思う。もちろん今すでにそうなっている人も多いのだろうし、これからさらに加速するのかもしれない。Web3.0、メタバース、NFT、仮想通貨、DAO。きっと僕は、いまwebを利用しているように、それらを利用するようになるだろう。ただ僕には、場の現実性というか、実際性というか、そんなようなものが必要で、だからそれに没入することはないように思う。でも、テクノロジーの革新はいつもとても楽しみで、特に実際の場との身体的なつながりが強くなるだろうARやMRには、すごくワクワクしている。

さて、このnoteはどういう場なのだろう。僕はいまこれを書きながら、なぜかその問いに対して、「水汲み場を映す固定カメラのようなもの」というイメージが湧いてきている。コミュニティの一部を眺めるものではあっても、コミュニティ自体ではない。間にあるものでしかない。もちろん、「その人がどんな活動や生活をしているのか。また、そこから何を感じ、何を考えているのか」が見えるような、そんなものであることができたのなら、それはこのnoteの目指すところとして間違っていない。しかしやはりこれ自体は、コミュニティと呼ぶようなものではないのだと感じている。僕はコミュニティってものを、「継続して同じ場所を共有する人たちの集まりであり、その場所というのは、実際の場所である」と思っているようだ。

あのバイト先には、今もときどき顔を出す。なんとなく近況を話したりして、お好み焼きを食べる。とても美味しい広島風のお好み焼き屋だ。もちろん当時ほど濃いリンクはない。けれど僕にとってそこは、確かにつながりのあるコミュニティの1つだと、ここまで書いてくるなかで感じられてきた。そう考えると、僕にはいくつかのコミュニティがあるように思う。例えば地元の友だちのお店とかがそうだし、あるいは実家の食卓なんかもそう呼べるのかもしれない。場所があり人がいる。コミュニティを、属すのでなく、立ち寄るものとして捉えてみる。根無し草のようで、水のようでもある者にとって、そのように捉えることは、なかなか穏当な解釈なんじゃないだろうか。

大海を一艘の小舟で漕ぎ進むような頼りなさはある。周りには多くの人がいて、それぞれの舟を思い思いに操っている。ときどきで様々な縁を結び、それを固く握ったり細く続けたり、ときに離したりもしながら。そんななかを僕は、立ち寄れる場所を作りつつ、ゆるやかに渡っていきたいと思うし、でも同時に、やはり幹になるものを持てたら良いなとも思う。場所のつながりと、人とのつながりと。どのように育てながら、この球状の世界を生きていこうか。



企画の紹介や干城の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/maca6d8d671c9


いいなと思ったら応援しよう!

note「わたしと演劇とその周辺」
読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。