あかね噺-過去編からの展開予想
満を持しての過去編
志ぐまが倒れてからの急展開、過去編と思いもかけない展開になってきた「あかね噺」ですが、作者サイドとしては最初からこうするつもりだったんだろうなと思います。
現代キャラと過去キャラのデザインの相違
あかね噺の大御所キャラは年によらないデザイン的特徴を持っています。特にわかりやすいのが眉の形ですね。
一生の眉毛 ■__||__■ とか柏家三禄 ⚡とか
三明亭 円相なんかはもう頭が□ですからわかりやすいでうしょね。
これは最初から過去編をやるときにキャラクタの判別がつけやすいように意図的にデザインされていると思ってます。これに比べると、現代のキャラはそこまで特徴的なデザインはしてません。柏家禄郎とか年を取ってどうなるという想定がないと思います。
一生のことは一生に語ってもらうしかない
あかねの前座修業が終わって、この後、あかねはどこに向かうべきなのか。志ぐまが倒れた今、自身が何の思い入れもない「志ぐまの芸」を継ぐというのはあまりにもモチベーションが上がりません。明確な方向性がないとこの後の物語は説得力を持ちません。
あかねは主人公らしく自分の方向性は自分でつかみ取るキャラでもあり、相手の言うことをきちんと理解して進む性格でもあります。
ならば、ここで過去のいきさつと、自分の進む道を定義づける必要があります。
とはいうものの、ラスボス一生も思わせぶりなことをいうものの、その真意はほとんどわかりません。過去編になってから、驚いたのが、一生のモノローグが多く、前作主人公のような位置づけになっている点です。謎に包まれた経緯を説得力もって語るためには、確かに一生自身の言葉で語るしかないでしょう。
また、いままで一生の高座は書かれたことはありません。「倫理は感動に勝てない」「あれを認められないのは落語家としてダサい」という間接的な言葉からものすごかったんだろうな…ということだけは伝わってきます。
過去編は独演会での「時そば」で締められるのでは
過去編数話で、「蕎麦」を軸に話が進んできました。落語家になる前は蕎麦屋で働き、落語に導いたのは「時そば」、そして芸名は「生そば」
一生が何を語るにせよ、あかねが一生を後見人として納得するためには、一生が過去と未来をどう繋ぐのか?繋ぎたいのか?が示されるべきです。
となると、この過去編は一生がその意図と実力を見せる瞬間が必要です。
しかしこれから突然現代に戻って一生の高座をやるタイミングもないでしょう。
あかね噺の一話は、まだ落語家ではなかったあかねが阿良川一生独演会から出てくるシーンで締めくくられています。なので、この過去編は第一話の阿良川一生独演会での「時そば」で締めくくられるのではないでしょうか。
そして、そこがあかね噺の第二章の第一話になるのでは…と思います。
ここまで仕込んで1話を作ったと思うと何とも長いパスです。無事に人気も出て、連載も続き、ようやくここまで長い長いパスが通じるようになったとしたら…すごい演出になりますね!