楠木正成

活私開公

先日、面白い考え方に出会いました。

私を滅し公に奉ずることを美徳とするのが日本の慣習です。

滅私奉公という言葉は時代によって意味が少しづつ変わってきました。武家社会において、「公」とは主君のことであり、「奉公人は一向に主人を大切に歎く迄也」という生き方が良しとされました。明治の近代化のなかで、「公」は天皇となり、戦後高度経済成長期の「公」は会社でした。

今の時代に起きていることは、その「公」の存在が小さくなってきているというものです。

意味に生きるのが私たちミレニアム世代だと言われて久しいですが、では根本的に価値観が変わったのかと言えば決してそうではないと考えます。昔から、「公」に尽くすことに先人たちは意味を感じてきたのではないでしょうか。そして、今の私たちにとってこれまで「公」とされた存在であった会社、あるいは国家が大きなものではなくなったことにより、それに尽くすことに意味を見出しにくくなっているのではないかと思います。

この現象に、私たち日本人はおそらく終戦直後にも直面していたのではないでしょうか。


有名な写真ですが、それまで絶対的な存在であると信じられてきた天皇陛下が大使館でマッカーサー元帥と並んで立っている姿を見たとき、日本国民は「公」に対する意味の再考を行ったのではないかと思います。そして、意味を与えるべく新しい「公」を生み出したのは焼け跡から生まれた本田技研でありソニーであり、すなわち起業家たちでした。

先日、面白い考え方に出会いました。

それは、これからは私を滅し公に奉ずる「滅私奉公」ではなく、私を活かし公を開く「活私開公」の時代であるというものです。

しかし歴史を省みたとき、「公」とは常に不変のものではなく、いくつかその過渡期が現れてきました。おそらく戦後まもなくの「公」の過渡期に先人たち一人ひとりが取り組んできたことはまさに「活私開公」であったのではないでしょうか。

意味を求め、活私開公を担う私たち世代こそ、滅私奉公の対象となる「公」を築いた先人たちから学ぶことはまだまだ無限にあるのではないかと考えた夏の思い出でした。

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