侍は、事に向かって刀を振る
サムライは犯人を捜し出し、そして必殺の一撃を加えようと刀を振りあげた。ところが、犯人は詫びを入れるどころか、サムライの顔につばを吐きかけた。するとサムライは刀を収めて身をひるがえし、歩き去った。
これはデイル・ドーテンの名著『仕事は楽しいかね?』の一節、仇討ちの比喩です。
サムライは主君の仇討ちという大義のため振るおうとした一撃に、つばを吐きかけられたという個人的な怒りが混ざってしまうことで刀を収めたのでした。
ちょうどDeNAのトークイベントで同社の有名なカルチャー「コトに向かう」の意味や具体的な事例について、これに通じる話をされていました。
しばしば自分のプライドを守るために相手を議論で破って意見を通そうとしてしまいますが、それは意見が採用されたという個人的な喜びを得ようとしているに過ぎません。どこか「評価される体質」から抜け出せなくなっている状態です。
良い点を取ってよしよしと評価される喜びよりもお客様に価値を届けた時の喜びの方が大きいが、この喜びは経験できないとわからないようです。
「評価」を追いかけるのではなく、自分が届けるものを追わないといけません。すなわち、与えられる宿題や出題範囲の決まっている試験の枠に閉じた考えから出ないといけません。
サムライのエピソードに話を戻すと、刀は常に届けるもの、すなわちコトに向かって振るわれるべきであり、評価を得るためや自分の怒りを解消するために振るってはいけません。
「何のためにそれをするのか、コトのためにしようとしているか?」
この問を忘れないサムライビジネスパーソンでありたいと思います。