喜
喜び はマイナスの感情ではなかろうか。
煙草を吸う。
口の中に広がる煙の味。それが肺に行き届き イガついた喉道と鼻腔から溢れる残り香が絡み合う。それを見つめる さらば愛しの副流煙。転がるしけもく。
ただこれは喜びではない。
どちらかと言うと楽。
その後に吸う普通の空気の美味さ。
これが喜びじゃないだろうか。
ゴーゴーカレーを食べる。
金沢カレー独特のくどさ。一度ハマると衝動的に求めてしまうあの濃厚。調子が良ければ飛び入りする生卵と納豆。店内に流れるBGMのリマインドも血となり肉となりルーとソースの混ざりが狂おしい。
ただこれは喜びでは無い。
どちらかと言うと怒り。
その後飲む一杯の水がまぁ美味い。
これが喜びではないだろうか。
こち亀的なアニメを観る。
毎度お馴染みの展開。金儲けが序盤には上手く行くが後半雲行きが怪しくなり最終的にはてんてこ舞い。てんやわんやの大騒ぎとツッコミ役的なポジションのやれやれ感。それで確認する曜日感覚。
ただこれは喜びでは無い。
どちらかと言うと哀しみ。
最後黒い画面に丸窓で顔だけ出して「とほほ〜」
これが喜びではないだろうか。
デーモン小暮閣下の10万飛んだあとの実年齢めいた数字の部分。
これが喜びではないだろうか。
閣下が年齢を聞かれてから10万飛ぶまで待っている間の時間 これはなんの感情かはわからない。
今列挙した喜びたちはスイカにかけた塩理論。
際立たせるための振り幅が甘美なのである。
それを落差と呼ぶならば喜びはむしろ到達点からの垂直なマイナス感情ではなかろうか。
その追求自体は大人の嗜み。
水風呂に肩まで浸かれる程サウナに入らないと。
喜びと言う快楽を求めるあまりにインスタントの多様はむしろ感度を下げる。
石田純一は実際「不倫は文化だ」とは言ってない。
それがどうした。
例え間違えた。
たは〜
以上です。
だっふんだ