半分青いが少しずつ灰色になって

昨年の今ぐらいの時期に、左耳が突発性難聴になった。

右耳は小学生で分かった時には失聴していた私は、片耳で聴くことが普通だったけど、すごく不便だった。

朝ドラの半分青いを観た人は知ってるかもだけど、片耳聴こえないと声の方向が分からなかったり、後ろからの気配が分からなかったり、本当にザワザワした中で聴こえない方に座って話されると全く分からない。普通の会話も自分には聴こえにくいから、自然と自分の声が大きくなる。

そんな私が突発性難聴って言われた時には正直、本当に目の前が真っ暗になった。

Dr.も正直、投薬で良くなるかはっきり言わないし、もう本当にググるだけググッた。悲観的なデータ、楽観的なデータどれを信じていいかなんて全く分からなかったし、投薬の日数が進めば進むほど不安しかなかった。

結局、投薬はあまり効果は見られず、ステロイド注射か、高酸素療法かの選択になった時に、Dr.は初めて確率の話をした。
どちらも効果が出るかは同じくらい、良くならない(変わらない)可能性が半分くらい。

そう改めて言われたって、もう受け止め切れないよね。一人暮らしだったから、恐怖しかなかった。私、耳が両方聴こえなくなるかもしれない。そうなったらどう生きていこう。

朝起きて音がない世界を想像する日がくるなんて思ってもみなかった。

帰り道すごく泣いたの覚えてる。ってか家に帰るのが怖くて、近くの公園で座り込んで不安だった。
その時はどうしたらいいか分からなくて支援機関に電話した。すごく泣いてたのと、この電話が大事な人の声を聴く最後になったらどうしようってずっと不安しかなかった。

その時に、支援員さんが私にかけてくれた言葉を今でも覚えてる。

「やれる治療して、ダメだって感じたら病院を変えるって方法もあるんだよ

耳鼻科はひとつじゃないよ

とりあえず、今日すぐに答え出さんでいっちゃない?

今、外でしょ?そこで過呼吸なったら大変!
落ち着いて無事に家へ帰って、それからゆっくり考えて」

その言葉本当に有難かったよ。

でも、結局、ステロイドでも聴力は思うほど戻らなかった…やっぱり落ち込んだ。

私は音楽が大好きで、歌が好きで…合唱団が私の居場所で…
辛い時も頑張れたのは帰る度に皆が迎えてくれたから。
だから、それができなくなるって思ったら、自分の居場所がなくなる気がした。

昨年の夏のコンクール…私は最後になるかもって思ってた。耳が聴こえにくい私がいたらいけないって思ってた。だから、最後かもしれないって思って歌ってた。

補聴器無しでは音は聞き辛い中、ステージで歌った。
みんなと過ごせる最後かもしれないって思いながら全力を尽くした。

それから約1年…

最近は低音域が聴こえにくくなって、だんだん耳鳴りも大きくなって、補聴器の音量も大きくなっている。

でも有難いことに仲間のおかげで歌い続けられている

まだ聴力が落ちる時がくるかもしれないけど…

それはすごく怖いけど…

でも、いつか耳の治療法もできると信じてる。

それまではちょっとずつ灰色の世界で青を探しながら生きていく。

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