人間関係について思うこと
「ママ友」という単語のイメージの悪さよ…
子どもを持って、誰もが初めてのことだらけなので
情報共有する相手が必要、
単に話す相手が必要、孤独をまぎらわす存在が必要、
などなど色んな理由がありママ友付き合いがスタートする。
新米ママだったわたしは、完全なるキョロ充でした。キョロ充とはキョロキョロしてどうにか輪に入れてもらいどうにかリア充を装うことです笑。子どものためにもママ友関係でリア充にならねばと思っていた。しょうもない理由。
色んな話を聞いたり合わせたり、隙あらば笑いをとりたかったり(勝手にすべって自爆)。
そんなんで疲れ果てながら築き上げた関係は脆いので、引越しとともに全て消滅しました。
二人目育児の、園でのコミュニティは少し慣れました。かなりフランクに接してくれるママさんたちが多く(この辺は完全に運が良かった)仲良くなれたひと多数。
おうちにあがったりあげたり、休みの日も遊ばせたり。という関係を築けました。
でもそのうちに関係を広げすぎたが故に色んな人間ドラマに遭遇することにもなった。
メンヘラ系ママに変に執着されて噂を流されたり、近くなりすぎてぶつかるママもいたり、無責任すぎる人もいれば、責任感の強さから役割などで意見衝突して喧嘩するママたちも見た。勝手に胃を痛めた。(なんでや)
そして全員ではないけれど、
ママたちは、いや成人女性は、なんといっても、悪口が得意な人が多い。
美味しいランチを前に不味い話をするけど、笑顔にのせることでぼやかす。
『決して悪口じゃないんだけどね〜』というテイで話す。ネガキャンする前後に保険をかける。ネガキャンとはネガティブキャンペーンの略。相手の欠点を他人にアピールしマイナスイメージを与えること。
そのネガキャンの前後ににこやかに保険を挟むのだ。
例えば
前置きver.『あの人も悪いひとではないんだけどね〜(このあと相手の気に入らない点を並べ立てる)』
後に付け足しver.『(散々相手のイメージを落とした後)とはいえ私は嫌いじゃないんだけどね』
疑問にして相手にネガキャンver.『あの人こんな格好で保育園に送ってきてたんだけど、あれ?働いて…るのか、な?(にっこり笑顔で)なんて思っちゃった』
ちょっと褒めてから落とすver.『あのお母さんいつもおしゃれよね、素敵〜。この間子どもが着てたものは(ふ、古着…かな??笑顔)て思ったりしたけどさ、あはは笑 』
おそらく一般的に、漫画みたいなドロッドロのマウントの取り合いはない。
さすがにそこまでわかりやすく悪口を言い合うのは、自分のイメージが悪くなるのでみんな避けたいのだ。明らかな性悪キャラにはなりたくはない。
でも、内にうずまいたドロドロしたもの(嫉妬、日常への不満、自分の課題に向き合えない葛藤)がある。その発散場所が必要なのだ。無自覚に欲している。
さらに、人の欠点を報告しておいてそれを許している「心の広い自分」もプロデュースしておくのだ。
地獄なのが、ここでこの保険つきネガキャン話を聞いている相手も、この席を立てば別のコミュニティでは、その人のネガキャンをするということ。
盛り上がれば普通に悪口になる。
わたしはこの空気感になじむ努力をすることに価値をみいだせなくなって、
3人目育児の段階で完全に離脱した。
そこで、 言いたいことがある。
ここまで書いたけれど、ママ友自体の存在のイメージをわるくしたいわけではない。
そんな発信をして、孤独を選ぶ新米ママが増えてほしくはない。
だって孤独はそれなりにつらいし情報がなくて大変だからだ。
そして。ちゃんと白状すると、なによりわたしに悪いところはあったのだ。
上に書いたようなコミュニティにしか出会えなかったということは、つまり、認めたくないことではあるが自分にもその素養があったし自分で選んだ、ということなのだ。
そんなつまらないコミュニティしか知らなかったのはつまり、そういうことなのだ。
それを認めるのはけっこう痛いことだけどそのあとで今思うことは、
声を大にして言いたいことは、、
自分が変われば良い人間関係も築ける ということ。
よく聞くけどこれは事実。
ほんとうに、あけすけで嘘がないひともいる。別にバカ明るいわけではないけど自然で人間らしいのだ。
でもそういう人はベタベタ繋がらないから見つけにくいのだ。
でもこちらも適切な距離感で接するような人になって、なにより自分があけすけで嘘のない人間になる努力をした。そしたら自然と関係性が築けた。
そして、そういう人とは自然に今もつながっているのだ。
(そういう友達関係がないという人が昔のわたしのような人種という訳ではないですよ!もちろん)
自然で気持ちのいい人って、お互い無理に喋ることはない。普段はお互い忙しいし、いい意味で自分のことでいっぱいいっぱいだし、顔あわせたって急いで挨拶するだけの関係。
それでいいのだ。
さっきから口調バカボンのパパか。
そうそう、無理に引き止めて世間話とか○○さんってこうらしいよ、とかそういう情報交換はいらないのだ。
でも、たまーに飲みに行ったら、そこではちょっと弱音を吐くこともあったって、「いやーうちらがんばってるよね!まじ」「まちがいないわ!最高!我ら!はっはっは」と笑ってもう一杯やれるのだ。
別れたあと「あーー楽しかった、明日もがんばろう」となれる関係性なのだ。
酒が進んで下ネタ言うかなり年上のママさん相手にこら、ってつっこんだり カラオケで選曲気にせず好きなの入れて爆笑して、楽しい瞬間に「あーたのしい」って言って。翌日ハメ外したママさんが珍妙に謝ってきて、それにまた爆笑して。また飲みましょーってなって。
お互いの子どもだってべつに変に褒めすぎたりしないけど当たり前に幸せを願っている。
昔のわたしでは、そういう関係性は当たり前に築けなかった。
学生時代から今もつながっている友人はぶっちゃけそんなにいない。わたしは間を埋めることに気をとられて相手を見なかった失礼な奴だったからだ。
ママになってとくに最初は「ママ友」と話すたび脇汗かいてキョロキョロして、園の送り迎えだけでどっっっと疲れていた。
あの頃喉から手が出るほど欲しかった「気のおけないママ友」。夢のまた夢のような気がしていた。
子ども全員が卒園した今ほとんど連絡取る人なんていない。でも連絡を取りたい相手は数人ならいる。数少ない大好きな人を大切にできる人生を選びたい。今年はコロナで会えないけれど…
そもそも子育て中に自由な時間をとることさえできない人は、身近な家族に本腰入れて頼もう。本腰だいじ。そんくらい尊重されて然るべきよ。そんで「お願いする」こと自体おかしいことに気づこう。子どもってみんなで育てるもの。
Q.そうしてできた友人とのあいだでも、少し苦手な空気感になったときはどうする?
A.空気感なんて作ってしまえばいいのだ。(どーん)
こっちの方がたのしいよ、という話題を。
例えば
あのママってさーハイブランドな服ばっか着ててすごいよね、お家も相当お金持ちなんだろうね!でも子どもはボロボロの服きてたりして…子どもにもいいの着せてあげてー笑とか思う笑笑
という話題が出たとき。
そんなこという友達は今いないけど例として。まずどーでもいいし面白くないしその話の終着点はなんなん?と思う。思うけどそのまま言えばカドが立つ。
なのでこう言う
「まあわたしも買って貰えるならなんだって着たいっすけどねーハイブランドって丈夫なやつ多いし!てかうちの子とかは新しい服見向きもせずに、おんなじ服をボロボロになるまで着たがったりするんでやめてーって思ったりしますね笑。だからむしろその主張を尊重してるそのお母さんの愛かもしれないっすね!」
とか。
そうするとその話してた人も(あっ…そっちの意見の方が心広そう…)って少しびっくりした顔して意見を合わせてくれたりすることも多い。なので、「ねー!」つって明るい雰囲気で別の話題(ミキハウスて謎なデザインでめっちゃ高いけどしぬほど丈夫ですよね、とか)にしちゃう。
20年以上前のミキハウスの服まだ全然状態よくて着れるのまじやばい。
そうなれば、次の話題もだいたい明るい。
そうすると、たのしい。疲れない。
もちろんそれが叶わない相手だっています。
どうしても愚痴を言いたい人もいます。そういう人に合ってる人間関係だってもちろんあるし全然否定しません。そういう人にとってはわたしは完全に邪魔だろう。馬鹿に見えるだろうと思います。事実わたしはそういう方々にはめちゃめちゃ嫌われますがそれでいいんです、当たり前。そしてそっと別のコミュニティで過ごせば万事オッケー。
ただ自分と違う人を嫌うことはエネルギーが要るのでわたしはそこにエネルギーを裂きません。
(↑こういう余計なこと言うからまた嫌われちゃうんだよ)
全員に好かれようと思って生きてた時は誰にも好かれなかった。嫌われてもいいと思えたとき、めちゃくちゃ好いてくれる人が現れました。
ほんと一つ言えるのが、友達関係で自分と合わない人と無理して付き合う必要はまったくない。1億%ない。仕事でもないところで余計なストレス抱える余裕なんてない。
(できるなら仕事の人間関係もストレス0にしたいのでそこに向けて努力はしまくる)。
ただ、この人自分と合わない!と早計して早すぎる段階で切るのももったいないです。
だから違和感が少しの段階では自分なりの方法で軌道修正してみる。
そうするとあなたと話すの面白いわと言っていただけたりする。わたしは、わたしのこと好いてくれる人のことは基本大好きなので笑、そう言ってもらえた時は心から「わたしもあなたと話してて面白いです!」と思う。
いい人間関係が築けないとき、コミュニティが苦しいときは
・思い切って抜ける!
・思い切って開拓する!
そのどちらも難しい場合、
・まずは自分を大切にして自分の殻にとじこもる!
まず自分をいいこいいこしてから考えていく。次の段階で身近な人からめちゃめちゃ大切にしていく。んでそこから外の人間関係に目を向けてったらどうかしら…なかなかいいんじゃないかしら…と思います。余計なお世話かしら…。。
よく幸せになるために世界平和から最初に祈るひとがいる。
もちろん個人の自由です。
規模でかすぎてまじ素晴らしい心広すぎって一見思う、でもでも、大体そういう人は自分のすぐそばに問題抱えてたりする(こんなこと言ったら超怒られそう)
だから順序的には、上記の順序の感じがいいんでないかなー…
なんてわたしは思っている。
もちろんただの個人的な自分ルールで、いち意見です。(めちゃ保険かけてる笑。情けな…)
だけどもし、
読んで共感してくれる人がいたら、心のうちを吐き出した甲斐はあるな。。
これは、あの頃の人間関係に悩みまくってた自分に向けたメッセージでもあるので。
以上、ファミレス作業中に横で地獄のママ会が聞こえて、苦しい記憶が蘇って勢いで書いた、
独り語りnoteでした。