ささやくように
お気に入りの水玉の傘に、雨つぶがパラパラとまばらに叩く音が聞こえる。他には何の音も聞こえない。
視界は水たまりに無数の雨が降りしきる足元しか見えない。地面と雨の匂いが微かにする。優しい雨だけの水色と灰色の世界。
この感じ、久しぶりだ…。
最近はずっと移動中bluetoothのワイヤレスのイヤホンで音楽を聞いてたから、雨音が傘を叩く音を聞くのは何年かぶりのように思えたのだった。
何年かじゃあ無い。
以前の記憶は、10歳ぐらいの頃なんじゃ無いか……。
そう思えてきて、なぜか、ずっとその音を聞いていたくなって、帰路につく歩みを止めた。
私、最近いろんなことがあって、それは全て失敗ばかりで、打ちのめされてる……。
仕事でどうしても許せないことがあって、辞めますって言っちゃったけど、私その直前には真逆の事をしていて、仕事に集中するために身軽になるべく持ち家(普段の住居では無い)を売る手続きをして、さらに引っ越し先を決めて、そのため即、廃品回収業者を予約して不要なものをごっそり手放し第一弾を行ったし、引っ越しに不便にならないよう愛車の不具合箇所を修理にも出してしまったからもう後が無い。即断即決、猪突猛進はいつもそう。だから、
やってしまった……。
後悔の念で一杯である。それで辞めるとなれば次の仕事を見つけなきゃなんだけど、
今の会社は私の夢を叶えるのにそれは全力で近くにあって、そもそも何年か続けてた前職も突然こんな事をしていちゃダメだもっと夢に近づかなきゃと思って突然辞めてこの会社にアタックして入社したばかりだし、それは誰もが憧れるような企業であるし、そんな企業の重要なポジションにあっという間に着くことができてこの半年、成果も上げてきたつもりなのだけど、それで辞めるとなると次の職場はどう考えても夢から一歩以上遠くなる。夢から一歩以上遠い企業ではこの半年分を取り返すのに数年かかるだろう。……。
それで私は同僚からは慰留はされたのだがいまいち賛同できず私は引き下がらなかったので引き継ぎを少しづつ行いつつも、その最中、日を追うごとに自分で自分が青ざめてきてることに気づいてさらに青ざめてた。
そして会社からも喧嘩状態から一転、慰留されるし、何か哀れな動物でも見るような視線を感じるし、腫れ物に触るかのような対応を感じるし、それで慰留されるので二度きっぱり断ったのだけど、まだ社内には伝えてないので私は私の仕事をしなければならない。
そこでふと思い立ってある部下の一人と彼の将来について気にかけてやる話しをどうしても今すべきだと思って呼び出して上から目線で面談していたところ、その最中に私は、それは自分のことなんじゃないか、私は彼と一緒の状態だーーと思えてきて、そのことが重大に思えてきて、彼がその苦境に耐えて絶対辞めない、と以前私に言ってきて実際踏ん張っているのをヤレヤレ、と私思って眺めてたのを思い出して、そんな風に小粒な彼が頑張ってるのに私が負けて、逃げててどうするの、と思えてきて、それでやはり撤回すべきかと、悩んでる現在。
どうしよう、私……。
考える都度に、見る見る私が青ざめて、何か得体の知れないものに追い詰められていく気がしている私。
視界の足元の水たまりには無数の雨が降りしきっていた。
頭上からはお気に入りの水玉の傘に、雨つぶがパラパラとまばらに叩く音が聞こえていた。他には何の音も聞こえない。
地面と雨の匂いが微かにする、薄汚い水色と灰色の世界……。
話は突然変わるが私は声が小さい。極端に小さい。出ないのだ。
いつからそうだったか分からないが喉が悪くて肺活量も極小で、声が出せないのだ。診察は何度も受けたが、何も分からなかったし、分かりっこ無いと思ってしまっている私がいる。なので、その原因については実のところ精密検査までは行ってもいない。だが、もともと幼い頃から気が小さかったから大きな声も出してこず気づかなかったのが、大人になってから仕事の現場にて、明確に声が小さいことを指摘されもし、支障をきたすようにもなってきたので事態が明確になってきたのだ。
会議中、無遠慮な奴から何度も指摘される。Skypeでは特に明確に、向こうから聞こえないと言われるので、こちら側では仲間にいちいちマイクを近づけられる。私は声が出ず、小さいことを自ら告白している。そして目一杯頑張って大きな声を張り上げている。すると、ようやく人に聞こえるぐらいになる。それでも小さいね、と言われる。もう一度言ってくださいますか、と言われる。同じことをもう一度言う、それは、もっとも嫌な辱めだ。しかしやる。転職会議で私のことであろう、上司が声が小さくて残念だったと書かれる。目の前の人に呼びかけているのに無視されているかのように気づかれない事がある。等々……。
私はそのことで打ちのめされてはいない。何食わぬ顔で、耐えている。何度でも、リクエストに答えて、言い直す。何食わぬ顔でと言ったが、自分の声量ボリュームを目一杯あげる時はアニメの表現よろしく目をバツにして話すように、必死で頑張って声を出す。
大声をだすぐらい声を張って、ようやく聞こえてもらえるのだ。私が喋る会議、は多いのだが、そのためにそれらは非常に体力を消耗する。精神力も。もうお分かりだと思うが、そうで無い時は私は非常に寡黙である。必要最小限しか喋らない。挨拶などは、表情で語る。もちろん、必要なことは喋る。私はそういう職務であるから、私がいざ喋る時は重要な話しなわけで、皆、耳を澄ませて、諫言を聞く。もうお気づきだと思うが、そう言う訳で私は冗談を言ったりする余裕などないから、常に真剣なことを真剣な眼差しで言うのみであるから、真面目でしっかりした人だと思われる反面、気軽なタイプが友人などになることは無い。
重ねて申し上げるが、私は喋るのが下手な訳では無い。職務上必要であれば複雑難解なことでも的確にまとめて理路整然と話すことが出来ると自負しているし、オフタイムでは好きな事ならば延々と嬉々として話す事も出来る。が、声が小さいだけなのだ。出ない。
二人での時は、ラクをして、近づいて、耳元でささやくように伝えることもある。それを見られて、あらぬ噂が立ったこともある。知るかってーの。私は仕事をしてるんだ。仕事で張り合えよっての。
たまに、突然全く声が出なくなる時もある。その時は焦る。焦って喉を掴む。一瞬、目の前が真っ暗になる。大声で叫んでも、全く声が出ない。
頓服のお薬を飲んで、喉スプレーをすれば15分ほどで回復するのだが、それが出来ないタイミングというものがあって、例えば重役の揃った会議の場などでは悲惨なことになる。私は恥を忍んで今、声が出ないアピールを大げさにジェスチャーしつつ、次にさっとノートパソコンにワードで大きな文字で「声が出ないので」と書いて私のことを知らない人々にもそれをまず見せて分かってもらい、それからそのワードかチャットなどで引き続き話しを続ける。タイピングはブラインドで超高速で正確である自信がある。努めて平静を保ちつつ、しかし冷や汗をかきながら、それで続ける。
私のそんな障害をやゆしてバカにされているのも知ってる。
つらい。しかし、そんなのは平気である。私は、相当精神的にタフである事を自認しているつもりだ。
話しが突然戻るが、本日は売り払うほうの家の片付けを少々進めた後、少し移動するが実家に戻り、母に家の売却および、引っ越しの話しをして来たのだった。
昼下がりの夏至の日は今にも雨が降りそうな曇り空で蒸し蒸ししていたが実家はひんやりしていた。いつもそうだ。
母は相変わらず半身不随で、情けない表情をしながらも嬉しそうで、今にも泣きそうな顔をしていた。以前は明るい快活な人で、今とは全く違う姿形をしていたのだが。父やその他は不在だった。
実家の魔法。……そんなものは無かった。
私は実家で両親と話す際も相変わらず声は小さいままだった。であるが、ここは実家なので私は無理に声を出すことも無く、おそらく半分は聞き取れてないだろう、それでも両親はウンウンと頷いていつも聞いててくれていたのだった。とはいえ、そもそも話し相手が実家の両親であろうと私が喋ることは、あまり、無い。言うべき話題が思い浮かばないのだ。それに、私は家族に仕事の話しをしたく無い主義で、というのも、家族・親族・兄妹の中で私の収入やキャリアが圧倒していると思っていて、対して兄妹は苦労している事を知っていて、それでますます秘密にしているという状況だ。ところで、今日は不在なのだが妹はいたら始終母と喋っている。私は黙って聞いている。私は少し嫉妬していて、一体どうすればそんなに話題が出てくるのか、どんな話しをしているのか、といぶかしんで妹の会話をよく聞いて分析してみようと何度かチャレンジしてみた事があるのだが、いずれも理解不能・帰納法が得意な私でも分析不能で、全て失敗に終わったのであった。
それで今回の報告の際はといえば、母の容態の変化後の、家族である私・娘の出来事としてはちょっと突然の大きな話しであるから、私は驚かせまいと思って、随分と小さくなった母の横にちょこんと座り、ぎゅっと片方の手を繋いで、聞こえない事が無いように耳元で、淡々と、説明したのであった。
母は最初何事かと思ったかも知れないけれど、ウンウンとうなづいて黙って聞いてくれて、そして幾つか私のことを気にかけてくれた質問をしてくれたのに対して私は答えて、それで理解してくれたようだった。
もちろん、仕事で打ちのめされてる事態の事は、打ち明けていない。
その時少し後ろめたい気がしてる自分に気づいたが……。
私はするべき事を終えて、食器を片付けて、しかし半身不随の母と二人きりである、今回はそそくさと退散しないように気を使ってなるべく長居を頑張ってみたが、ついに耐えきれず、東京に帰る新幹線の予約の時間があるからと、適当な言い訳をして、そして、それじゃあね、と中途半端なお別れの挨拶をして、実家を後にした。
一軒家の、昔からの実家である。玄関を出て見上げると、ぱらぱらと雨が降り始めていた。
地面と雨の匂いが微かに感じれた。
水色と灰色だけの何も無い世界……。
私はお気に入りの水玉の傘(折りたたみ式)をバッグから出し広げつつ、同時にキーケースも取り出して実家の鍵を選び、戸締りをして帰ろうとした。
ところが。鍵が閉まった感じがしない。
私はカチャカチャと鍵穴にさした鍵を何度も回し直したが、変な抵抗がある。私は、変に思って、傘を手放し、玄関扉を開け直した。
すると、そこに半身不随の母が、突っ立っていたのである。
情けない表情をしながら、それに今にも泣きそうな顔をして。
母は、言語障害気味に、「見送って……、お別れを……、したくて……。」などと言った。
私はその瞬間事態を飲み込めず「あっ。」と相変わらず声にならない声しか出なかったが、言って、そしてようやく事態を把握した。
わざわざベッドから起き上がり、玄関口まで、家の中を歩いて……。ベッドからキッチンのテーブルに来るのも一苦労なのに……。
そしてふらつく母に飛びついてがばと抱きしめるように抱擁しつつ、手を繋いで、ぎゅっと強く手を繋いで、そして耳元でささやいた。
「見送ってくれなくても、いいのに。」
その時母は、何か言っていたが、よく聞き取れなかった。
雨が、強くなってきたからである。
雨がシャーっと音を立てて降っている音が、突然耳に、フェードインしてきたからである。他には何の音も聞こえなかった。
(私が)雨に濡れている事に気づき、それで問答無用で私は再び家に上がり、母をベッドまで連れて行って寝かせ、再びお別れの挨拶をして、実家を今度こそ後にした。
そして私は、駅まで歩いていた。
足早に……。
なぜだか分からないのだが、なるべく早く実家から離れたくて仕方がなかった。しばらく傘を差すのも億劫で差さずに無心でうつむいて足早に歩いていたのだが、さすがにずぶ濡れになってきたことに気がついて、立ち止まって傘を差す事にした。
視界の足元の水たまりに無数の雨が降りしきっているのを認めた。
私は無心だった。
私はその時、泣いていたのかもしれない。顔もすでに雨でずぶ濡れだし、分からない。
泣く理由が無い。分からない。
傘を広げた。すると見上げた世界は優しい雨だけの水色と灰色だった。傘に雨つぶがパラパラとまばらに叩く音が聞こえた。他には何の音も聞こえない。
微かに地面と雨の匂いがする。
この感じ、久しぶりだ……。
そうだった。
幼い頃、この実家の周辺で、母の買い物によくついて行ったのだった。スーパーでは、買い物かごを率先して持ってあげていたから、母に
「理子は優しい子で本当に良い子ね、神の子さんね。」
と言われたから、嬉しくて、ますますよくついて行って、買い物かごを率先して持っていたのである。
私は自転車が下手くそだったので、雨の日は、傘を差してのんびり二人、水たまりを避けつつ、歩いていたのだった。雨の日は、雨の音でお互いに話す声がよく聞こえないから、お喋りだった私も我慢して、黙って歩くのであった。その時も聞いていた。
パラパラと傘を叩く雨つぶの音を……。
そう言えば、傘はその時も水色の水玉模様だったんじゃ無いか。それに、私お喋りだった。母と手をぎゅっと繋いで傘を差して歩いた雨の昼下がり……。
そこから先は何も無かった。私の頭の中は、パラパラと傘を叩く雨つぶの音だけが響いていた。
もう母と手を繋いで買い物に行くことはできないのだろう……。
そんな気がして、雨の中、しばらく私は立ちすくんでいた。
話しが突然変わるが、私は邦楽のアーティストではCharaが好きである。
グルーヴィーなサウンドに乗せて囁くようなウィスパーボイスで歌うかと思えば、突き抜けるような圧巻な声色にも自在に変化する歌声が特徴のChara。
彼女に、確かNHKが番組でインタビューしていたのを昔、見たことがある。
なぜそんなに上手に自在に様々なカラーで歌えるのかと。
すると彼女はこんな事を言った。
「私は声を張って歌うのは全然上手く無いと自覚してるので、歌うのではなく、ヒソヒソとささやくように歌うのなら割と思った通りにできると知ったので、それをマイクでボリュームをあげてるだけなので、歌ってるのでは無くて、ささやいてるだけなの。」
私はその影響を受けたのかも知れない。
ささやくように。