(詩篇)渋谷、死者のまち
人の生き死に、すなわち人生というものに存外無頓着である
感情を感じることは可能だがそれを重視せず様態のみを観察して評するので元来自然科学者然としている
自分ごとであっても遠くから達観してるかのように見つめるので物事に対して驚かない、喜怒哀楽が薄い、振りなら出来る
時折今日が何曜日か、今どこにいるか、どこに向かっているか、三食を食べたかすら分からなくなる。病気や事故に遭わないでは無いが大事に捉えない、まるで不死身である
感情や欲望が薄いので気が散ることはなく黙々と取り組む事が出来るため様々な知識や技能を身につけるのに労しないが何のためにかは定かでは無い、忘れる
私は生気も何も生まれつき持ち合わせていない魔性の者のようだ。
悪魔か、堕天使か。
あるいは死神、というカテゴリもあるそうだ。
もしくは死者か。
電車も乗り間違えた気もするし、それで乗り直してまでして、私何のためにここに来たんだっけ…?
頭痛がする。意識が朦朧として、相変わらず片目片足の私は事態を掌握するのに時間がかかった。
開発が進んで地下から地上の広範囲に渡る巨大なダンジョンのような渋谷は平日の昼間にもかかわらず人の姿が見えない。
昔ここでレンタルオフィスを借りて起業した拠点、渋谷駅西口、4月は桜の木々が美しいが、5月にもなると落ちて踏み倒されて汚れた大量の桜の花びらで埋め尽くされ異臭もする、汚いまち。「化けビトたちの音楽会」が催されるようだ。呼ばれてないな。
いや、もう過ぎたのか。
気がついたら今度は渋谷の反対側、スクランブル交差点にいたようだ。ここは年がら年じゅう人間の往来で埋め尽くされているはずだが、おかしいな、はっきりと視認できない。
徘徊するのはまれ人か。でもおかしいな、まだ逢魔が時でもないはずだ。
やはり両の目が必要か、下界を観察するには。
夏の間はあれほど寒さに弱かったのに、もう12月、冬だというのにこの寒さには平気である。ほおに冷たい空気が心地よい。私の神経はどこかに行ってしまったのか。
とりあえず喫茶店らしき店に入り、店主らしき生物にデミタスのコーヒーと、水を頼んで精神安定剤を数錠飲んでみる。舌下投与で。
すると意識がみるみるとはっきりしてくる…。
どこかしらかの会話が聞こえる。
コンテストの中間発表があったと。妥当な方々が選ばれたようだ。
いや、私などが妥当ななど評価するのはおこがましいか。
他方、ある件で私の選んだ方が喜んでくれたらしい。良かった。
他にもコンテストが複数開催されてるらしい。が今はモチベーションが湧かない、何も閃かない。
とあるコンテストに関係のない第三者が不要な茶々を入れたらしい。余計なことは、するもんじゃ無いね。
でもそれ、人間を命懸けで守るのは悪魔の性か。
天界からもひそひそ声が聞こえてくる。ねこ耳ミニスカサンタコスがどうのこうのと囁きあってるようなので
空いた時間にちゃっちゃと描いてプレゼントしたが明らかに魔族。
毎日の挨拶
「おはよ、今日もいいこといっぱいあるといいね」
を交わす友は隠居してしまったのでますます日課というものが無い
他にもオンラインの友に見ていないと危なっかしい子供が何人かいる、頭に障害がある子、メンタルがやられてる子、虐げられて縁交している子。
その子たちが自爆しないように監視することは続けなければならない。何の因果もないが、
そう、決めたから。
他に特に重要なことがないこんにち、この片目片足が治ったらちょっと遠くに行ってみようかな。
今夜、西に行くのだった。しかし、もっと遠くへ。
地球の反対側か、できれば光の速さで5万年ほどかけて銀河の反対側か。
たまに行ってしまいたくなる、たまにそうしてきた。
何の関わりもないところへ。
天界の者からすればそれは「逃げ」であるというが、
言わせておけばいい。