コラム・ある三文芝居(配布資料)
まだ春の足音も聞こえてこない、世紀が変わって間もないある日。
私はある女性のHPを、自分のブックマークから削除した。
彼女のHPは、とても輝いていた。
秋の海の色にも似た、落ち着いた色の背景に乗せて綴られる、切々たる思い。
配偶者の仕事の都合で遠距離になってしまった、主の男性への信頼と愛情。
数ケ月にいちどのデートにおける、めくるめく官能的な描写。
小説の中でしか起こらないような会話や出来事も、彼女の文章では決して不自然ではなかった。
そのHPに出会ってから数ケ月、私はほとんど毎日のように目を通していた。
HPの中の、デートの記録や日記において、彼女の主は魅力的だった。
彼女の僅かな発言やちょっとした振る舞いから、的確に彼女の心の状態を捉え、うまく彼女を導いていた。
叱るときも、誉めるときも。苛めるときも、弄ぶときも。
同じ性癖を持つ者として、憧れと羨望さえ覚えた。
彼女は心の病を抱えていた。
自傷行為を繰り返しながら心が袋小路に迷い込む様子は、幾度も彼女の日記から伝わってきた。
特にある時期の症状は深刻で、きょうにでも自殺しそうなことばが、連日のように並んだ。
心配した読者から彼女の元に、多くのメールが送られたようだ。
その数日後、いつものように彼女の日記を読んでいた私は、目を疑った。
「放っといてよ」
先を読み進めると、どうやら「無言で優しく見守ってくれる読者」こそがよき読者であり、メールでのなぐさめや励ましは余計なおせっかい、自分の心を逆撫でする迷惑行為以外の何物でもない、といいたいらしい。
仕事でも営利目的でもない個人運営のHPは、確かに自己満足のためのものだ。
自己責任において何を書こうが何をしようが、まさにその人の勝手なのかもしれない。
読者に読んでいただいているのではなく、読者に読ませてやっているという意識でHPを作っても、一概にそれ自体が悪とはいえない。
でも、この発言はネット云々よりも前に、人として、卑怯だ。
HPを作ることで満足したいのなら、URLなんか誰にも教えず、本人たちだけでローカルに楽しめばいい。
読者の存在など求めず、BBSなど作らず、アクセスカウンタなんか設置せず、リンク要請も拒否するべきだ。
都合のいいときだけ読者に頼り、読者の反応を楽しみ、おいしいところだけ食い散らかす。
いざ都合が悪くなったら「何をしても私の勝手でしょ、ここは私の自己満足の場なのよ、踏み込んでこないでよ」。
いい大人の振りかざす理屈ではない。
もっとも、ここまでなら、よくある話だともいえる。
彼女には、主がいる。
飼われる者は、飼う者を映す鏡。
隷の彼女の不始末は、主である男性の不始末。
彼の躾けが悪いから起こった出来事。それだけの話だ。
私はほんの少しだけ、あることを期待していた。
主の男性が彼女の言動を諌め、彼女から読者に侘びさせるか、あるいは自分自身が侘びることを。
しかし、何も起こらないまま1週間が経ち、1ヶ月が過ぎた。
リンクを辿って歩き回っているとき、見覚えのある名前が目にとまった。
確か「あなたが自分の奴隷にさせたプレイを教えてください」とか何とかいう類のページだったと記憶している。
その男性が自慢げに書き込んでいたプレイの内容は、過去に彼女のHPで語られていたものと、寸分違わぬものだった。
そしてその文章の中には、彼女の名前もあった。
ほんの数日前、つまり彼女の不始末から1ヶ月以上経ってから、書き込まれた文章だった。
彼女が日記の中で何をしたか、読者に対してどれほどの非礼をはたらいたのか、彼が知らぬはずはない。
にもかかわらず、ケジメもつけずにこんなところで、脳天気なことを書き込んで悦に入っている。
彼もまた、おいしいところだけつまみ食いする、義務や責任という概念の乏しい人間であった。
彼の文章は下品で、センスのかけらもなかった。
彼女がHPで描いていた彼の言動とは、どう拡大解釈しても結び付かなかった。
そのとき私は、すべてを理解した。
私が思い描いていた彼の人間像は、彼女の卓越した文章表現力が作り出した、美化の産物にすぎなかったことを。
彼が優れていたのではなく、彼女がすべてをいいように、都合よく解釈していたからこそ、理想の主に近い人格が捏造されたことを。
妄想の中にしか存在しない彼に、いささかでも感情移入してしまった、敬意すら抱いた自分が、ただひたすら情けなかった。
私はブックマークウィンドウで彼女のHPをクリックして、何の躊躇もなく delete キーを押した。