「マイノリティ・マーケティング」書評
劇作家 相馬杜宇さんによる書評(2024/6/29掲載)
「マイノリティ」の意味 この本は聴覚障害者(ろう者)でありマーケティングのプロである伊藤芳浩さんが、マーケティングの手法を使って社会問題を解決していく手法を具体的な事例を交えてわかりやすく記し、さらにマイノリティが生きやすい社会の実現について書かれた本です。伊藤芳浩さんは本業のかたわらインフォメーション・ギャップ・バスター(以下IGB)というNPOを運営されており、IGBやその他の関連団体の働きかけによって電話リレーサービスやオリ・パラ開会式の手話通訳導入が実現しました。
この本で紹介されている具体例はろう者についてのものですが、ろう者に限らずマイノリティが社会で生きていくためには「自助」と「共助」と「公助」が必要で、この「公助」を実現するための手段としてマーケティングの手法を使うことが有効であること、そしてマイノリティ自身がマーケティングの手法を活用して社会問題を解決することを「マイノリティ・マーケティング」と名づけて、社会的問題が解決できずに困っている様々なマイノリティの方々へのヒントを提供なさっています。
私は2016年に脳出血を発症し、片麻痺と失語症を抱えている劇作家で、生活する様々な局面で不都合をまあまあ感じていますが、この本を読んで、聞こえないってホントに大変なんだなと改めて思いました。後ろからの危険に気付くのはかなり難しいし、見た目には聞こえないことはほぼわからないので周囲の助けも得られにくいなど、常に身の危険に晒されている状態だと思います。電話リレーサービスのことも、当たり前に使っている電話がろう者にとっては全く使えないものである一方で、火災・急病・交通事故の際には電話で連絡するのが基本であることにハッとさせられ、もっと広く浸透することが必要だと思います。 聞こえない方についてだけでもこんなにいろいろな困り事があるということは、それぞれのマイノリティの立場にいる方々には、同様にまた違った大変なことが様々あるのだろうな、とも思いました。
そして印象に残ったのは、「自分(ろう者)の第一言語は手話である」という表現です。一般的には産まれて最初に獲得した言語を第一言語と言いますが、ろう者は歴史的経緯などから、親がろう者でない場合は特に、手話を第一言語として獲得できる機会を失うことが多かったそうで。しかしやはり音声言語たる日本語はろう者が思考の拠り所とする言語にはなり得ず、あとから獲得したとしても、ろう者の第一言語は手話である、と改めて宣言なさることが、とても心に響きました。
また、具体的な事例としてパブリックコメントに当事者の意見を反映させるよう働きかけたことが挙げられていますが、この例に限らず、本書では一貫して社会的問題の当事者が解決にコミットすることに重きが置かれています。 私も鉄道の障がい者割引の件でオンラインの署名活動をしたことあり、その件で国土交通省との意見交換の場も実現しましたが、司会が逐一「○○様いかがお考えでしょうか?」と形式的に発言者に振るだけで、意見の交換はなされていませんでした。これが日本の縮図なのかと複雑な気持ちになりましたが、本書のマーケティングの手法を元に再考してみたいと思います。
ちょっと脱線しますが、市川沙央さんの「ハンチバック」に以下のような記載があります。 『私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、―5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。』(市川沙央『ハンチバック』より引用)
この本はKindle版があり、片麻痺のある私も気軽に手に取れます。可能ならばぜひAudible版も出していただけるとこの本に触れられる方が増えるのでは、と思います!