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女風ダークアカデミア 「第1話」クレオパトラの夢 1

あらすじ
 手越リウは高校時代に男性機能を失ったが、反比例するように女性扱いが上手くなる。その能力を使って専門学校でフランス料理を学びつつ女風としてフランス留学と将来の開業資金を貯めている。卒業後フリーの女風セラピストとして独立、性感マッサージと得意のフレンチで、世の疲れた女性達を癒し、いつの日か自分の男性機能を復活させる女性が現れることことを願いつつ日夜戦い続けている。


 男性機能がなくなると、反比例するように女性を歓ばす術が向上した。人生とは実に皮肉なものである。高校生だったある朝から、ぼくの身体の一部は天を仰ぎ見るようにそそり立つことがなくなった。普通なら焦ってなんとかしようと思うのだろうが、僕は意外にもその事実を受け入れて生きることとなった。なぜなら、その日を境に爆発的に女性にもてるようになったからだ。本当に人生というものは皮肉なものだ。己の不完全さを悔やんでもしょうがない。不健全な肉体にも健全な精神は宿る。それが僕の座右の銘だ。
 
 晴れた三月の金曜の午後、僕は繁華街の雑踏をすり抜けて、坂の上のラブホ街を目指していた。ヘッドフォンからはバド・パウエルの「クレオパトラの夢」というピアノの曲が流れている。これはいわゆるジャズというジャンルの曲だ。かつてジャズ喫茶というカフェがあって、昭和の人々は、しかめっつらをして眉間に皺をよせながら、大きなスピーカーから流れる爆音のジャズに耳を傾けていたらしい。そこではこの曲が流れない日がないくらいに絶大的な人気があった曲だそうだ。令和に生活している若い僕でもその気持ちは十分に理解できる。ビ・バップと呼ばれる自由な即興演奏は人の心を自由にさせる。この曲を聴きながら歩くと、高校生のときに憧れたネイマールが華麗なステップを踏んで、フェイントで屈強なディフェンダー翻弄するように、人込みの中をすり抜けて前に進みたくなってしまう。バド・パウエルはこの曲が入った「The Scene Changes」というアルバムをリリースした後にフランスに拠点を移して活動をすることになった。僕もバド・パウエルと同じくしてフランスに拠点を移して活動を始めることを夢見ている。僕の場合はミュージシャンとしてではなくて調理人としてだが。

 
 正面から見覚えのある白いバンがやって来た。すれ違いざまに車が停まり、サイドウインドウが下りると、見慣れた中年のおっさんが笑っていた。ぼくは軽く会釈をしてイヤフォンを外すと、それらをポケットにしまった。
 「リウ、これから仕事か?」
 ラブホに洗ったシーツを納入しているクリーニング屋のケンさんが声をかけてきた。禿げ上がった髪にアゴを隠すように髭を伸ばしていて、濃いサングラスにラガーマンのようなゴツイ体形、しかも乗っている車は、日本では「おしゃれ」な車として認識されていて、一部の女性に絶大な人気を誇るフランス製のルノー・カングーだ。確かに彼の風貌はカングーに似合っている。ただし日本のお洒落な車のイメージではなく、フランスの肉体労働者がこ汚い作業服を着て、リアの観音扉から汚い工具箱を持ってでてくる本来の商用車の姿という意味でだが。

 「そう、これから仕事だよ。日本一カングーが似合うおしゃれなケンさんは、これから郊外のドッグランに行って、併設されたカフェで午後の優雅なコーヒータイムでもお過ごしですか?」
 軽い皮肉のジャブをかましてケンさんのリアクションを待つ。
 「アホか、仕事じゃ。この車はゴールデン・レトリバーを積んでカフェでお茶するよりも、狭い路地裏を走り回って精液や潮が染み付いたシーツを回収していくほうがこの車の本来の姿に近いだろ?」
 
 「たしかにね、カングー乗りの面汚しっていわれてる人間のことばには説得力があるねぇ。しかし精液だの潮だの言ってるのをルノーのディーラーに聞かれたら、二度と車検を取らせてもらえなくなるから気を付けてね。車もイメージが大事でしょイメージが・・・」
 ほんとにそうだ、イメージは大事だ。日本のカングーを愛してやまない人々は、ラブホ街で汚れたシーツの回収にカングーが使われていると知ったら、卒倒するにちがいない。そしてルノー・ジャポンの売り上げにも少なからず影響するだろう。

 「馬鹿野郎、誰がカングー乗りの面汚しだよ。車検が取れない?そんなことあるかボケ。女性用風俗業に従事する人間がイメージが大事ってよく言えるよな」
 「イメージが大事だから風俗漢とか呼ばれないでしょ。ぼくたちはセラピストと呼ばれてるんだよセラピスト。心理療法、物理療法の範囲で治療に近いのさ」
 ケンさんは黙ってしまった。たぶん四文字熟語が二つ続いたので、頭の回転が追いついてないのかもしれない。
 「ところでお前、店辞めてフリーで仕事をしてるんだって?」
 ケンさんは急にシリアスな口調になった。
 「そう、今月からフリーになったよ」
 「そうか、独立開業おめでとう。開業祝のプレゼントだ、ホレ、受け取れ」
 ケンさんはぶっきら棒に小さな紙袋を手渡して、照れているのか明後日の方向を見ていた。「BVLGARI」と書かれた文字を見た時、思わずホロっと涙がでそうだった。こんな殺伐とした都会のラブホ街でも今だに人情は残っており、都会も捨てたもんじゃない、正直そう思った。カングーが似合わないだの、面汚しだの、短小だの包茎だの、茶化した自分を心の底から深く反省した。
 「それじゃ、頑張れよ、また芋焼酎を飲みに行こうぜ、じゃあな」
 そう言うと白いカングーはゆっくりと動き出した。ぼくは小さく手を振って紙袋を覗き込むと、中には小さな赤い箱が入っていて、箱の表面には「00.1 オカモトゼロワン」と書いてある。ぼくは頭に血が上り顔が赤色に変化するのがわかった。
 「あの野郎、俺が勃たないのを知ってて・・・」
 ぼくは拳を握りしめて、去り行くカングーに力の限り大声で叫んだ。もらった紙袋をくしゃくしゃにして、カングーに向かって思いっきり投げつけると、紙袋は小春日和の三月の青い空にふんわりと舞って、やがてアスファルトに落ちた。しばらくすると誰にも使われなかったコンドームは、突然吹いた春の突風で、転がって側溝に落ちて行った。


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