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【第34話】キッシュが冷たくなるまえに


「それじゃ遠慮なく」
 僕はそう言って空いている籐の椅子に腰かけた。灰皿の上で小さく残ったシガリロの煙が上がっていて、最後の残り香が漂っている。
「この小さな葉巻ってどのくらいの時間持つものなんですか?葉巻だと1時間くらいかかるって聞いたことがあるんですが?」
「これだとだいたい10分か15分くらいかな。これだと外食して、食べ終わったあとにちょっと外にでて吸うのにちょうどいいでしょ?ちょっと家族より早めに食べ終えて、デザートが出る時間の前に一服してるところでした。あなたタバコは?」
 思いのほか早いレスポンスで返事が返ってきた。口調も先ほどよりはハキハキしていて切れがいい。
「いや、まったく吸わないんですけどね。僕も早く食べちゃって、連れの女性二人が女子トークを始めちゃったものだから、なにか気まずくて。デザートが出るまで時間がありそうなので、ちょっと外で時間をつぶそうかなと。そんな次第です」
「なるほどね、女性二人と男性一人の組み合わせか。3人組って、どうしても2対1になっちゃうよね。この場合女性が二人だからどうしてもね」 
「しかも僕ハンドルキーパーでお酒飲んでないんですよ。女性達はワイン2本とグラスのシャンパンを飲んで既に出来上がっている状態で・・・」
「そりゃ大変だ」
 そう言って男性は笑って、椅子から腰を少々前にずらして浅く座り直した。
「ここは外にテーブルと椅子、灰皿があってなんとか喫煙を楽しめますが、今や室内で吸うことすら不可能になりつつありますよね?」
 僕はそう言って会話のきっかけを作って、男性の反応をうかがう。
「たしかにこのご時世で喫煙者は肩身が狭いのは確かだね。ここなんかまだ外で喫煙できる場所を用意していてくれるから助かるんだけど、喫煙が室内でできるのって、もはやバーや一部の喫茶店ぐらいで、男の嗜好品の世界を頑なに守って生きていくのはほぼ無理みたいだね」
 男性はそう言って、正面を向いていた身体を、僕の方を見やすいように斜めに体勢を入れ替えて脚を組みかえた。

「フレンチとかイタリアンとかって、別に有難がることではないだろうってことがとても価値があることに変換されていたり、必要以上にイメージのアップデートがされていて白々しかったりして、突っ込みどころ満載なんですよねえ・・・」
 思い切って僕が普段この業界について謎に思っていることを尋ねてみた。     
男性はゲラゲラ笑いだして「うんちくレベルの話が多いね。うんちくって情報処理だもんね。けっこうどうでもいいことがすごく重大みたいに語る技術。自己啓発本みたいだね。」

「そうですね、うんちくを扇情的に使ってるんですよね、プロパガンダというかあおられるというか」
 僕はそう言って苦笑いをして、男性と同じように腕を組んだ。
「そう、扇情的って、要するにポルノでしょ?女性の裸という意味じゃなくて、ありがたいということをあおって思い起こさせることを目的とした行為の意味ね」

 そう言った男性は残り少ないシガリロを吹かすと、首を左右に振り首の骨をゴキゴキ鳴らしている。

「なんか無理やり自分の性癖じゃないエロ本を見せられて、興奮しろって言われてるような違和感がありますね」

「好きな物や事を選択するための手段として情報ってあると思うんだけど
、不必要というかどうでもいいウンチクレベルの話を情報処理させて、お客を振り回しているだけじゃないかって感じがね。手段が目的化しちゃってて、情報処理すること自体が目的になってるのが嫌なんだよなぁ。そんな野暮ったいことしなくてもいいのに」

「情報処理をさせた最終的な行き先が、ありがたがって食べることですからね。こちらはリラックスして食べたいだけなんだけど」

「そう、ありがたがらなきゃいけないのがね。今日の魚料理だって郷土料理だもんね。郷土料理くらい肩の力を抜いて楽しみたいんだけど・・・そうはさせてはくれない」
 男性は苦笑いをすると、僕もつられて苦笑いをした。

「実は僕、元飲食業界の人間で、ここのシェフの学生時代の同級生なんですよ。フレンチを学んでそこそこ作れる自負はあるから、そんなにありがたがることはしなくてすむんですが、この客をありがたがらせたり、客がありがたがったりのイビツな関係がいつも不思議に思っていて、そこが慣れなかったなぁ・・・」

「なんかさ、プレイっぽいよね。ありがたがらせる側とありがたがる側でお互いに演じなきゃいけないの。たぶん僕たちはありがたがる性癖はないから、そんなプレーに参加しないけど、ありがたがることにカタルシスがない人はつらいんだよねぇ」

「そうですね。こういう業界で、ありがたがりポルノがない店ってほんとに少ないですからね。あっ、すいませんこれ以上しゃべると悪態をつきそうなのでやめておきます。長々と自分の愚痴を聞いていただいてありがとうございます。そろそろ戻ります」
僕はそう言って会釈をして腰を上げた。入口のドアを開けると、店内の喧噪が飛びだしてきて、外がどれだけ静かなのかよくわかった。
「雨夜の悪態つき、楽しかったよ」
男性にそう言われて思わず苦笑いした。
「チャンスがあったら、飲食版雨夜の品定めをやりましょう。お先です」
そう言って会釈をして僕は店内に入っていった。



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