キッシュは温かいうちに (第一話)
「あのさ翔太、お願いがあるんだけど?」
姉の美穂はノックもせずにいきなりドアを開けて、ドア枠にもたれながら腕を組んでこちらを見つめている。プライバシーなどはこの絲山家にあった試しはないので慣れっこである。ちょっと人目を避けていろいろ楽しんでいる最中に、ノックもなくドアを開けられたことは数知れず。ドS魂でこちらが驚いている顔を見て楽しんでいるのだろう。
「明日香ちゃんが交通事故で入院しちゃったのよ、今朝彼女のカフェに通勤しているときに信号待ちで止まっていたら、後ろからよそ見運転の車のブレーキが遅れて追突されて三か月の入院よ」
明日香ちゃんは姉の高校時代からの友人で、街中でカフェをやっている。
「ま、命に別状はないんだけど、お店がね。お母さんとスタッフの子が一人いるからなんとかお店は回していけるんだけどさ、パスタやスイーツは作れるんだけど誰もキッシュが作れないっていうのよ。あれ作るの面倒そうじゃん、ま、私作ったことないからわからないけどさぁ。一応あそこのキッシュランチ人気があって、お客もメニューにないとがっかりするのよね」と姉はさらに話し続ける。
「翔太、キッシュ作れるよね、三か月でいいから土日のランチに間に合うようキッシュ2ホールを土曜の昼までに納入してもらいたいのよ。お願いというかこれ命令」
キッシュとはパイ生地の上に卵と生クリームを注ぎ、ベーコンや玉ねぎを入れ、さらにその上にチーズをちらしてオーブンで焼いたフランスの家庭料理のことで、ふわふわでサクサクのいかにも女性が喜びそうな軽食だ。女性だったら1ピース食べたら十分お腹を満たせるし、ケーキのようで見映えもいい。
たしかに料理好きの僕はキッシュを作れる。自分で言うのもなんだが、けっこう上手に作れる。毎週末に作って友人知人にばらまいて試食してもらい感想を聞いていた。その中でも、会社の上司でグルメな桂子さんから「セミプロレベル、形はちょっと歪んでいるところもあるけど、味はお店で食べるのと遜色なし。普通においしい」とお墨付きを戴いている。が、しかし今はその熱量をキッシュにかけるつもりはまったくない。それでも明日香ちゃんのカフェのキッシュとそんなに遜色なく美味しい物を作る自身はある。正直キッシュは素人が2~3回作ったらそこそこの物はできると思うが、ただ手順が多くて面倒くさいのが作る人が少ない理由だと思う。料理好きとして、作った料理がお金になるのと、「美味しい」って言われるとやっぱり嬉しいよなぁと安っぽい自己承認欲求がもたげてきた。
「で、どうすんの? やるの、やらないの、どっち?」
「やってもいいけどオーブンが一つしかないから2つ一緒に納品は無理。1日に1ホールづつ納品ならO.Kなら受けるよ。で金額は・・・?」と受けてしまった。
とこんな経緯で、これから3か月間、毎週末にキッシュを焼き、カフェに納入する日々が始まった。さてどうなることやら。