青ヶ島の絶景と歴史
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note毎日投稿6日目にして、疲労すら感じて来ているけーしゅーです。今回は2019年以来、毎年必ず伊豆諸島に行っているぼくがオススメする''青ヶ島村''の絶景と、その歴史について書いていきたいと思います。(↑の写真は僕が実際に青ヶ島で撮った二重カルデラの写真です)
ただの絶景ではない。
江戸は天明の頃、この二重カルデラという特殊な地形は、何百もの人を殺した大噴火によって生まれたものだ。
その際、島民全員が隣島の有人島である八丈島へ避難することは叶わず、青ヶ島の人口は一度ゼロになった。
四方は荒波に囲まれ、いつ再び噴火が起こるか分からない。
到底人が住めるような場所ではなかったはずだが、それでもこの島に戻り、ここで再び命を繋ごうとした人達がいた。
八丈島と青ヶ島を小舟で何度も往復して物資を運び、島の地理的調査に努めたが、その間に何人もの人が波に飲まれて転覆し、海の底へ沈み命を落とした。
作物は何度作っても灰が積もり、池の飲み水は何度も底を突く。
そんな復興に向けた苦難の日々はなんと50年もの間続き、1835年天保6年の世で遂に、八丈島へ避難した全ての島民が青ヶ島への''還住''を果たした。
我々の耳にとって、あまり聞き慣れないこの''還住''という言葉には、青ヶ島島民が自然の猛威に諦めずに立ち向かった''生命力''の歴史が集約されている。
やはり、これはただの絶景ではない。
焼死、餓死、溺死が常に隣り合わせの文字通り''生きづらい''獰猛な自然環境の中で、それでも''ここで生き続ける''と決意した人達の覚悟が繋いだ、''軌跡と奇跡''が二重で見出せる、
世界固有の''二重カルデラ''なのだ。