体罰について徒然と。
”体罰”とか、”しごき”について徒然と書いてみます。
(特にオチはないです。いつもですが・・。)
トップ画像は、少年野球マンガの名作「キャプテン」より。
この”ゴキン”は、新入部員に陰口を叩かれ腹を立てた丸井キャプテンのお仕置き。
この擬音は、頬骨と頬骨がぶつかる音?かなり痛そう。
これも現代なら”体罰”になるのだろうか?
丸井キャプテンはよく手が出ますが、すべて体罰というよりは短気で思わず手が出ちゃう、というあとくされのないものがほとんど。
やはり、”お仕置き”という表現が近い気がします。
他のキャプテンにしても、初代谷口くん、三代目イガラシくん、四代目近藤くん・・みな優しかったですね。
時代的にはもっと手が出てもおかしくなかったと思いますが、キャプテンの墨谷二中野球部にはいわゆる強面の野球部長もおらず、平和的な野球部でしたね。
それなのに自主的に猛練習する子たち。
親になって読み返すと、「この子たち、えらいな〜。」という感慨が生まれます。
・・ちょっと、キャプテンの内容に話が流れました。
さて体罰についてですが、私にも個人的な体罰の思い出があります。
ただ、たいしたことのないもので、さらっと・・。
中学一年の、野球部の夏休み練習の初日にいきなり遅刻してしまったんですね。
顧問の先生から、「お前ら並べ」と。
チームメイト3人ぐらいみんなの前で並ばされ、結構痛い平手打ちを食らいました。
まあ、私は家庭でも母親から平手打ちぐらいはけっこうよくされていたので、慣れていましたし、遅刻した自分が悪いので、仕方ないな、という感じでした。
「納得」というのも変ですが、違和感やしこりのようなものは残りませんでした。
平手打ちより練習の方がよほどきつかったです。初日は吐きそうになりました。
平手打ちに対してしこりのようなものはなかったものの、その顧問の先生は熱心に練習をみてくれたのに、私たち世代が二年生になるときに他の学校に転任になってしまい、その方がよほど残念でした。
ということは、軽い暴力はあったものの、熱心な先生がいてくれた方がよかった、ということですね。
最近、こちらの本を読んでいるのですが、
原貢さんは、かなり”手が出る”指導者だったようです。
ただ、当時の野球部員は、体罰について否定的ではなく、なんなら「よくゲンコツで叩かれたが、叩かれるということはまだ見込みがあるということ。叩かれないと不安な気持ちになった」とまで、当時の心情を語っています。
原貢さんは家計も構わず部員たちに用具をあげたり、部員を家に集めてすき焼きを振る舞ったり、叩く一方でそれを上回るほどの愛情を注いだようです。
要は、体罰なのか、そうではないのか、結局は受ける側がどう思うかであり、そしてそこに「情熱」や「愛情」があったかどうかというのは、大きく影響するように思うのですが、どうでしょう。
まあ、現代の教育現場で「叩く」とかは御法度なのかな・・。
ちなみに、うちの息子は空手を習っているのですが、こないだ先生にちゃんと話を聞いていないと”ぱしん”と頭をはたかれ、その場で泣いてしまったそうです。
親としてはそのぐらいはいいかと思うのですが、そういえば、「キャプテン」でイガラシキャプテンの時に練習がスパルタすぎて部員の親が問題提起して、親たちと学校側が集まって大騒ぎ、全国大会出場辞退にまで発展、なんてくだりもあったな・・。
最初にそのくだりを読んだときは部員に感情移入していたので、親に腹が立ったっけなぁ・・。
ただ、親が言うことももっともで、「学生の本業は勉強である」と。
まとまりのない記事で申し訳ないです。ただ、
・キャプテンは1970年代のマンガ。
・原貢が率いた三池工業が甲子園を制したのは1965年。
こう整理してみると、1970年代には運動部の度を越したしごきは問題視されていたのかも?それがキャプテンというマンガに反映されていたのかもしれません。
そしてさらに時が過ぎ現代。
印象的には、しごきや、ましては体罰なんてもってのほか、という価値観に一気に変化したな〜 という気がします。
(ここ数年、世の中の価値観の変化が早く感じるのは、私だけ?)