感動のドバイワールドカップと、香港生活の始まり。〜競馬歴_2011
今晩は、2011年を振り返りたいと思います。
2011年と言えば、やはり「3.11」を思い出さずにはいられません。
3.11、東日本大震災。
自分は地震の瞬間、都内のオフィスビルにいました。
ビルが耐震構造だったためかなりの揺れでした。ぐわん、ぐわん、という感じで床が動き、キャスター付きの事務机が激しく横滑りするので、その脚を押さえながら机の下に頭を隠し、揺れが収まるのを待ちました。パニックのようになり激しく泣き出す同僚女子もいましたね。。
結局その日は帰宅しようという指示があり、電車は止まっていたので家まで歩いて帰りました。
幸い、歩いて帰れるぐらいの距離でした。
途中、新宿アルタの大型ビジョンに映されたニュース映像を見てしばし立ち尽くしました、、
スーパーに急いで買い出しに行ったりしたのも思い出します。
棚ががらがらでしたが、命があって、近くに家族がいて、それ以上何も望むものはありませんでした、、
もちろん、地震の影響は競馬の開催にも及びましたが、意外と早く、通常開催に戻った記憶があります。(自分の収支メモでも、3月19日と20日、21日の三日連続開催に参戦してました。)
3月末、ドバイワールドカップでヴィクトワールピサが優勝!
地震から約2週間後、ドバイから日本の競馬ファンに吉報が届きました。
日本から遠征したヴィクトワールピサ、トランセンドがなんと世界最高峰のレース「ドバイワールドカップ」でワンツーを決めたのでした。
前にも書きましたが、8着には終わったものの、ブエナビスタの参戦含めた、三本の矢による栄冠だったのではと、今でも思っています。
この時は、”競馬をやっていてよかったな。”と思ったものでした。
栗毛の怪物、オルフェーヴル。そしてペルーサ。
あとは、2011年といえば、やはりオルフェーヴル。
2005年のディープインパクト以来の三冠馬に輝きました。年末の有馬記念では前年のダービー馬エイシンフラッシュや、引退レースだったブエナビスタなどの年上馬たちを一蹴、いやはや、強かった・・。
オルフェのダービーは東京競馬場で観戦しましたが、写真が一枚も残っていませんでした、、(天気が悪かったので撮影しなかったのかなと思います。)
自分は栗毛の馬が好きで、前年に追いかけた同じ栗毛のペルーサの姿と、オルフェーヴルを重ね合わせて応援していました。
ペルーサの2011年はと言うと、3月の日経賞から始動して、トゥザグローリーの2着。その後、天皇賞・春が8着。メンバー的にチャンスがあったように思えた天皇賞・秋が3着(このレースは惜しかった!)。ジャパンカップは16着と大敗。有馬記念は出走取り消しの憂き目に・・。
前年ペルーサにイレこみ過ぎ、妻から「ペルーサ禁止令」が発動されていたものの、こそこそと馬券は買っていました。(金額がだいぶ減りましたが・・)。
そして香港生活。
そして、この年は香港に住み始めた年でした。
香港には競馬があり、かなり市民生活に溶け込んでいる感じで、充実した競馬ライフを楽しみました。
ついでに、B級グルメも楽しみました。
アパパネも会いに来てくれた(?)
12月の香港国際競争デー。
地理的に近いこともあり、日本の馬が多く参戦する華やかな一日。
この年は、香港マイルにアパパネ、他にもヴァーズにトレイルブレイザー、スプリントにカレンチャン、パドトロワなどの日本の馬が遠征してくれて、嬉しかったのも良い思い出。(馬券は取れませんでしたが・・。)
その半年前。
5月にヴィクトリアマイルであのブエナビスタに勝ったアパパネ。
それが半年後の香港マイルでは現地オッズで単勝が20倍もついたんですよね。意気込んで買っちゃいましたが、調子落ちだったのか、結果は14頭立て13着で・・。
でも、香港で日本の馬を応援するのがすごく楽しかったですね。
2011年は、いろいろあった年でした、、
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