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「異国事物的転訳」超遅読中、少し藤田菜七子騎手の事。〜摘読日記_80

最近、体調を崩し気味でnoteもサボり気味、読むぞーと意気込んだ「異国事物的転訳」もまだ序文を読んでいるところです💦

体調を崩したのは、中国の大型連休中、邯鄲という地方都市を旅したのですが、後半がきつかったせいだと思います。
それについては、改めて旅記事を書きたいと思っています。

さて「異国事物的転訳」なのですが、私が最近気になって調べている上海競馬について詳しく書かれているのですが、この本の主題は上海競馬の成り立ちを掘り下げつつ、競馬という文化が英国から中国に移植される過程で起こった文化的意味合いの変容を探る、というもののようです。

上海競馬について、単純な事実関連の記述だけではなく、社会の中で競馬がどういう意味合いを持っていたのか、ということが分析されていきます。

序文の中では、そもそも上海に競馬を持ち込んだ英国人たちはどのような人間だったのか、解説されます。

私はてっきり英国のエリートたちが祖国で楽しんでいた競馬を始めた、と思っていたのですが、本書によると、上海(および他の中国各地の租界)で競馬を始めたのは、中産階級の下層に属する人たち、加えて、労働者階級に属する人たちだったそうです。

植民者として突如地位が上がった中産下層階級および労働者階級の人たちが、祖国で上流階級の間で嗜まれている「競馬」に憧れ、植民地での新しい自分たちの地位にふさわしいであろう「競馬」を始めたーーそのために、様々な労苦を惜しまず、地面を整え、芝生を植え付け、主催団体を設立し、ようやく「競馬」を開催したそうです。

そして彼らは若くエネルギーが有り余っており、租界のリーダーはそのエネルギーが酒や賭博、中国の女性に向けられないように、競馬をはじめとした各種の運動に対してエネルギーが発散させられるように仕向けた、という事情もあったとの事。

有り余るエネルギーを酒や賭博や女、ではなくスポーツの方に、と言うのは健全ですね。(のち、賭博の要素は入ってくるわけですが。)

ともかく、上海競馬・中国競馬の始まりには、こんな人間模様、思惑があったという事実を知りました。

引き続き読み進めていきたいと思います。

少しだけ、最近の日本競馬で話題の藤田菜七子騎手の電撃引退についても書かせてください。(経緯は本記事では割愛します。沢山報道が出ていますので・・)

私個人としては、やはりおっさんですので、そりゃあ巨大組織・JRAと藤田菜七子騎手だったら、藤田騎手の肩を持ちたくなっちゃいます。

実際、彼女の貢献は大きかったと思います。

競馬ファンの裾野を広げ、後輩女性騎手たちの道を作り、彼女自身、JRA女性騎手の記録を数々塗り替え、積極的に海外にも乗りに行き・・。(私は個人的に、中山ダート2400mだったか、長距離で藤田はないだろと切って痛い目に遭った思い出が蘇る・・笑)


今回の引退経緯に関わる新事実はこれからも出てくるかもしれないのでまだ決着していないのかもしれませんが、引退届が受理され、JRAからも正式に発表され、「引退」は揺るがない事実として受け入れるしかありません。

ファンとして感じるのはただただ残念。

こんな形で幕を引いていい騎手ではなかったと思います。

それは、彼女にとっても、考えたら、今回心象をまたしても著しく落としたJRAにとっても。

折角獲得したファンを、今回の件でけっこう失うことになるのではないかな?

藤田騎手にとっても、JRAにとっても、そしてファンにとっても、全くハッピーではない幕切れとなってしまいました。

繰り返すしかないのですが、ただただ残念です。

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