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25年くらい前に一度だけ食べて忘れられずにいた和菓子と偶然再会した

 小学校低学年の頃だったか、1日だけ文化祭のようなものが催されたときがあった。今でもあれが何だったかわからない。企画も運営もすべて大人で、といっても先生たちだけでなく、外部からもたくさんの人が出入りしていたように思う。
 もはや誰とどんな企画を回ったのかはほとんど忘れているのだが、茶道体験をしたことだけは明確に覚えている。廊下の端っこのほうの教室で、小学生にお茶は地味だったのか、比較的空いていたので入った記憶がある。
 茶室風にアレンジされた教室で、着付けをした人から、お辞儀の仕方やお椀の回し方などの茶を口に入れるまでの、素人のガキにはさっさと飲ませてくれればいいのにと思う一連の動作を教えてもらったあと、お茶だけでは苦いだろうからということで差し出されたお菓子があった。
 「金沢のお菓子です」と言って差し出されたそれは、大きめのサイコロのような形をしていて、細かな白い粉が薄くかかっており、漆の平たい器に4個だけ、2段に積まれていた。楊枝みたいなもので刺して、それを口に入れたとき、あまりのおいしさに衝撃を受けた。そして、どうしてももう一個食べたいと思ったが、一人一個までというので叶わなかった。
 記憶に関して興味深いと思われるのは、この1粒といっていいほどの小さなお菓子がなかったら、小学校低学年の頃のあの文化祭のようなものの記憶というのは、その後の人生で思い出されることがなかっただろうということだ。人が直接経験したことについては、すべて覚えており、忘れているのではなく思い出せないだけだと私は考えている。これを書いている日の5000日くらい前のことを私は何一つ思い出せないと思うが、しかるべき刺激さえ与えられれば、思い出すことができると信じている。
 閑話休題。その小さなお菓子を食べて以来、折に触れて、あのお菓子は何だったのかということがずっと気になっていた。のちにGoogleという便利なものが現れても見つけられることができず、いっそ金沢まで行こうかと思ったことが何度かあった(とはいえ、さすがに菓子ひと粒のために数万かけて行くのは期待値をあげすぎて逆に幻滅が待っているかもしれないと思ってやらなかった。というか、単純に怠惰からなのだが)。

 それから幾星霜、先週、いつものようにゼミに出席した際、ゼミの先生からお土産をいただいた。金沢土産ということで、小さいお菓子を参加者に配っていらした。何気なく頂戴し、最初は机の上に置いておいたのだが、ゼミ中にちょっと口が寂しくなり、あめでもなめるかくらいの感覚で和紙のような包みを解いた。包まれていたものに、なんとなく見覚えがあるのを感じながら、そのまま口へ運んだ。口の中で溶けて行く感覚とともに、「アレだ」とわかった。包みを見ると、「Aikouka」とあった。愛好家、愛効果、愛甲か。検索したら、愛香菓だとわかった。ついに突き止めた。感激して、ゼミ後に先生に伝えたところ、残っていた3個を箱ごとくださった。帰り道、すぐさま食べながら少し高いソファのカフェへ向かった。やっぱり美味しい。美味しいのだが、同時に、何かが足りないとも思った。お茶だ。当時のように、いいお茶と一緒に食べたいと思った。そして私は、愛香菓と最高に合うあの茶を探す旅に出た……。

(完)


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