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母語(話者共同体)からの自立へ ——片岡義男『日本語の外へ』
文庫本にして600頁超。正直なところ、読むのが辛かった。とはいえ、著者が根っこの部分で持っている問題意識への共感を頼りに、なんとか耐えて読み切った。私が抱えていた問題意識というのは、「膜のように自分を覆っているものとしての日本語(=筆者の母語)」とでもいうべきものであり、その中で居心地の良さ、あるいはその悪さについてのことだ。そしてこの膜に覆われているのは、自分だけでなく、もしかしたら、日本語母語話者の共同体全体かもしれない。その内側で安住することの、なんと心安らかであることか。
ところで、この前まで論文を書いていたので、その反動でだいぶ自由に書くことを自分に許してみたい。というわけで、話は先月していた短期のバイトの話になる。
そのバイトというのは、ひとことで言うと、訪日観光客のコンシエルジュ的な業務だった。使用言語はほとんど英語であった。いちおう私は(もう10年前になってしまうが)TOEICで950点を取っていて、英検1級もギリ不合格になるくらいだから、英語ができないわけではない。修士論文を書くにあたっても当然のことながら英語文献を参照した。だが、業務が務まらないほどではなかったものの、外国語(英語)がどうしても出てこず、何度も冷や汗をかきながら仕事をしていた。外国語を話せない自分、というものに久々に直面することになったわけである。
今回、この話せなさについて、とりわけ私が焦りと不思議な感覚を覚えるのは、春先に主に欧米から来ていた留学生たちの日本語作文の授業を、実習という形で、分担して持っていたことと関係している。彼らは、初中級クラス(参考として、正確な比較にはならないが、日本語母語話者における英語学習で例えるならば、英検3級と4級のあいだくらいと考えてほしい)の学生でありながら、私との日常会話にあまり不自由していなかった。
こちらが言ったことを正確に理解しているかということは、もちろん確かめていないし、「私が言いたかったこと」を他人が「本当に」理解できているかなんてことは、母語話者同士だとしても追求すれば際限のないことである。そこで、基準としては、言語ゲームが成立していたか、ということになるのだが、そのライティングの授業の学期末の打ち上げとして行われた、鳥貴族2時間飲み放題食べ放題のなかで、確かに私たちはことばを交わし合い、和気あいあいとした時間を過ごしたのである。もちろん、留学生の側からすれば、母語でないことの制約によって言おうとして言えなかったこともあるだろうし、私もあえて簡潔に述べて済ませたところもある。しかし、ずっと話していたことには変わりはない。一方で、もし自分が、いまロンドンなんかに送られて、パブで現地の人たちと2時間飲み食いしながら騒ぐことができるかといえば、できない。コミュニケーション能力以前の言語運用能力的な問題として、たぶん、できない。
ある程度の語彙と文法を私が備えていると言えるのは英語だから外国語といいつつ話はどうしても英語の話になる。そのことを許してもらいたい。改めて英語(外国語)の使えない自分ということを考えた場合に、ふたつの可能性があることに気づく。ひとつは、「英語が苦手」ということである。外国語が苦手というわけではないが、英語という言語と相性が悪い可能性、というのは十分考えられる。スペイン語や韓国語であれば、勉強すれば意外と自分でも話せるものなのかもしれない、という可能性。もうひとつは、日本語じゃないからうまく話すことができない、という可能性。もちろん、両方の可能性が共存することもあろう。だがいまここで重大なように思うのは、後者の可能性についてだ。
ある程度は外国語の勉強をしたのに、でも、それが日本語ではないために、話すことができない。ということになれば、私は外国語を一生話すことはできないだろう。それではまずいと思う。だけれど、私の母語が日本語であるということはもう動かせない。ではどうすればいいのだろうか。
外国の人を相手に外国語を使うとは、母国語によって自分の頭のなかに精緻に構築された世界、つまり発想や思考そして表現のしかたすべての、外に出ることだ。きわめて当然の、しかも基礎中の基礎のようなことだが、僕がTVで見た英語を喋る日本の人たちには、この基礎的な認識や理解がごっそりと欠け落ちていたようだ。
私自身の外国語を話すことのできなさ、というのは別の見方をすれば「ためらい」によって制約がかかっているものであり、ある意味で引きこもり的とも言える。それゆえ「外に出ること」を勧める片岡の言葉は私に響いた。では、何が私を日本語の「外に出ること」から阻んでいるのだろうか? 片岡は日本語の「主語」のない文について述べたところで、次のように書いている。
[...]喋り手や書き手として「私」という自分が存在していることは、日本語世界では誰もが最初から了解している。了解しているからいちいち「私」を出さなくてもいいだけではなく、「私」ひとりにすべてを固定しないほうが日本語としては都合がいい。なぜなら、「私」がいるという了解の背後には、「私」はじつは状況によってほかの存在でもあり得るし、最終的には「私」はみんなのことであり、みんなとは日本人全員のことであるという、もっと大きな了解事項が横たわっているからだ。
私がなんとなく冒頭で「膜」と呼んだものが、ここで言い当てられているような気がする。少し話は逸れるのだが、いま私が考えているのは、日本語の造語力の高さと新語・流行語を生む文法の柔軟性(のようなもの)である。例えば、「界隈」が本来的な意味から外れ、地理的用法以外にも拡大する。さらには「◯◯キャンセル界隈」というような形で別の新語・流行語と結びつき、定型表現と化して、SNSを中心に流通が加速する。こうした逸脱を逸脱として認識し、新しい用法として自らの言語体系に組み込んでいけるのは、母語話者(もしくはそれ並に熟達した日本語使用者)だけだ。そうした表現が日常化することは、日本語教育と無縁でない人間として、非常に頭が痛い。独自の造語や言い回しが排他性と結びつくことは『時計じかけのオレンジ』などが示唆している通りだからだ。日本語は「内輪ノリ」を加速させやすい言語なのではないだろうか?と訝りたくもなってしまう。
話を戻して、上で引いた片岡の引用を敷衍させれば、次のように言ってしまえるかもしれない。日本語の話者というのは、日本語を使用するとき、「相手が日本語話者であるならば、自分のいうことがわかってもらえる」ということを暗黙のうちにアテにしているのではないか。このことを指して「甘え」と言ってみても良い。「あのー」と言って他人に顔を差し出したり、「つまり、」と述べて話をまとめようとしたりすることの中に込められる話者の願いというものがあり、聞き手もそれを読み取る。「察し合い」とはそのようなコミュニケーションのありかたのことだろう。
察し合うこと、つまり相手の気持ちのなかをのぞき込み、そこにある主観的な感情を読み取り、それに対して訴えかけるかたちで言葉を使い、相手からもおなじようなかたちでの言葉の使いかたを暗黙の了解として期待すること。このことの反復が母国語の機能とその作用範囲だ。察し合いとは、母国語として身につけたいくつもの定型の、おなじく定型的な応用の繰り返しだ。すでによくわかっていることを全員で撫で合い、あらかじめわかっているところへすべては落ち着く。
これまでのことを踏まえて、冒頭で提起した問題についてふたたび考えると、次のように言えるのではないだろうか。私が外国語をうまく話すことができないのは、母語の外へ出ることが怖いからである。なぜ怖いかと言えば、自分の母語の話者共同体(この集合は現在、日本国籍を持つ人々の集合とほぼ重なる)をアテにすることができなくなるからである。では私は何をアテにしているのか。それは、自分の発話にどこか問題があったとしても、最終的に他者は自分のことを「わかって」くれるということである。言わんとすることを「察して」くれるということである。だが、それは幻想だろう。でもなぜそのような幻想を見ることが可能なのか? これに答えるには循環論法に頼るしかないように思われる。つまり、なぜならそれは彼らが私と同じく日本語を理解するからだ、と。
外国語を話すとき、他者の「察し」をアテにすることはできなくなる。そのアテなしに話さなくてはならない。しかし、日本語環境のなかで、どっぷりと他者をアテにしてばかりいる人間に、果たしてそのようなことは可能なのだろうか。ここでようやく、「個人」ということが問題になってくる。ある言語を話すとき、その言語を話す共同体の支えなしにその言語を使用すること。それが個的な(individualな)言語使用者としてのあり方だ。片岡の問いとしては次のように言われる。「日本人は語るに足る主体としての個を持っているのか」(429頁)。
片岡はこの後の部分で、日本における公共性の欠如を批判する。「公共性というものの目を覆うばかりの欠如。公共益のおなじく目を覆うばかりの巨大な欠落」(471頁)。日本におけるそうした現状の原因とされるのが、いわば会社主義とでもいうべきものである。「日本では企業の力がたいへん強い。日本のほとんどあらゆる領域を企業が支配している」(496頁)という片岡においては、日本人とは半面が雇用者としての人材であり、もう半面が消費者であるコインのようなもので、そこには「個人」というものに対する自覚が決定的に欠けていると考えられている。
会社主義とはまた民主主義とも対立するものである。少し長くなるが、重要なところなので長めに引用する。
[...]異質な多くのものを、とりあえずもっとも妥当な方向に向けて、ほぼひとつにまとめて進ませていくシステム。それが民主主義だ。日本の会社主義をつらぬき支えてきたのは、その正反対のシステムではなかったか。
日本人は異質なものを排する、と日本人自ら言っている。変化も基本的には歓迎しない、とも言う。自分のところだけで閉鎖していたい気持ちが基調として常にあり、それゆえに閉鎖してしまいがちだと、彼らは自分について言う。[...]
異質なものとは、あたりまえのことだが、自分とは違うものすべてだ。たとえば外国とのあいだにあるあまりの違いが目に入ると、反射的に圧倒されてなにも言えなくなっていたのがこれまでのありかただとするなら、これからは違いを出来るだけはっきりさせればいいだけだ。自分はこうなのだ、自分はこう考える、自分はこうしたいのだ、ということを相手に向けて可能なかぎり明瞭に言うと同時に、相手の言うことも受けとめて聞いていく。一方的な主張を、対等で等分な、双方向のやりとりまで、ずらせばいいだけのことだ。
相手と自分との違いをはっきりさせるためのコミュニケーションを積み重ねていくと、相手と自分とのあいだでなにがどのように問題になっているのかが明確になっていく。おたがいの要求、おたがいの目的などのあいだにある開きや差が、はっきりしていく。両者ともにおなじと言っていい部分。まだおなじとは言えないが接近の可能性が充分にある部分。そしてとうていおなじにはなれない部分。基本的にこの三つの相がはっきりすると、次に可能になってくるのは、それではここはこうしてみませんか、という積極的な立案と提案だ。提案を相互に重ねていくと、両者にとって均等に作用するルールのようなものが、やがて見えてくる。国内でもこの作業は必須だろう。異なる多くの者にとって均等に作用するルールとは、国内ではいま日本に決定的に欠けている公共性のことだから。
片岡のこの焦りすら感じさせる筆致は、湾岸戦争後の国際社会における日本のプレゼンスを意識して書かれていることと関係している。片岡が本書を通じて試みているのは、日本が「こうしようと言える」(ロナルド・ドーア)ために必要な条件を探ることである。
地域の安定をこんなふうに作っていこうという提案、そしてそれに沿って地域の各国と作っていくさまざまな関係の維持のなかにしか、日本の安定はない。威嚇にそなえる軍備というものが過去のものとして後退していくいま、日本にとっていちばんやっかいな、したがっていちばんやりたくない作業が、じつは地域内でのこのような関係作りなのだ。
本書が出版されたのは1997年である。2025年の時点から見ると「威嚇にそなえる軍備というものが過去のものとして後退していく」という記述には、さすがに時代の制約を感じざるを得ない。だが、根本的な問題意識は、古びていないように思う。
私自身の「外国語が話せない問題」から、かなり遠いところまで来てしまった。長くなってしまったので、そろそろいったん切らなければならない。いま私の頭に浮かんでいるのは、長田弘の本のタイトル、「一人称で語る権利」という言葉である。片岡は、英語のI(アイ)に相当する日本語は、ひょっとしたら「うち」ではないかという(583頁)。西欧語をやや理想化して述べるが、その意味においては、日本語には本当の意味で一人称は存在しないことになる。そのような言語において、「ある言語を話すとき、その言語を話す共同体の支えなしにその言語を使用すること」はいかにして可能なのだろうか。つづく。多分。