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不公平を怨むな。

世の中というものは不公平なものだ。

別に嘆いてるわけではなくて、ただそういうものだと思う。

人生トータルで考えると、みんな幸せと不幸の数は一緒で公平なんだと言う人もいるけれど、それは大なり小なり苦労はあれど幸せだった人の意見だ。

例えば産まれてすぐ親に命を奪われる赤ちゃんにどんな幸せがあっただろう。

生きることができたとしても、愛されず育った子供は、愛されて育った子供が当たり前に持つ根がない。
その後の人生で、みんな普通に立ってるところを根もなく踏ん張って立つには、どれだけ努力や精神力が必要なことか。

また、飢えや生活に苦しんだり、暴力や思想の支配で人権さえなかったり、事件や事故、病気等抗えない出来事に襲われたり。
表立ってなくても、世の中引くほどの不幸というのはいっぱいある。

そこまでいかなかったとしても、容姿や能力、環境など、不公平をひしひしと痛いくらい実感している人も少なくないだろう。

でも、そういうものなんだ。

なぜ自分がこんなに不幸なのに、あいつはあんなに幸せそうなのか。
そんな怨みにも似た感情は見渡せばそこらじゅうに溢れている。
些細なことでも、大きなことでも。

だからといって、幸せな人を傷つけても自分が幸せになれるわけではない。
椅子取りゲームではないのだ。
決して、誰かを落としても自分が上がれるわけではない。
ただ、自分の傷が増えるだけ。
人を不幸にする人になるだけ。
そしてそのベクトルはとんでもない勢いを増して自分に返ってくるだろう。

だからなんていうかな、不公平で嘆いてもしょうがないと思うんだ。
悲しいかな、そういうもんだ。

幸せそうな誰かを攻撃しても、その幸せを自分のものにはできない。
誰かを言い負かしても勝ちではないし、恐怖や暴力で支配しても、きっと欲しいものは得られない。

それに、その幸せそうに見える誰かも、
本当は引くほどの不幸を乗り越えて、必死に踏ん張って立ってる人かもしれないんだ。

幸せを人と比べるのは無意味だ。
そんなことみんな薄々知ってるはずなんだけど。
でもやっぱり人だから、そんなことすら見えなくなってしまう時もあるだろう。

そんな時は、今はそんな『時』なんだとやり過ごせたら。
そんな人なんじゃない、そんな時なんだ。
いつまでもそうじゃない。

自分の人生は自分のオリジナルストーリーだから、自分だけの幸せがあるはずだ。
それだけは信じていたいと思うし、信じて欲しいと思う。


#エッセイ #不公平 #私の主張 #ニュースで語る

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