群衆力学(Pedestrian dynamics)から見るヒトの形(ヒトは球とみなしてよいか?)【論文紹介】#19
人混みの振る舞いを大規模に調査するため、オランダで5番目に大きい駅であるアイントホーフェン(Eindhoven)中央駅の3,4番乗り場の階段とエスカレータの部分に次のような観測装置を置いた。
一日の利用者は約46,000人である(パンデミック前は約77,000人だったそうだが)。この装置によって2021年4月から2022年5月まで約1年間のデータを取り、従来の研究より3桁も多くの群衆の動きのデータが得られた。
今回紹介する論文はこちら。
階段上の群衆力学の大規模統計とその確率的基礎図式
High-statistics pedestrian dynamics on stairways and their probabilistic fundamental diagrams (arxiv.org)
最新ではなく去年のものだが、Pedestrian dynamics(決まった訳語はないようだが、ここでは「群衆力学」と訳す)の日本語解説のはしりとなることを目指してこの記事を書く。
2章と図2, 3で、深度センサーデータから人を追跡するためのデータ加工や機械学習についての記述が長いが本記事では割愛。
2章で定義され、今後も使う記号は次の通り。
階段を下る人の数:$${T_{stairs↓}}$$
階段を上る人の数:$${T_{stairs↑}}$$
エスカレータを下る人の数:$${T_{esc↓}}$$
エスカレータを上る人の数:$${T_{esc↑}}$$
密度:$${ρ=\frac{N}{\bar{S}}}$$(Nは観測範囲内の人の数、$${\bar{S}}$$は観測範囲の面積)
注目したいのは3章以降、階段上の歩行者の統計的な振る舞い。
まずは、典型的な平日での流量、向き、速さなどの統計は図4の通り。
まず図4(a)、下るほう(寒色系、朝ラッシュに多い)は降車後すぐに階段になだれ込んでくるので鋭いピークとなるが(最大で50人/分、これは1つのエスカレータの両側に立ち止まって達成できる限界流量の8割程度)、上るほう(暖色系、夕方ラッシュに多い)は乗車までにホームに着けばよいのでピークは分散するというのが、駅の階段という特殊な状況を反映している。
また図4(b)から、エスカレータを使用する人が多いこと、階段の上り(赤)はかなり少ないことがわかる。駆け込み乗車がそこそこあるのか、エスカレーターの上り(黄色)でかなり速い流れ(上方向の裾)も観測されている。それに比較してエスカレーターの下りは、急ぐ人が少ないせいか160人/時くらいの同じ速度でまとまっている。
図4(c)では、階段の上り下りとホーム上の水平歩行時の水平速度を比較した。
ただの正規分布とは違い、階段では速い側に長い裾が、水平歩行時は遅い側に長い裾がある。これは、階段の場合、速く行きたい人が一定数混じっていて、水平歩行時は、遅かった人も速くなるが、遅いままの人も一定数いるようだ。これを分析するために2つの正規分布の混合でフィッティングしたのが図6である。階段上りも下りも○印で示される実測データと非常によく一致している。
図4(d)では次の5通りに分けて、その状態が現れる時間を調べた。
全員下り(濃い緑)
60~99%下り(薄い緑)
両方向60~40%で混在(茶色)
60~99%上り(薄い赤)
全員上り(濃い赤)
下るほう優位の状態が長時間あり、両者同じくらいの状態や上るほう優位の状態は高密度では全く見られなくなる。
さらに、階段とエスカレータの場所ごとの速さや密度を調べてみたのが図5。
まず、人の密度を調べた図5(b)では、圧倒的にエスカレーターでの密度が高いことが見て取れる。エスカレータは右側に立ち止まって、左は速く行きたい人のために開けてある。(右に止まるのは日本では関西だけだが、世界的には右に止まるのが標準である。)
また、興味深いことに階段にも3列のレーンが見える。
速度(c)と加速度(d)の分布からは、階段の踊り場で速くなることと、下りエスカレータを降りる直前に速くなることがわかる。向きは矢印で示される通りで、階段もエスカレータに合わせて右側通行になっている。人数の多い下りは2列、上りが1列で計3列になっているとみられる。
人同士の距離の取り方に関して、人の接近を許容しなくなる対人距離という概念がある。先行研究(Gérin-Lajoie, Richards, Fung and McFadyen (2008))によれば、縦の長半径は2m、横の単半径は0.5mの楕円形とされている。
本論文では、半径R=0.75(m)の円(面積1.86m^2)で近似する。これは、やや混んできたときの平均的な対人距離である。この面積を基準とし、観測範囲の人の密度と対人距離を調べたのが図7である。
図8(a)~(d)のように、対人距離円の面積の合計を計算して図7(a)の縦軸にプロットしている。推測としては、密度が低ければ人数に比例して青線のように直線的に増え、密度が高いとすでにいる人の対人距離円で埋め尽くされているので赤線のようにそれ以上増えなくなると考えられる。(青線から赤線に切り替わるのは、円を隙間が空かないように六方最密充填したとき。)
しかし実際に観測された黒の点と青の幅は、それより低く推移している。これは、理想気体分子とは違い、全体が低密度だとしても圧縮を受け入れる(比較的接近することが多い)ということである。図7(a)の右下はその圧縮率を示したものである。一人一人ばらばらではなく、近接して歩く数人のグループもそれなりにいることの効果であると考えられるが、統計的に見ると理想気体よりも分子間力の強い気体の性質のように見えるのは興味深い。この圧縮率は、文化の違い、習慣、形状、群集の流れの状態に依存すると予想される。
また図7(b)に示される最近接の人との距離は、密度が上がると0.6mに漸近しているが、これは、図5(b)に見られた階段上の3つのレーンの幅にほぼ一致している。
対人距離の取り方がどうなっているかをもう少し詳しく知るために、位置取りの仕方を調べたのが図8である。
図8(e)~(h)は印象的な図である。階段上を歩くとき、左右は人の接近を許容できるが、前後はあまり許容できないことが示されている。これは、もし前の人が急に止まったり転倒などした場合のために、前はスペースを空けておきたいという効果が考えられる。(意識するのは前だけと思われるが、後ろの人も同様に考えるのでほぼ同じだけ後ろも空く。)
また、人がいる確率のピークを結んだ点線を見てみると、先行研究の通り、縦長の楕円形が見て取れる。この楕円は、密度が高くなると小さくなり、円形に近づいている。密度が上がってきた場合でも、前述の効果のため前後は開けようとしている。
図8(e)のような階段上に4人とかのスカスカの場合でも、左右1mくらいにいることが多い(理想気体なら最近接の人の位置の確率分布は均一になるはず)。これは、図7で示されたような、スカスカでも近づいて歩こうとする数人のグループによって、理想気体よりも圧縮を許す(近接しようとする)様子が現れている。
以下、私の考察だが、人を球とみなせるかという(ふざけた)問いが浮かんだので考えてみる。図8(e)~(h)に示されたように、人の接近を許容しなくなる縦長の楕円の範囲は、密度が高くなれば円に近づき、極限状態なら球とみなせるだろうか?それでも、図8(e)~(h)のカラーマップに示されるように、前後方向と左右方向は許容できる接近数に違いがあるので、やはり球とはみなせないだろう。
二酸化炭素のような横長の分子とみなせるだろうか?一般に、気体分子は横長になると、分子量の割には分子間の相互作用が大きくなり、比較的高温でも液体になりやすいという性質はあるようだが。分子間力(水素結合・ファンデルワールス力・沸点のグラフなど) | 化学のグルメ (kimika.net)
そもそも、群衆力学において気体と液体の違いは何か、何が観測されれば液体と言えるかが不明である。(もうちょっと考えたらうまい考察や追加実験案が思い浮かぶかも)。群衆力学はまだ発展途上の研究分野なので、今後まだまだ面白い発見がなされるかもしれない。
もう一つ思った考察として、圧縮率は、文化の違い、習慣、形状、群集の流れの状態に依存するという記述があったが、やはりその違いはぱっと見でわかるほど大きいようだ。
国ごとに違うらしい「パーソナルスペースの広さ」、調べてみたら中国とフィンランドのものが衝撃的だった - Togetter
東京、ジャカルタ、デリー、マニラ……今や、世界の都市圏の人口ランキングは非ヨーロッパの都市が台頭する時代になっている。これは群衆の振る舞いとしての性格の違いと思われるし、日本のどこかでも本論文と同様の調査をしてみたいと思う。図7に示されるような理想気体からの圧縮率と、図8に示される隣接者との距離の取り方の関係も文化などによって違うだろう。
ちなみに群衆事故(意外なほど死者が出た事故がたくさんある)は、高密度になりすぎて地面も見えなくなり、視界が人だけになるせいで、止まればいいかもわからず流されるままになる人が大多数になることによって発生してしまうようだ。セルオートマトンとその統計によるこちらの研究も興味深いArticle_No_29.pdf (kyushu-u.ac.jp)
追記(2024/05/09)
群衆力学における気体と液体の違いについてふと思いついた。
図8で、高密度になると左右の一定距離に人がいる確率が高くなる。低密度でもまあまあの確率で左右の一定距離にいる確率が高いが、これは、人が入れ替わっているかずっと同じ人と隣り合っているかを区別していない。
高密度で、流動的でありつつもほぼ一定距離が保たれているということなら、液体とみなせそうだ。
低密度で、左右にいる人がずっと変わらないのは、二量体の気体のような振る舞いとみなせそうだ。
検証方法としては、図8で示される左右の一定範囲内にいる人がどれくらいの頻度で入れ替わっているかを見れば、高密度で入れ替わりが激しくなるのが観測されるかもしれない。
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