目の前にいる人が自分だと思って接することで、日々が面白くなる。
日々を平穏に戻そうと意識したら、一気に元に戻った。
気がする。
うーん、私の感覚だけれど、決して気のせいではないとっている。
変な方に向いてしまった自分の首から上をグイっと強制的に戻した。
自然と~とか、優しく~とか、撫でるように~とか。
そんなささやきボイスが聴こえるような生ぬるいものではなくて、ガツンと「向き変えろ」と自分に真正面からお伝えした。
アレがあってコレがあったからこうなった。
だけがわかっていれば、あとは簡単。
とにかく意識を変えることが先。
そもそも意識を変えずして日々が変わるわけがないのだから。
自分を一番に大切にするとか、それは私の中で大きなパワーになっているけれど、それは自分以外の人には適当にするという意味ではない。
自分に目を向け続けると、本当に色んなことが手に取るように理解できるしひねくれていた私だって小さくなっていくのがわかる。
そしてある日突然に、目の前にいる人に対して、【まるで自分であるかのように】接したい。
と思った。
もちろん相手に良さそうなことをすることによって、自分を認めてもらおうとか、自分に目を向けてもらおうとか、そんな下心丸出しな話ではなくて。
私が機嫌が悪いと機嫌が悪くなる。
私が笑えば笑う。
私がありがたいなと思えば、ありがたいなと思う事をする。
みたいな、ことが面白いくらいに感じられるようになったから。
ああ、あの不感症の頃の私は、たくさんの人の愛を全部取りこぼしてきたのかもしれない。
欲しい欲しいと思っていた頃は、自分以外の人に対して心の中で文句ばっかり言っていたし、そんな自分に与えてくれている愛にちっとも気付けなかった。
目の前にいる人は私が放ったものをそのまま放ってくるということがわかるとこんなにも毎日が鮮やかになるんだ、って思う。
何を選択するのも本当に自由。
嫌な気持を放って、終わりのない嫌な世界にいる選択をするのも良い。
愛を放って、愛にあふれた世界にいる選択をするのも良い。
もちろん、良さそうな事ばかりで人生が埋め尽くされるという意味ではない。
ただ、せっかく生きているのなら、わざわざ嫌な気持ちの方向へ自分を持っていくのもつまらない。
だから、意識的に自分がどうしたいかを常に(結構コレ‼割と常に考えてる!)見ていくと、点と点が線になる瞬間がたくさんあるから面白い。
そう、面白いんだよね単純に。
驚くほどに面白くなる。
家族とか友達とか、職場の人とか。
何でも誰でも良いけれど、もしこの人が私だとしたらどんな言葉をかけてもらったら嬉しいか、どんな反応をしたら嬉しいか、を考える。
あ、あくまでも私の実験の1つの結果なので、絶対はないですけどね、、、笑