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夢を叶えることと、その先にある生活のこと


わたしにとっていちばん大切なのは、納得のいく毎日の「生活」を送ることなのだ。と気づいたのは最近のこと。転職が大きな転機としてもちろんあって、同時に自粛生活が始まって、急に毎日自分と向き合う日々が始まった。

ここ数日、大森靖子ちゃんのZOCのインタビューを聞いていたから、靖子ちゃんっぽい文章になっているけど許してね。(あと今ブレイディみかこさんの本も読んでるから、それも混ざってるかも〜読んでいる本や見ているものの文体に引きずられがち)



1日が納得いく形で終えられていないと、ずるずる寝る時間が遅くなって、どんどん思考がネガティブになって、そして睡眠不足になりがち。

この2ヶ月、気持ちがどんよりしていて、何も分からずに情報に溺れて疲れ切っていた4月、やりたかった仕事に就けてハッピーなはずなのに「転職」という一時点の目標しか持っていなかったわたしは「この先、何がしたいんだっけ?」「どういう人生にしたいんだっけ?」「てかわたしって何?」「あと50年は人生あるけど、どうする?」みたいな、人生に対する絶望みたいなものが一気に押し寄せてきて、塞ぎ込んでいた。

この、人生は点ではなくすべてが線でつながっていて、どんな肩書きとかどんな職業かとかよりも、納得のいく毎日の生活の方が大事だ、ということに気づいて、どうして今まで気づかなかったんだろうとか、考えていた。

転職したことによって人生が2歩ぐらい前に進んで、それで今後のことがまったくの無計画になってしまって、計画人間のわたしは不安になっている、というのが先月。大学を卒業するときは、「とりあえず就職する」が目標だったし、社会人になってからは「転職する」が目標だったので、その先の計画なんか何にもなかったんだ。

"本当にムリなんだけど。"と友人に話していたら「それは壁にぶつかってるだけでしょ」と諭されて、その時は「はあ?なんなんだよわたしは人生に絶望しているというのに」という気持ちだったんだけど(わたしはこの時とにかく共感を求めていたっぽい、いちばん面倒な女の典型的パターンを地でいくのがわたしだよ)

人生に絶望している、などというと贅沢な悩みだなと思われるかもしれないけれど、まあわたしも同じことを思った。俯瞰で見ると、こんな不安定な世の中で、仕事があって、だいすきな友人たちがいて、家族も元気で、健康で、側から見ると何を言っているんだと思われるかもしれないのだけれど、"しっくりこない"という感覚はこんなにも自分を蝕むのか、と気づかされていった。(あと、たぶんさみしさもあった。)

今月になって、例の如く現実逃避タイム(フィクションを摂取すること)によってなんとなく悩みの解像度が上がってきて、ああわたしはとにかく日々の生活が大事で、納得いく毎日を送りたいだけなんだな、すきなひとたちに囲まれてすきな仕事をして日々を過ごしていきたいんだな、という気持ちが強くなってきた。




昔から「”夢を叶える”というのは、本当に難しくて、だからこそ素晴らしいことなんだ。(だからわたしにはできるわけがない。そもそも夢もないし)」と思い込んでいた。選ばれた人、本当にやりたいことがある人だけがそれを叶えることができて、それ以外の人たちはなんとなく仕事をして生きていくんだろうな、という漠然とした思い込みがあった。(自己肯定感が地の底ほどに低かったので、もちろんわたしは一生"それ以外の人たち"として生きるんだろうなと思い込んでいた)

「仕事は辛くてブラックで職場の人間関係はヤバくて、それでもお金のためにみんな働いている。大人は大変だな」という思い込みがあった。楽しそうに働いている大人が周りにはいなかったからかもしれない。TVを見ていなかったので、ネットから得られるネガキャン情報をすべて鵜呑みにしていた。

高校教師をしていたとき、仕事が本当に楽しかったから、わたしと同じように「仕事は楽しくない、大人になりたくない」と思い込んでいる子どもたちを解放してあげたいという密かな企みがあった。だから「先生みたいな25歳になりたい」と言われたときは、死ぬほど嬉しかった。楽しんで仕事をしている楽しい大人でいることだけが、その姿を見せることだけが、わたしにできる唯一のことだと思っていたから。


友人が最初に夢を叶えたのは、わたしが中2の時だった。通っていたダンスの教室で一緒だった一つ上の友人が、宝塚音楽学校に合格した。彼女は抜群に歌がうまくて、小学生の頃からプロフィール帳の将来の夢の欄に「タカラジェンヌ」と書くような人だった。こういう信念がある人だけが夢を叶えられるんだな、とその時思った。(中3は、宝塚が受けられる最初の年で、最初の年に一発で受かるのは本当に本当に凄いことなのだ)

次に友人が夢を叶えたのは、わたしが高2の時だった。これもまた、通っていたダンスの教室で一緒だった同い年の友人が、宝塚音楽学校に合格した。彼女と出会った時、わたしたちは小5で、彼女は学校で酷いいじめに遭っていて(頭の上で雑巾を絞られたりするような、聞いているだけで本当に辛くなるレベルだった)、真面目で大人しく、プロフィール帳の将来の夢の欄には「詩人」と書くような子だった。

彼女にとってはこのダンスの教室が居場所で、ここに自分のいちばんやりたいことを見つけたのだろう、必死に死ぬほど努力してお稽古して、ごはんも食べずに身体を絞って、そして合格した。こんなに努力して夢を叶えられる人が身近にいることに驚いて、「夢を叶える」ということはこんなにも大変なことなのか、一部の限られた人にしかできないことなんだな(だからわたしにはムリだ)という思いばかりが強くなっていった。(宝塚は「東の東大、西の宝塚」と呼ばれるほどに倍率が高く、合格するのが本当に難しい。倍率が25倍ぐらい)

諦め癖ばかりついていて、でもそれは負けるのが怖いことの裏返しで、一生懸命やることはダサいという思い込みがあった。(何をやっても褒められることがなく、もっとできないの?と言われ続けてきたからいつの間にか「怒られない程度にやるのが正解」という考えになっていたんだと思う)本当に良くない刷り込みだった。

小3でもうすでにクラシックバレエを始めるのは遅いと思い込んだわたしは、小5からダンスやバレエやお芝居を始めた友人が宝塚に受かった時、何かを始めるのに遅すぎることなんかなくて、ただただ自分に言い訳していただけだと気づいて、本当に後悔した。これは一生の教訓になっていて、何かやりたいと思って「でももう遅いし…」みたいな気持ちになる時はいつもこれを思い出している。



時は経ち、「自分には何もない、本当に何もできない、社会の役に立てることなんかない」と思い込んでいたわたしも、環境と運と人にだけは本当に恵まれていて(これがあればかなり最強な気がする)、どうにか教員採用試験に引っかかり、しかもそれが結構適職で(人の良いところばかり目につく癖と、バランスよく人並みにだいたいなんでもこなせるというマルチタスクは、現場の教員に最も必要なスキルだったっぽい)職場の人もみんな超優しいし、すごく丁寧に教えてくれるし、パワハラされることもなく全力でサポートしてもらえるし、しかも仕事楽しいのにお金もらえるって最高では?と思うようになっていった。

けれどもやっぱりこれはいちばんやりたかったわけではないから、「やりたいことできる進路を選びなね」と言ってるわたしがこんな体たらくでは駄目でしょう、矛盾しまくりじゃんと思って、この先の生き方についてよく考えるようになっていった。ちょうど、後述のカツセさんの言う「マジックアワー」って時期だった。



小学生の頃からずっとファッション誌を読んでいたのだけれど、popteenを読むマインドギャル(兼オタク兼真面目なJC)をやっていた中3の頃に出会った菅野結以ちゃんというモデルのおかげで人生が狂った。この人の好きなものは全部知りたい!と思うようになり、彼女の好きな音楽・本・映画をだいたい摂取した結果だいぶ感受性が耕され、「なにはなくとも全部自分で選んできたんだって胸を張って言える大人になりましょう」という言葉に励まされ、いつしか雑誌を作る人になりたいと思うようになっていた。


そしてまた時は経ち、紆余曲折あって本当に本当に運良く転職することができ、念願の女性ファッション誌の企画に携われることになった!のが今年の4月。嬉しいはずじゃん?だって夢、叶ってるし。こんなに遠いもの、一部の人にしか起こり得ないものだと思っていた「夢を叶える」ということが曲がりなりにも叶ってるわけじゃん?どうしてこんな毎日苦しいの?納得いってないの?


さて、今週はまずカツセマサヒコさんの『明け方の若者たち』を読み切った。感情移入しすぎてしんどくなるくらいリアルな描写もあり、苦しくなった。20代前半を扱った”何者かになりたい、でもなれない、でも…”の間で葛藤する主人公たちを見ていると、「わたしはどうして、こうやって自分のなりたかった仕事に就けているのに、こんなに苦しんでいるんだろう」の気持ちになってきた。彼は、自由で仕事しているから学生よりはお金があって若くて体力もあるからオールとかできて、という23・24歳を無敵の”マジックアワー”と呼んでいた。わたしはそのマジックアワーを仕事に全振りしていて、死ぬほど働いていた。食べなくても寝なくても働ける身体がほしい!と思うほど楽しかったから、後悔はゼロだけど、わたしの23歳は別にマジックアワーではないな、と思っちゃった。

これは余談だけど、「わたしと飲んだ方が、たのしいかもよ?」から始まる夏、どこ?てか、わたしが始めるわ。



そしてほぼ同時並行で、話題の韓国ドラマ『梨泰院クラス』を見た。「ビジネス復讐劇」と称されるだけあって、本当に面白い。全16話、一本1時間あるのに物凄いスピードで全部見ちゃった。色々あるけどわたしがいちばんこのドラマに励まされた部分は、自分のスキルを自分で売り込み、真正面から言いたいことを言い、仕事ができて、自分で人生を選択する強く頭のキレる女であるイソの生き方。

心の底からこんな風になりたいと思ったし、自分の意志で、必要とされるためにひたむきに努力している姿を見て、「あ、納得いかない毎日の原因はこれだわ、死ぬほど努力してないからじゃん」と腑に落ちた。

同時に、このドラマは学歴もなく前科持ちの男が自分の信念を貫いてどんどん夢を叶えていく話でもあるのだけれど、この人が夢を叶えていく様子を見ているうちに、ああやっぱり、人生は点ではなく線でつながっていて、夢を叶えるとか目標を達成するとかも大事だけど、その間の日々がどれだけ充実しているかの方がわたしにとっては大事なんだなと思うようになっていった。



わたしは"守破離"を大事にする方で、これはモダンバレエとジャズダンスとバトンと…と中途半端に色々踊りを経験した結果、「やっぱりクラシックバレエの基礎ができていないと、何するにも綺麗に魅せられない…(軸・体幹ができてないと何をやっても美しく見えない)」と反省したことがあるからで、上達したり達成するためにはとにかく基礎がいちばん重要だと思っている。

転職して一年目というのは、その基礎を固める時期なんだなと思う。尊敬するダンサーの友人などその道のプロとしてそれを生業にしている人たちは息をするように努力しているし、わたしはこの2ヶ月「努力の仕方がわからない」「何がわからないのか、わからないことがわからない」とか言って言い訳して、ろくに努力もしてこなかったので、まあそれが納得のいかない日々につながっているのだなあと、『明け方の若者たち』と『梨泰院クラス』を見て(読んで)思ったのでした。良い棚卸しになって、エンタメとしても楽しめて最高だったな。自分に必要な時に必要な本を読めたりすることがある。

その努力のベクトルや具体的な方法がわからなかったので、そんなの自分で考えなさいよって言われそうだけど失礼を承知でせんぱいにメールで聞いてみたら、ものすごく丁寧に教えてくれて本当に本当に感謝している…出会う人ほんとにいい人しかいないな?(これは教員時代に身につけたライフハックだけど、「××の方法教えてください!」じゃなくて「せんぱいはいつもどうやってますか?せんぱいのやり方知りたくて〜」というと皆教えてくれる。まあ前職場は世話焼きが多かったのもあるけど)教えてもらったことをまず全部やって、その上で自分のやり方を重ねてくだけだ。

まあでも、この2ヶ月世の中的にも大変な時だったし、友人にも会えないんだし別にそんな"頑張ってないからだめ!"みたいなことではなく、ゆるーく自分を許していこうと思います。頑張ってない自分許せない!となりがちなので…(その癖めちゃサボるからガンガン自己肯定感が下がりがち)




『溺れるナイフ』の挿入歌で「ハンドメイドホーム」という楽曲があるのだけど(大森靖子ちゃんの曲を堀越千史ちゃんがカバーしている)、その中に「毎日は手作りだよね」という歌詞がある。本当にその通りで、毎日は手作り、奇跡も手作り。要はわたしがわたしの生活をつくっていかなくてはならないのだ。

再三言うようだけど本当に縁と運と環境に恵まれていて、出会う人みんなマジで良い人(言葉がすごくチープになっちゃうけど一人ひとり本当に尊敬しているひと)ばかりなので、(というか良いとこばっか見えちゃうし、すぐすきになっちゃうからか?笑)あとはわたしが頑張るだけだなあ、などと思ったのでした。夢を叶えることも大事だけど、それよりも毎日の生活が大事だよねってはなし!

そろそろ会いたいひとたちに連絡しても大丈夫な頃かしら?長々お付き合いくださりありがとうございました〜


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