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幸せな世界に縁などない…はずもないね
怒涛のミュージカル鑑賞を終えていろいろ感傷に浸っている最中なのですが、一つ面白い気づきがありました。昔とは世界の見え方が変わってる…!
今まで好きな曲と言えばレミゼの「オン・マイ・オウン」や「夢破れて」、ウィキッドの「この幸せ」や「闇に生きる」、オペラ座の怪人の「ポイント・オブ・ノー・リターン」などなど。意識してみると、なんか不幸な曲だらけ。
今回舞台版のレミゼを観て初めて目についたキャラクターがいました。それはコゼット。映画版だとあまり意識したことのないキャラクターだったのですが、よく考えたら大人コゼットは劇中の女性内でほぼ唯一のハッピー要員。彼女の存在を今まで素通りしてきたのはただ映画版の歌声がそんなに好きになれなかったからなのか、それとも「運命の人」と結ばれる最もらしい「幸せ」を手にするキャラクターだからなのか、思わず考え込んでしまいました。
今まで一番共感するキャラクターといえばエポニーヌで、代表曲は何度聴いたかわからないくらい。ズブズブの片思い沼(?)にはまった彼女の「一生夢見るだけさ」ってフレーズにはなかなかのパンチ力があります。ただ、ここまでこの曲にハマったのは、いつのまにか彼女同様叶わない恋が板についてしまった自分と重ねていたからなのか?という疑問が頭に浮かんできたわけです。純粋に歴代女優さん方の歌唱力が凄すぎて引き込まれただけなのかも知れませんが。参考までに最新の日本語オフィシャル動画のリンクを載せておきます(おすすめは1:53から)。
ミュージカルを見始めた頃と比べると幾分か人生経験も積んで、誰かに求められたり大切にされたりという機会も重ねてきたので、今回コゼットというキャラクターに違和感を感じなくなったのかなぁと思うのですが。人間、見たくないものや納得できないものはとことん見えないようにできているんだなぁと思ってしまったわけです。私にその意思さえあれば、長年の思いが届かないまま死を迎えるエポニーヌと対極に位置する(大人)コゼットと自分を重ねて、素敵な人と結ばれて幸せになる姿を想像することもできたはずなのに。おそらく、昔の私にはそれらしい幸せのようなものを信じられなかったから、コゼットという存在に説得力を感じなかったのかもしれません。定石すぎるんだもん。やたらと美人で愛されキャラで、幸せを掴む女性って。たとえ壮絶な過去を抱えていたとしても。
周りの人がどのキャラクターに一番感情移入するか気になるところです。どんなことに幸せを見出して、どういう人生を歩んでいるのかも。
他に印象的だったのは、オペラ座の怪人の過激すぎるストーキング行動。私には謎の付き纏い不安があり、知り合いが急に私の行動範囲に現れるようになるのにも、予期せぬ再会をしてストーキングを疑われるのにも、強い嫌悪感があります。ミュージカルを観ていて思ったんですが、まさか私の不安の出どころってここ…?ストーカーと言うとトラウマ級ドラマの「ラスト・フレンズ」(2008)も思い出すのですが、初めて「オペラ座の怪人」の映画を観た時期はその2年後。あまりに頻繁にストーカーと化した狂人を目にしすぎたせいで、各種メディアに影響された可能性も大いにあります。
同じ作品でも、観る時期や心理状況、人生経験の有無によって感じ方が大きく変わってくるんだなぁとしみじみした今回の観劇体験でした。