9.27に際して考えたこと


はじめに


2019年9月27日午前5時、テレビ朝日系列のドラマ『おっさんずラブ』公式ツイッターアカウントにおいて、『おっさんずラブ-in the sky-』(以下便宜上、シーズン2とします。)の制作、田中圭演じる春田創一、吉田鋼太郎演じる黒澤武蔵のみ、前作と同じ名前で続投することが発表されました(公式ツイートより)。


2019年放送のドラマ『おっさんずラブ』(以下便宜上、シーズン1とします)。劇場版『おっさんずラブLove or Dead』(以下、劇場版とします。)は、もともとは2016年放送の単発版『おっさんずラブ』(以下、単発版とします。)を受けて、連続ドラマ化されたという経緯をたどっています。
企業を舞台に男性同士の恋愛が繰り広げられる本作品は、そのシリーズごとにアイデアグッズ会社(単発版)、不動産会社(シーズン1および劇場版)、航空会社(シーズン2)と舞台を変えてきた一方で、春田創一役と黒澤武蔵役の演者とその役名だけは変えず、その他の演者たちを変えて制作されてきました。
その歴史をふりかえれば、シーズン2もまたそうした方式が踏襲されること自体はありうる選択肢のひとつだったと思いますが、シーズン2を発表したツイートのリプライ欄にはとまどいの声が多数書き込まれました。まとめるとおおむね次の3つに集約されます。 


1)劇場版がまだ上映されているこのタイミングでのシーズン2の制作は拙速ではないか?
2)ツイッターのアカウントをシーズン1とシーズン2に分けてそれぞれ独立させてほしい。
3)「おっさんずラブ」というタイトル、春田創一、黒澤武蔵の名前の使いまわしはしないでほしい。
 


シーズン1と劇場版のキーとなった牧凌太役の林遣都氏が出演しないことによる落胆など、シーズン1の世界が続行されないことへの悲嘆はもちろんありますが、シーズン2を受け入れるにあたり、準備となる下地と期間を十分に用意してほしいという切なる願いがここにはありました。
以下、1) このタイミングでのシーズン2制作の理由は何か、2) アカウントを分けない理由は何か、3) タイトルや役名の使いまわしの理由は何か、の3点にしぼり、現在公開されている情報を集積して分析してみたいと思います。 

 
劇場版がまだ上映されているこのタイミングでのシーズン2の制作について 


シーズン1は、視聴率はふるわなかったもののDVD・ブルーレイ、グッズなど関連商品の驚異的な売り上げが近年広告収入の低下に悩まされているテレビ朝日にとって一筋の光明になりました(テレビ朝日2019年3月期決算説明会資料より)。

テレビ朝日は、経営戦略として多角的コンテンツの展開を掲げています。本資料の12ページではOLをコンテンツの多角的展開(コンテンツ360°展開)が見込める素材の例として説明しています。劇場版は開局60周年記念作品として位置づけられ、深夜帯ドラマから始まったOLは当初の予想以上の期待を背負わされました。たとえば会長年頭あいさつではOLにかける期待がにじみ出ています(会長年頭挨拶HP掲載の会長年頭挨拶)。

この稼ぎ方は社外でも話題となりました(長谷川朋子「おっさんずラブ」はなぜここまで人気が出たか 最初は「普通の人気ドラマ」の扱いだった」)。経営層としては「鉄は熱いうちに打て」とばかりに消費者の熱気がダウンする前に間をあけず急いでつくりたかったのだと思います。


ここで大事な議論が必要になります。たびたび話題になるシーズン1の継続の可能性についてです。シーズン1キャストらの日程的困難は要因のひとつではあったとは思いますが、ただひとつの要因ではないというのが私の見立てです。というのは、連ドラが劇場版になると聞いたときにどう思ったかというインタビュアーの質問に田中圭氏は次のように答えています。

「一番、キレイなゴールだと思いましたね。ドラマ終了後に続編をやってほしいという声を多くいただきましたけど、続編となると、いろいろと踏み込みづらいところまで描くことになるだろうし。そこから逃げるのは嫌だけど、ドラマでどこまでできるのかという問題もあって。それなら、ドラマの続編よりも、劇場版で映画らしく完結させるのが美しいかなって」(『じゃらん』2019年9月号より引用)。

この言葉からS1は劇場版で終了させるという制作側の判断がうかがえます。今は「踏み込みづらいところまで描くこと」に対する忌避感やその結果としての劇場版に関する内容的議論はまた別の機会にしたいと思いますが、少なくとも制作側にとってこの時点でのS1継続の可能性は限りなくゼロに近いと言っていいのではないでしょうか。

もうひとつ、シーズン2は航空会社を舞台とし、Peach Aviation株式会社(以下、ピーチとします。)が台本の一部を監修し、撮影協力としても携わっていました(ピーチHPより)。ピーチは2011年に設立された代表的なLCCであり、2018年9月現在ANAが77.9%の株式を保有しています(ピーチHPより)。2018年3月、ピーチはバニラエアとの統合を発表し(ピーチHPより)、これによって日本国内第3位の航空会社となりました(ピーチHPより)。2019年11月1日ピーチとバニラエアの統合完了が発表されています(ピーチHPより)。


同社の宣伝戦略は非常に特徴的でして、独自CMは制作せずコラボレーションやテレビドラマへの協力という形で自社PRを行なっています。特に過去にはピーチにとって節目となるタイミングでドラマの撮影協力を実施しています。たとえばピーチ就航1周年の2013年には日本テレビ系列の単発ドラマ『チープフライト』が放映されています。


特に2019年はバニラエアとの統合という重要な節目であり、7-9月にはABCテレビ・朝日テレビ系列で女性パイロットを主人公とした『ランウェイ24』が放映されました。そして最も重要な転換日となったバニラエアとの統合完了の11月1日、この翌日がシーズン2の初回放送だったのです。

シーズン2の制作・放送を急いだ理由はこのふたつにあると思われます。つまりテレビ朝日の経営的事情を背景とした切れ目のない制作・放送が志向されたこと、そのタイミングに監修や撮影協力を行なったスポンサーであるピーチの企業的節目が合致したことがその答えではないでしょうか。そして(大変つらいことですが)シーズン1継続の可能性はその時点では最終的な選択肢にならなかったのだと思います。


ツイッターのアカウントを分ける可能性はあったのか。


公式ツイートが、同じアカウントで、あまりにも短時間に、まったく異なる内容のS2情報の更新を重ねたことも混乱を招いた原因のひとつです。

 
2019年9月25日23時15分に黒澤武蔵の個人インスタグラムという設定で行なわれていた『武蔵の部屋』において、春田創一から牧凌太との結婚報告を受けたとの設定で書き込みが更新された後、26日23時15分、『おっさんずラブ』公式ツイッターに春田創一と牧凌太のロングショットと指輪が薬指にはめられた2人の左手の写真がアップされました。その約6時間後の2019年9月27日5時、同ツイッターに『おっさんずラブ-in the sky-』の制作が発表されました(ウィキペディアより)。


情報更新の拙速さはさきほど述べたことと関連しますが、もしシーズン1と2のアカウントを分ければ、混乱を招く要因を少しでも減らすことはできたでしょう。しかし実際にそうした選択肢はありえたのでしょうか。結論から言えばそれはなかったと思います。


その根拠は『おっさんずラブ』公式ツイッターのフォロワー数(2020年3月18現在31.4万)、インスタグラム『武蔵の部屋』のフォロワー数(2020年3月18現在51.6万)が、『逃げるは恥だが役に立つ』(2020年3月18現在30.8万)『あなたの番です』(2020年3月18現在29.5万)など視聴率的に見た近年のヒットドラマと同じように桁違いに多いこと、(最近はSNS戦略の失敗により減少傾向にありますが)その数量が安定していることにあります。


ピーチの主要顧客層である20~30代の女性(ピーチHPより)の多くは、SNSを日常的な情報収集ツールとして使用しており、そうしたターゲットに向けた発信力や影響力のあるインフルエンサーや媒体の利用が欠かせません。『おっさんずラブ』公式ツイッターやインスタグラム『武蔵の部屋』のフォロワー数を引き継ぐことは、ドラマの監修や撮影協力と同じくらい重要な宣伝力を持つことになります。したがってアカウントを分けるという選択肢は制作側からすればありえないことだったと考えます。


ただし、誠実な対応は可能だったでしょう。たとえば、フジテレビ『シャーロック』の公式ツイッターアカウントは『レ・ミゼラブル終わりなき旅路』、『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』の「使いまわし」です。ですが『シャーロック』への移行に際してプロデューサーからの丁寧なお知らせが投稿されています(『シャーロック』公式ツイートより)。 


タイトルおよび役名の使いまわしについて


これもすでに述べたことと関連しますが、2018年の流行語大賞にノミネートされた『おっさんずラブ』はそれだけでネームバリューがあります。また日経エンタテイメントによる2018年ヒット番付では横綱を取得していることからも、ドラマや劇場版を見たことがない層にもこのタイトルは浸透しています。役名についてもドラマ名に対して浸透率はやや劣るとはいえ、インパクトはあるでしょう。特に「はるたん」などの愛称は、春田と武蔵の関係性を表す名称としてある程度流通しています。社会的に浸透している名称を使うのは宣伝戦略上としては「正しい」。公式本によれば「はるたん」はもともとの台本にもありました。でも・・・視聴者としては受容が難しかったのではないでしょうか。


「春田創一」を「秋田創二」や「冬田創二」にすれば全然違うのにという意見を目にしました。少しでも名前が異なっていればたとえ演者が同じだとしても別物として見ることができます。名前とは一番短い呪(い)だという意見も目にしました。これは夢枕獏『陰陽師』内の言葉で、その人物の心身を縛る(規定する)のが名前だとのことです。


「春田創一」という言葉自体は「は・る・た・そ・う・い・ち」というただの音の羅列です。同姓同名も世の中にはいるでしょう。春田創一は役であって実際のところ生身の人間ではありません。それを演じた役者とも厳密には違います。でも多くのファンにとって「春田創一」とはあの「春田創一」にほかなりません。だから「使い回し」だと感じるのでしょう。


でも「使い回し」だと感じることを論理的にきちんと説明するのは思いのほか難しく、時間をかけていろいろ調べ、ある論文にたどりつきました(岡田紀子「「代理可能性」・「代理不可能性」・「かけがえのなさ」」東京都立大学哲学会『哲学誌』2013年)。


ドイツの哲学者ハイデガーの代表的著作である『存在と時間』に出てくる「代理可能性」と「代理不可能性」というものの見方を通じて「かけがえのなさ」について考える論文なのですが、私に基礎知識がないのでめちゃめちゃ難しくて全部はわかりませんでした。でもわかるところだけでも十分に助けになりました。私の言葉で語るとこんな感じです。

 
世の中は代わりのきくものであふれています。人間の代わりに機械が働き、天然素材の代わりに人工素材があり、医療だって今は代理出産などがあります。でも代われないものが「死」です。「命」そのものを誰かにあげることはできません。私もあなたもいつかは死を迎える限定的な存在です。でもその限定性があってこそ「かけがえのなさ」が生まれるのです。「かけがえのなさ」は現世的な価値観(経済的・金銭的・美醜などの容貌的価値)とは真逆に位置します。


『星の王子様』がわかりやすい例です。王子は自分の星に一輪の花を見つけ、最初はその美しさに惹かれます。ところが行き違いから花と仲違いした王子は地球にやってきます。王子はある庭で自分の星にあった花と同じ花がたくさん咲いているのを見てがっかりします。この世にたったひとつの珍しい花を持っていると思っていたのに、ただのありふれたバラをひとつ持っていただけだったからです。


でもキツネが教えてくれます。キツネは自分と遊ぶにはまず「なれ親しませること」が必要だというのです。キツネは続けてそれは「絆を造ること」であると説明します。これによって王子ははじめて気がつくのです。地球のバラたちは美しいけれどもただ咲いているだけでそこに王子との絆はありません。自分のバラは自分が水をかけ、覆いをかけ、不平をきいてあげて、心配した「私のバラ」なのだと。


「かけがえのなさ」をつくっているのは、最初はその美しさに魅了はされたけれども、「美しい」という現世的な価値ではなく、ごく個人的な(つまり限定的な)「かかわり」だったのです。論文の著者はこの項目を次のように締めくくっています。

「かけがえのないものとの出会いは一時的であったが後に思い出のなかで懐かしく甦るようなこともあろうし、かけがえのなさが時間をかけて育まれ永続的であることもあろう」。 


ファンそれぞれが、心の中で「春田創一」と「絆やかかわり」を持ち、育てていたことでしょう。その「絆やかかわり」が「代理不可能なかけがえのない、私の春田創一」を生んだのではないでしょうか。それを9.27が「代理可能な使い回しのきくありふれた春田創一」にしてしまったがために、多くの方が苦しんだのだと思うのです。

そして「絆やかかわり」はSNSを通じてファンの間でも育まれていたと感じています。私はOLをきっかけにしてツイッターを始めました。最初はロム専から、やがて黙っていられずその熱や世界観を共有する「民」たちと毎日ネット上で会話しました。私のような方が大勢いたことをよく覚えています。ですが9.27以降会えなくなってしまった方や疎遠になった方がいます。とても悲しい経験でした。 

 
まとめ


冒頭で提示した疑問へのあくまでも現在持っている資料からの私の結論は次のようになります。


シーズン2の制作を急いだ理由は、テレビ朝日の開局60周年記念と経営戦略の一環に組み込まれたため、その日程に適合したスポンサーだったピーチのタイミングが一致したため。S1継続の可能性は限りなく低かった。


ツイッターをシーズン1とシーズン2に分ける可能性はほぼゼロに近かった。なぜなら、ツイッターおよびインスタグラム(武蔵の部屋)にはすでに莫大なフォロワー数を確保していて、SNSを用いた宣伝戦略的には利用価値があり、ゼロからフォロワーを獲得しなければならないアカウント分けはしない可能性が高かった。
それらと関連して作品のタイトルや役名は社会に浸透しており、その高いネームバリューを使わないという選択肢はおそらくなかった。


「かけがえのなさ」についてはもうまとめなくてもいいかと思います。個人的にはとても残念ですが、すでにS2はこの世に存在します。ですが「どうして自分はそう思ったのか」を論理的に説明するだけでも、(あくまでも私個人がですが)心が落ち着きます。ここで書く内容はできる限り資料を使いながらも、個人的な気持ちの整理をつけるためにやっています。私の見解は私の見解にすぎませんので、ご了承いただきたいと思います。


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