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《大学入学共通テスト倫理》のためのマルティン・ルター

大学入学共通テストの倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。マルティン・ルター(1483~1546)。キーワード:「贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符に近い)への抗議」「宗教改革」「信仰のみ」「万人司祭」主著『キリスト者の自由』「聖書のドイツ語訳」

📝ルターはこんな人

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帽子が似合うくせっけの男性です。かぶっているのは当時の角帽で、学位を持っていることを示しています。

📝ルターと言えば宗教改革。それは真摯な聖書読解からはじまった!

ルターは人間は善行(協働)でなく、信仰によってのみ (sola fide) 義とされる(略)という理解に達し、ようやく心の平安を得ることができた(フリー百科事典「ウィキペディア」、マルティン・ルターのページから引用)

これがルターの「信仰のみ」。ここには聖書の文法的な解釈があって、「神の義」という言葉を「神が与えた正義」と捉え、万人の平等を志向したキリストに「神が与えた正義」の姿を見ています。平等なキリストを信仰することが人々の正義にもなる。それがルターの宗教の根幹、「信仰義認説」です。

📝ルターの贖宥状(しょくゆうじょう)批判、贖宥は免罪と違うの?

罪のゆるしに見合った償いをすること(償い)が必要であり(略)中世以降、カトリック教会がその権威によって罪の償いを軽減できるという思想が生まれてくる。これが「贖宥」である。(フリー百科事典「ウィキペディア」、贖宥状のページから引用)

つまり、「免罪(罪を許す)」ではなく、「罪を(軽減させて)あがなう、つぐなう」が「贖宥」の意味になります。ここがポイント。「贖宥状」も「免罪符」も同じ意味の言葉と扱われますが、語のニュアンスがちょっと違うので、最近は「贖宥状」が教科書的に教えられるようです。私の時代は免罪符でした。

📝ルターは贖宥状の学的議論を開始し、次に政治的事件となります!

罪の許しに必要な秘跡の授与や悔い改めなしに贖宥状の購入のみによって償いが軽減されるという考え方をルターは贖宥行為の濫用であると感じた(略)議論の中でルターが公会議の権威をも否定してしまったことで、学問レベルでルター問題を解決しようという試みは失敗に終わった。事態は政治闘争の様相を帯びてきた。(フリー百科事典「ウィキペディア」、マルティン・ルターのページから引用)

ルターは最初「善行によって救われるという考えはどうか。贖宥状の発行は教会にふさわしいのか」という学問的検討から『95ヵ条の意見書(論題)』を書きました。これをきっかけとして、宗教改革の運動がドイツ農民戦争と重なる形で進行していきます。

📝ルターは聖書に見られるキリストの平等さを推進したと言えます!

キリスト教的な人間は自分自身においてではなくキリストと彼の隣人とにおいて、すなわちキリストにおいては信仰を通して、隣人においては愛を通して生活する。(マルティン・ルター著『キリスト者の自由 聖書への序言』(岩波文庫、石原謙訳)から引用)

キリストの「あなた自身のように隣人を愛さなければならない」という隣人愛をはっきりと受け継いだ、ルターの姿勢です。つまり「キリスト」という一への信仰が多への平等を生むというカタチが確認できます。これが中世のおわりにヨーロッパの人々が具体的につかんだ平等の観念です。ルターはまたそのキリストの言葉を示すために、聖書のドイツ語訳を完成させています。

📝マルティン・ルターがつかんだ万人のための平等は受け継がれた

ジョージア州アトランタでバプテスト派牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。ミドルネームも含めて父と同じ名前を付けられたが、父マイケルは1935年にマーティンと改名し、息子も同様に改名したため「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア」となった。宗教改革をはじめたマルティン・ルターから父親が命名した。(フリー百科事典「ウィキペディア」、マーティン・ルーサー・キングのページから引用)

ルターのひらいた宗教の前の平等の種は、20世紀に公民権運動を推し進めたマーティン・ルーサー・キングにまで受け継がれていると形容できるでしょう。

以下は小ネタを!


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画家ルーカス・クラナッハ(父)は、宗教改革の指導者マルティン・ルターと友人だった。そのために彼とその家族の肖像を多く描いている。これは若き日のルター。同じ画家に家族の肖像を描いてもらうのは、画像で見ていてもすごく素敵だと思いました。


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