今更OPPO UDP-205~SACDプレイバック
☆プロローグ
「メタデータ改善停止」問題が再度起こり、「停止halted」のくせにメタデータ作成をやめないのか、考え中のマークが回転し続け、対処策として再起動を繰り返している内に、roonにアクセスできなくなった。。。( ;∀;)
ということで、1月ほど納戸にお蔵入りしていた、ユニバーサルプレイヤー、OPPO UDP-205を出してきて、プリアンプにXLRで繋いでみた。
OPPOは入力はたくさんあるがデジタル出力はHDMIであるか、同軸ケーブルや光ケーブルのみ。同軸デジタルか光デジタルかを使えばHolo AudioのMAY DACでアナログ変換できる。OPPOのデジタルデータをMAY DACに入力できるのならば、意外と便利である。光デジタルで5mくらいケーブルを引っ張れるのならばすごくありがたいことになる。しかし今はケーブルがないので、OPPO UDP-205のES9038PROを使ったアナログ出力にする。久しぶりにESSチップを楽しもうっと。
☆UDP-205をちゃんと使う
OPPOにSACDを入れた。上の画像の中央、一番上がDSDとなっている。あれは、ES9038PROというチップはマルチビットと1ビット処理を兼務するわけで、DACが1ビット処理をしていることを示している。つまりSACDのDSD信号をES9038に入力してアナログ変換したということである。そんな当たり前の細かい話は気にしないなぁ~と思っている人は練度と精度が足りないのかも。
SACDのDSD信号がDACチップに入力の際に、PCMとして入力するか、DSDとして入力するかが、そんなにも違うものなのか?大いに違うものなのである。「ビット落ち」という言葉を聞いたことがあるだろうか。UDP-205はDSD→PCM変換に際して、これが起こっているのだ!ビット落ちって、SACDを再生すると音量が低く聞こえる、あれのこと?YES、、、いやいや、NO !
どの程度かはメーカーによるし、明示しているメーカーは少ないのだが、一般にDSDのアナログ出力はPCMに比して低く設定されている。これはSACDの規格上の問題で、広大なダイナミックレンジをもつ情報を再生するための設定なのである。今、話しているのは「UDP-205のDSD→PCM変換の際のビット落ち」なのであって、SACDの再生ボリュームが低いという話ではない。
UDP-205でSACDを再生する際に、「DSD」としてD/A変換するかどうかで、音量が違うという比較実験をしたことがある。UDP-205に同じDSD信号であるが、DACに入力する際にDSDで入力すると相対的に<<音量が大きくなる>>し、PCMで入力すると<<音量が小さくなる>>のである。音量だけではない。音量を揃えたとしてもDSD→PCM変換後のSACDプレイバックは、枯れた植物のように生気がない聴感なのである。これが今お話ししている「ビット落ち」の結果である。このようなビット落ちはプレイヤーでやろうと、AVアンプでやろうと発生する可能性がある。ところで、DENONのAVアンプには「AL 32 Processing Multi Channel」という機構が備わっているようだ。
SACDの「ビット落ち」を補填するには、こういう類のアップサンプリングが不可避なのかもしれない。しかし「ビット落ち」を逃れるために、必ずPCMにするというのはいかがなものか。OPPOのUDP-205に戻すと、PCM変換に際して、「AL 32 Processing」的な処置をしているのかどうかは知らない。しかし、仮にしているのだとしても、サンプリング周波数を上げたり、ビット深度を大きくとったりという、ビット落ちを回避しようとするプロセスprocessing自体が「ビット落ち」を招くことにならない保証があるのだろうか。入力した信号よりも出力される信号の質を高めようという発想は、オーディオでも映像でも、過信しないほうがよいと思う。
(注1、「AL 32 Processing Multi Channel」がDSD再生に有効なのかどうかは知りません。)
(注2、マニュアルは「高音質のPCMに変換」としているが、SACDが96kHz/24bitになっているのか、それとも88.2/24なのかが問題ではない。88.2でも高音質に感じる場合はある。
(注3、この「ビット落ち」問題はセンターchの信号がないもので強く感じた。センターchの信号があるものでやったならば、「ビット落ち」ではないが、それと同種の萎みを感じることになると思うのだが、、、謎である。)
(注4、UDP-205のアナログ出力端子をパワーアンプと直結して、OPPOのリモコンで音量を調整する、つまりプリアンプを排除した接続の仕方もまた「ビット落ち」と同種の劣化を強く感じた。繋げた相手はアキュフェーズ、P-4600である。)
☆UDP-205のSACDプレイバック
ややこしい話を長々としたが、「ビット落ち」が起こらないようにSACDのSACD層をアナログ出力に固定したいならば「セットアップ」の「SACD出力」を「DSD」にすればよいだけである。これは映像の場合もそうなのだが、この種の再生装置で「オート」という設定は(違いが判別できるという意味で)慣れるまではやめたほうがよい。
さて、試聴してみた。昔、SACDサラウンドでずいぶんと聴いていたものが大半なので、どうしてもサラウンド・サウンドとの比較から逃れられなかった。
まず、チェンバロ。
このハッキネンの『ゴルトベルク変奏曲』はサラウンドでひたすら聴いていた。おそらく相当に近接して録音したチェンバロの金色の音色がひたすら美しいのである。かなり接近しているので、音像が見えない。おそらく音像がないのである。間接音を排除して、チェンバロの音色を純化しようとしたのかもしれない。明瞭で、朗らかで、純粋な、フォルム(=音像)への拘束から解放された、音の悦び。そういう響きである。サラウンドで聴くと、その音の悦びで全身が包囲される。2chだと、音の悦びがいささか小さくなる。
ハッキネンの録音は、私が聴いた範囲では、ほとんどがこのような音像のない純粋な音色の世界の録音である。
次は、笹路正徳さんのビックバンドJAZZ。
端正である。しかし、パーカッションによる強烈なドライブ感でふらふらになる感じがなかった。また、描写はサラウンド時代よりも正確であるとは感じるが、どうしても平面的である。こうした平面性や躍動感の不在は、PCオーディオによる2chで乗り越えられるのであろうか?たぶん、可能だと思う。roonが復活したら、DSDがダウンロードできるので、試聴してみることにしよう。
ヴァイオリン協奏曲。元々、2ch。
ラベルの「ツィガーヌ」(Tzigane)という曲は、ザ・ロマという感じでとても好きなのだが、やはりピアノじゃなくて、オケで聴きたいと、いくつかダウンロードしてみたのであった。roonにアクセスできていた数日前、諏訪内晶子とデュトワの192/24を見つけて、嬉々として試聴したのだが、うーむ、となった。それがroonがおかしくなったからなのか、それとも弱い音を細かく描き分けるムターとの技量の差なのかは、分からない。roonが復活するまでは。とにかく、ムターは幽玄の境地で小さな音を持続させたり、きらきらと非常に細かくアタックしており、その上で、レヴァイン&ウィーンフィルとくるならば、同曲のベストとなってもおかしくはないのだろう。UDP-205の2chの再生音でまずまず満足を得られた。しかし、PCオーディオでもっと良い音質で質の高い音楽体験は十分に可能であるとも思う。
ブラスバンド。最強の金管奏者が揃うとされるシカゴ交響楽団。
サラウンドの方が楽しいな。平面的なのだ。
ヴィーナスレコードの女性ボーカル。元々2chのみ。
上のコメントから明らかだが、サラウンドがあるディスクはサラウンドとの比較になってしまい、元々2chのものはPCオーディオとの比較にどうしてもなってしまう。シモーヌはこの感じであると、CDのリッピングしたもので乗り越えられてしまうだろう。たぶん。そもそもこのアルバムはライブ音源で、ヴィーナスレコードが録音したわけでもない。そういうアルバムの素性が、ライブ特有の酩酊感を薄くしているなと今は感じる。以前は音質が良いとは思わなかったが、ライブパフォーマンスが明らかに上回っていると思っていたのであった。リッピングしてみることにしよう。
PCオーディオのファイル再生にしろ、マルチチャンネルサラウンドにしろ、今ここにないものとの比較になってうだうだ言ったが、オーディオ界隈ではSACDプレイヤーの新型の高級機がまだまだ市場に投入が続いている。今日の試聴はユニバーサルプレイヤーである。しかも1月ぶりに電源を入れた機体である。新型SACDの専用機はさぞやハイレベルなのではないか。だから、録音にDSDを採用するということを今一度検討してみてほしい。