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Accuphase、P-4600⑤:ゲインの探究

☆プロローグ

パワーアンプを片chのみ使うモノラル化で試聴を続けている。小音量で聴くことが最近は多いから。ブリッジより片chのほうが小音量に適性があるように思う。

パワーアンプをモノラル化してチャンネルセパレーションを狙うなど無意味だと断言している記事がネットに転がっていた。しかし、パワーアンプのモノラル化はチャンネルセパレーションを向上させる。結果的に音場が広がり、音の純度は上がる。また、普通のステレオ2chや、ブリッジによるモノラル化よりも、片chのみのモノラル化は鮮度が上がるのも、聴感ではっきりと感得できる。

しかしだ。そんなふうに感動を述べた舌の根も乾かぬうちに、大音量への憧憬が燻り始めた。達成した音質改善効果に慣れてしまうと、不満が残る。

何が面白くないのか?単純明快、音が聴こえないのだ。「聴こえない」というのは、聴きに行く、集中する、もう一度初めから聴き直すといった類のことをしないといけない、という意味だ。小音量が「好きだ」と言っている人たちは、《想像》で聴いていないか?小さな音のボリュームを絞ったら、より小さくなるし、さらに小さな音のボリュームを絞ったら、さらにより小さくなるといったリニアな連続性の想定こそ、想像ではないのか?

小さな音声信号は《ボリュームコントロールでは小さくならない》ノイズと近接し、それに埋もれてしまい、音が消えて、リニアな連続が途切れるのではないのか?聴こえていない音を例えば「カラヤン」だのという外部を参照して、別のもので空虚を埋めてしまっていないのか。存在しない音を外的な事柄から類推していないか。あるいは、低域の押し出しや、部屋を満たしてそれが部屋であることを忘れさせる広がりについては、小音量の弊害は言うまでもなかろう。

小音量再生への不満の原因は、私のプリアンプの鮮度が足りず、プリがボトルネックになっているのだろうか、、、。まあ、ありえないことではない。

☆プリアンプのゲイン

プリアンプのカタログを見ていて、もしプリアンプを新調するならば、左右バランス調整や帯域調整といったコントロールアンプ系の項目は、私にとっては不要な機能ばかりな気がした。

ゲインコントロールはどうなのだろうか?もしゲインコントロールをプリアンプに搭載する意味もないなら、自分のシステムにおいてはアキュフェーズのプリアンプはほとんど減衰器というだけになるだろう。前段にあるMAY DACは、アキュフェーズのP-4600に送り出すのに、十分な大きさの出力電圧と十分に低い出力インピーダンスであるように思われる。下はstereophileによるMAY DAC KTEの計測結果である。文が過去形なのは書き手のmoderateでobjectiveなスタンスを反映しているのだろう。

The May's maximum output level at 1kHz in NOS, OS, and OS/PCM modes was 5.8V from the balanced outputs, 2.9V from the unbalanced outputs. The maximum output levels in OS/DSD mode were half the levels in the other modes, ie, 6dB lower. Both sets of outputs preserved absolute polarity (ie, were noninverting) in all four modes. The balanced output impedance was a low 27.5 ohms at all audio frequencies; the unbalanced output impedance was half that magnitude, as expected.

https://www.stereophile.com/content/holoaudio-may-level-3-da-processor-measurements#:~:text=The%20balanced%20output%20impedance%20was,half%20that%20magnitude%2C%20as%20expected.

バランスの出力電圧はPCMが5.8Vで、DSDは2.9V。出力インピーダンスは27.5Ωとある。強力で緻密だよね。パッシブプリのほうがいいのじゃないか?音量と一緒にMAY DAC KTEの素晴らしさを減衰させないにはさ。

アキュフェーズのプリアンプに話を戻して、MAYを送り手とする場合にDSDの電圧は多少の増幅はあってもいいかもしれないが、PCMの増幅はいらない。既に述べたように、コントロール系の機能など使いたくないと思っており、セレクターすら無用というか罪悪のように思っている私にとっては、ボリュームのコントロールだけにしては、やけに高額で機能過多である。せめてゲインコントロールはどうなのか、ゲインをプリで調整する必要はあるのか?

以下は、アキュフェーズ、C-2850という、2016年に発売開始となったプリアンプで、現在のC-2900という評判の高い製品の先代にあたる。すげえ数字だよね。静寂のなかで絶対に歪ませないぞと。いやあアキュフェーズのプリ欲しくなるね。鮮度しだいだろうな。ともかく、こうしたすごい数値の計測はSoundStageというサイトが2021年に行ったものである。まあそれも商売の一部なのだろうが、頭が下がる。これからもたくさん計測してください。

この計測結果ではS/N比が最も高くついているのはゲインが低い場合である。

この図表の示す値は難しいよね。ゲインを低くするとS/N値が高くとれている、、、とは必ずしも言えないよね、下の計測を見ると。ただS/N比を示す数字はとても無視できないほどの違いが示されている。下は負荷を200KΩから300Ωに変えた時の計測結果。

この計測結果ではS/N比が最も高くついているのはゲインがmidの場合である。

接続する負荷との関係で、ゲインをコントロールする必要があるってことなんだよね。きっと。そしてその調節の細やかさと精度いかんで、S/N比を8〜10dBも稼げる可能性があるのかも。。。うーむ。ゲインコントロールはあったほうが有利なのかもね。静的な特性においてS/N比をこれだけ改善するには、80万円のプリアンプではなくて220万円のにするくらいの大きな投資が必要になるかもしれんもんね~

アキュフェーズの製品履歴より

我が家にアキュフェーズのプリアンプはないが、パワーアンプならあるぞ。ゲインコントローラー付き!(^^) 

☆P-4600のゲインコントロール

P-4600のゲインは、-12dB/-6dB/-3dB/MAXを選択して調整する。下の画像はマニュアルから。

アキュフェーズ、P-4600の取扱説明書

「ゲインを下げるとノイズ成分も下がる」とあるのは、プリアンプC-2850のSoundStageの計測において、ゲインの上下と相関的にS/N比が上下したのと類比的である。私のシステムは厳密には「マルチアンプシステム」とはならないが、一応、ステレオでパワーアンプを2台使っているので、ゲインコントロールは、少なくとも、そこそこの実りをもたらすはずだろうと、仕事から帰って、子供を風呂に入れて、酒飲んでから、試聴した。えー、分かる。分かります。怪しいです。最近、50を前にして、仕事帰りは何かと怪しいのである。ご安心。次の日が休みだったので、翌朝、続く夕方と、段階的に比較しましたからね。(^^)

☆試聴

比較音源
FLAC (96/24)
(a)アンドラーシュ・シフ「シューベルト、作品90-4、アレグレット」
(b)ジョン・バティステ「セント・ジェームズ病院」
(c)中島美嘉「雪の華」

DSD256
(d)ショーロクラブ「ヒロシマという名の少年」
(e)井筒香奈江「竹田の子守歌」

☆ -6dB

P-4600のゲインコントロールをMAX ⇒ -6dBに変更!

パワーアンプのゲインを「-6」にした。プリアンプのボリュームを、小音量の際の基本位置である10時過ぎを、11時45分、いや11時50分にした。うちのプリは目盛りもないから、ここは目測です。(笑)

パワーのゲインを下げてプリのボリュームを上げた、ってことね。

感想は、素晴らしい。(爆)

小音量であるが、ボリュームを上げないと聴こえないと思っていた音が、聴きに行くよりも先に、普通に飛び込んでくる。(c)の中島美嘉は、前奏の後で歌いだしたその瞬間、すっと一歩前に出た。オーケストレーションとの図と地を分けるコントラスト比が上がったのだが、といってオーケストラが悪くなってはいなかった。きらきら音の輝きも透明度を高めていた。さらに、ベースとオケの間で埋もれていたシンセサイザー?も顔を出していた。(d)のショーロクラブは、前回軽く難癖をつけたが、申し訳なく思った。非常に優秀な録音であると思われる。真ん中の人(バンドリン?)は感傷的な音色の細やかさが高まり、いっそうに胸熱。ベースも長い音が広がっていくのだがハンドリングするかそけき音まで捉えていた。超優秀。曲の解釈はそれぞれあるだろうが、S/N比が低いと無味乾燥な聴感になりがちな、上質で繊細な音の宝庫である。

中島美嘉のボーカルが非常に良くなったので、井筒香奈江の「竹田の子守歌」もチェックした。この曲は、これまでの音質改善のための一連の試行を通して、ピアノとギターの改善が著しかった。声は動かなかったのだ。ここにきて、楽器の繊細さを維持しながら、ボーカルの波動を感じた。あんまり声の力をこれまで聴取していなかったのだ。

「ゲイン-6dB」は、小音量での聴感はとても良かった。大音量への憧憬はいっきに終息した。しかし、定位が変わった。と思う。例えば、アンドラーシュ・シフのフォルテピアノは、鍵盤楽器を録音した際のオーソドックスな定位になったのだと思う。これはノイズフロアの下降による解像度の上昇がもたらした成果であるだろう。そして、たぶんそれで正解なのだろう。フォルテピアノはモダンピアノよりも小さい。その差が音像定位において感じられた、ということではないか。


☆ -12dB

パワーアンプのゲインを「-12」にした。プリアンプのボリュームは「11時45分、いや11時50分」から、変えていない。

パワーのゲインをさらに下げてプリのボリュームを維持したので、全体の音量は「ゲイン-6dB」分だけ下がっている。

P-4600のゲインコントロールを-12dBに変更!

感想は、まあまあ。

真面目な書き方をすると、小ぎれいで、まとまりがよく、よくできた感じの小音量再生である。小ぶりの絵画をわざわざ遠目に鑑賞しているきらいは、払拭できない。絵画を遠目に見たとき、テクスチャーを感じるだろうか?その物としての存在感に圧倒されるであろうか。「ゲイン-12dB」で良いなと思ったのは、アンドラーシュ・シフのクラヴィコードか。

気になったのは定位だ。「-12dB」にすると、さらに定位が変わった(と感じた)。今、定位が右に寄りやすいシステムなのだが、例えばチェロとハープの演奏で、チェロとハープの音像が左に寄るのである。

ゲインの調整で、音像の左右定位が変化するというのはいかにも変である。無論、左右のスピーカーの手前に設置したパワーアンプのどちらかのゲインセレクターが「-6」や「-12」になっていないという毎度のオチになっていないか、ケーブルのコンタクトは大丈夫かチェックせざるを得なかった。それくらい、定位が変わる。私の統覚(器官の提供する感覚データの解釈を統合する働き)が、男性更年期障害で?、おかしくなってきているのは自覚がある。(笑)しかし、オーディオも映画も統覚なしで、生の感覚が支配する体験をしたいよね。ちょっと病気っぽく思えるかもしれないが、<<生の哲学>>したいよね。特に音楽って、そのチャンスが大きい芸術形式だと思うのだが。。。

☆おしまい

ということで、比較試聴はここでストップ。次回、「ゲイン-3dB」の試験と、今一度ゲイン変更と定位の相関関係をチェックし直すとしよう。また、ブリッジは鮮度が片chと比べて劣るのであったが、ゲインコントロールで、がらりと印象が変わる可能性がある。

今回の成果をまとめておくと、「ゲイン-6」でプリアンプのボリュームをだいたい11時45分にすることで、多様な楽曲が小音量なのに音瘦せしない、立体的で色彩のデティールを聴取して、音楽を音楽として楽しむことができる再生音になった。定位は変わったが、適切な変わり方であると思われる。「ゲイン-12」の定位の変化は奇妙だが。

プリアンプでやる必要があるかどうかは分からないが、パワーアンプでゲインを調整することは、小音量帯において、音痩せを回避するにあたって、非常に有効な手段であることが分かった。とはいえ、迫力系の楽曲をパワーアンプのゲインを抑えてプリアンプのボリュームを大いに解放してみても、やはり不足を覚えるものである。

FLAC (96/24)の、バッティストーニ指揮、東京フィル、「ロミオとジュリエット」。DENONとバッティストーニの一連の録音は、低音部用の打楽器の張りある音は比類がない迫力だ。