映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!-12-
吉田 泉 (仏文学者)
第12回 フレンチポップスが世界中にあふれる
お元気ですか? あなたは映画が好きですか?
と言いながらもう最終回となりました。
今このコラムを書いているのは、ちょうどクリスマスイヴです。
あなたは誰とイヴを過ごしていますか?
私がコラムを書いている今、窓の外にはフランス映画とは似ても似つかない、富山のある農村の寒い夜が広がっています。しかし私の心の中ではフランス映画が滾っています!
イヴは『シェルブールの雨傘』で
クリスマスにお届けするのは『シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)』(1964年ジャック・ドゥミ監督)です。これをクリスマスに紹介するのも、最後のシーンが雪のクリスマスイヴで、またとてもフランス的なシーンだと思うからです。まあ、そこまで少しお待ちください。
ところで、今回の表題「フレンチポップスが世界にあふれる」というような時代があったことを御存じですか? 1960年代初めにはアダモが「サン・トワ・マミー」を、シルヴィ・バルタンが「アイドルを探せ」を歌って一世を風靡しました。私は「アイドルを探せ」をラジオで初めて聞いた時の感動と驚きを、一生忘れることはできません。神々が話すような「天上の」言語が、文字通り天から降って来て私をとらえました。そう感じました。それが私がフランス語などをやろうとした、正真正銘のきっかけでした。幸か不幸か。
フレンチポップスに溢れる色彩
ジャック・ドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』はまさにそういう時代の、フレンチポップスの勢いを象徴しています。その割にはこのミュージカルはとても静かな音楽から始まりますが。そのかわりに、この映画全編にあふれる色彩のあでやかさといったら、これが今を盛りとするフレンチポップスのエネルギーでないとしたら一体何でしょう? 町の風景の色、人々の衣装、部屋のインテリアのカラー、まるで様々な色の爆発です! そして傘の様々な色彩を使った導入部分は本当にこれぞフランス映画のエスプリ!ですね。
そして何といってもミッシェル・ルグランの主題歌は世界中を席巻しました(余談ですがポール・アンカの「マイウエイ」やエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」などのアメリカの人気ポピュラーソングも、原産地フランスだというのは有名な話です)。
映画革新の時代のさなか
フランスは1960年代のこの時期、一方ではヌーヴェル・ヴァーグ(「新しい波」)と呼ばれた映画の革命がジャン=リュック・ゴダール監督などによって推進されており、また一方ではミッシェル・ルグランのように軽音楽の分野でも世界をリードしていました。
こんな背景のもと、新しいものにどんどん取り組んでいこうとする風潮のなかでジャック・ドゥミ監督は、普通のセリフは一切ない、歌だけによるミュージカルを作り上げました。これもまた、視点を変えればヌーヴェル・ヴァーグ(「新しい波」)と言えるのかもしれません。
「絵のように美しい」港町シェルブール
映画の舞台はノルマンディの美しい港町シェルブールです。私は学生のフランス語研修の引率で、やはりノルマンディにあるオンフルールという、シェルブールに似た港町に19年ほど通っていますが、シェルブールはオンフルールよりももっと落ち着いた小さな町です。
そこで雨傘屋を営む母と二人暮らしの娘がジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)で、この作品は彼女の出世作となりました。初々しい美しさと町の美しさが溶け合い、ミッシェル・ルグランの繊細かつ哀切のメロディが全編に息吹きを与えています。
運命を翻弄する戦争
しかしこの時代はまた、権力や体制に対する抵抗の時代でもありました。現に『シェルブールの雨傘』においても、主人公の一人であるギイは2年間の兵役につかねばならず、そのことがジュヌヴィエーヴとギイの若い恋愛に大きな運命の転機をもたらすことになります。つまり、ギイのこの不在の間に、彼の子供を宿しているにもかかわらずジュヌヴィエーヴは宝石商のローラン・カサールに心が傾いていくのですから。そこには、雨傘屋の経営に苦しむ母を助けなければならない、という事情もありましたが。ギイは脚を負傷して兵役から帰ってくるのですが、ここに当時のアルジェリア戦争への批判をくみ取ることは容易です。
ジュヌヴィエーヴはギイの帰りを待つことなく、カサールと結婚してしまいます。カサールはおなかの子供のことは十分承知で結婚を申し込んだのでした。帰国してこれを知ったギイは自暴自棄になり、生活も荒れる時期がありますが、最愛のおばの死を契機に立ち直っていきます。彼はおばの介護を長くしていたマドレーヌに求婚し、おばの遺産を元手にして二人はガソリンスタンドを経営します。子供も生まれ、名をフランソワと名づけています。
再会…フランス映画では…
さて、あるクリスマスイヴの夜のことです。ホワイトクリスマスで外は雪がうっすらと積もっています。一台の高級車がスタンドに給油に来ます。高価そうな毛皮を着た、運転席の奥様風の女性こそいうまでもなくジュヌヴィエーヴです。劇的であるはずのこの再会には、静かに映画のテーマ曲が流れるだけです。
二人はほぼ沈黙のままスタンドの事務所に移動します。ジュヌヴィエーヴは小さな女の子をクルマの中に置いています。ギイが名を尋ねると「フランソワーズよ。あなたに似ているわ」と答えます。あの時の彼の子なのですね。事務所のガラス越しにこの子を見ているギイに「話しをしてみる?」とジュヌヴィエーヴは再び聞きます。彼は何も言わずにそっと首を振ります。
大学でこのシナリオを教材にしていたころ、授業中にギイのこのシーンを見て、思わずホロリと涙が出たことを思い出します。学生に気づかれたか…?
「もう行ったほうがいい」とだけ彼は言います。まことにそっけない再会のシーンではありませんか。だけどそれが「泣かせる」のです。
はっきり言って私は『シェルブールの雨傘』はコテコテ定型のメロドラマだと思います。しかしこの映画を独創的にしているものも確かにあります。それは素晴らしいテーマ音楽であり、定番ものを「抽象的」に見せている全編「歌」のスタイルであり、勝ち誇る若さ(カトリーヌ・ドヌーヴはこの時19歳、役柄では17歳です!)であるかもしれません。
イヴのあなたへの贈りもの
ただ最後に一言だけ。私は二人の子供の名前が気になりました。ギイとジュヌヴィエーヴの幼かった恋愛からは、実際この二つの名前だけが残りました。二人の子供はまだ本当に子供です。名前がギイの子はフランソワ、ジュヌヴィエーヴの子はフランソワーズです。フランソワは男の子に、フランソワーズは女の子につける名ですが、もともとは同じようなものではありませんか。
フランソワとフランソワーズ。一つに合わさる暗号のような符合。映画が終わってそれが後に残りました。この符合は、ギイとジュヌヴィエーヴとの若すぎた恋愛とはまた全く別に、私たちの心の中に新たな物語りが誕生して来るような錯覚を与えませんか? 人は来て愛し、去っていく。でもまた人は来る…。
これまたフランス的というなら、そうかもしれません。
さてみなさん、楽しんでいただけましたか? またどこかでお会いしましょうね!
ベレ出版のフランス語学習書籍もご紹介。