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ことばは政治的 第3回 ゆれる文法
奇妙なフランス語
私は大学で准教授の職位にあるのですが、従来フランス語では女性にも男性にもmaître de conférencesという男性名詞を用いて准教授を指していました。奇妙なのは、maîtresseというmaîtreに対応する女性名詞が一般的に広く知られているにもかかわらず、大学教員になると急に女性には男性名詞が使用されるということです。Maîtresseは女性教諭には使用されるにもかかわらずです。さらに、この語の面白い点は、女性名詞のときだけ愛人という意味でも使えるところです。
他にも、大使を意味するambassadeurという男性名詞にはambassadriceという女性名詞が対応していますが、従来女性名詞は女性大使ではなく、大使夫人を指していました。今では、女性大使にもambassadriceを使用するとはいえ、男性名詞に対応する女性名詞があるにもかかわらず、男女で意味が異なる場合があるのは興味深いですね。
辞書に見る多様な立場
女性形がそもそもない語もあります。たとえば、医師を意味するmédecin。東京外国語大学言語モジュールにはmédecinには「女性形はない」と注意書きがついています。フランスを代表する辞書の一つのロベールの電子版にはこの語が男性名詞として登録されています。アカデミー・フランセーズの最新版の辞書にも男性名詞として立項されていますが、femme médecinという形で女性を意味するfemmeと医師を指すmédecinを同格として使用できると示してはいます。しかしながら、ロベールと並ぶ代表的な辞書のラルースの電子版では、この語には性の明記がなく、名詞であるとだけ記してあります。これは通性的である、つまり同一の語形で男性名詞としても女性名詞としても使用できることを意味します。しかも、この項では例文がElle est médecin de campagne(「彼女は農村の医師だ」の意)とmédecinを女性名詞として使用しています。
第1回のコラムで言及したministreも男性名詞としてのみ長らく使用されてきましたが、ロベールでもラルースでも通性的名詞として現在は登録されており、保守的な立場で有名なアカデミー・フランセーズの辞書では男性名詞として登録されているものの、「女性名詞としても使用できる」と注意書きがついています。長らく男性名詞としてのみ使用されていたため、ラルースには「公式な場でも今やフランスでは女性名詞としての使用は認められている」、「他のフランス語圏の国、とりわけベルギー、カナダ、スイスでは女性名詞のministreは昔から認められている」との注意書きまでついています。
こうしてみると文法上の性は絶対的なものではなく、時代や地域によって異なるのみならず、同時代の同一地域内でも異なる立場があることが分かります。
男性形が優先する原則
フランス語学習の経験のある方は、集団の中に一人でも男性がいれば男性名詞や男性形人称代名詞の複数形を使用し、女性のみの集団の場合だけ女性名詞や女性形人称代名詞の複数形を使用すると教わったのではないでしょうか。フランスの学校でも、男性形を優先させるこの原則をフランス語(国語)の授業で教わります。
しかし、これでは女性が不可視化されてしまいます。単に便宜的に男性形を優先するというだけではないのです。男性形優先の原則を主張した文法学者のクロード・ファーヴル・ド・ヴォージュラ(1585-1650)は『フランス語解説—うまく話し、うまく書きたい人たちへ』(1647)で、一つの男性名詞と二つの女性名詞がある場合、それらを併せてどの性を使用すべきか、という問題に対して「男性ジェンダーが最も高貴であるため、男性形一つのみで女性形二つに勝る」(381頁)と説明しています。詩人でモラリストのアルシド・ド・サン=モーリス(生没年不詳)も『外国人がフランス語で直面する難点に関する解説—単語集付き』(1672)で「より高貴なジェンダーであるため、男性形が女性形に優先する」(57-58頁)と書いています。「高貴」という社会的規範に照らした価値判断に基づいた主張といえます。
近年では、「呆然とした言語学者」(Les linguistes atterrés)と称する言語学者のグループがこの原則を教えることに異議を唱えています。『フランス語は元気なので大丈夫です』と題したブックレットで、男性形優先の原則ではなく、近接性の原則を教えるべきだと提言しています。細かい話で恐縮ですが、les garçons et les filles sont contentsは「男の子たちと女の子たちは満足している」という意味で、一つの形容詞(contents)が男性名詞(garçons)と女性名詞(filles)を修飾している文です。フランス語では修飾する名詞と同じ性と数に形容詞を変えますが、同時にここで男性形優先の原則を適用するとcontentsという男性形複数の形容詞を使用することになります。一方で、近接性の原則を使用すればles garçons et les filles sont contentesとより近い位置にあるfillesに形容詞の性と数を合わせることができます。この原則の使用は実際にジャン・ラシーヌ(1639-1699)の戯曲などでも見られます。この原則に従えば、男女をより公正な形でことばに表すことができます。
細かい話にまで入り込んでしまいましたが、こうした点を踏まえるとフランス語の文法を相対化できるのではないでしょうか。文法は固定されたものではなく、時代とともに変化したり、社会の規範を反映させたりする、という点を強調したく思います。
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大嶋えり子(おおしま えりこ)
慶應義塾大学経済学部准教授。
東京都出身。博士(政治学)。早稲田大学政治経済学術院助手、金城学院大学国際情報学部講師を経て現職。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、証券会社に勤務。退職後、早稲田大学大学院政治学研究科に進学し、修士課程でフランスの極右政党の研究に取り組む。博士後期課程ではフランスの移民政策と植民地の記憶をテーマにした博士論文を執筆。主著に『ピエ・ノワール列伝』(パブリブ、2018年)、『旧植民地を記憶する』(吉田書店、2022年)、大嶋えり子・小泉勇人・茂木謙之介編著『遠隔でつくる人文社会学知』(雷音学術出版、2020年)がある。