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「雨だれ」は美しい曲だけれど
次にレッスンで見てもらう曲として、ショパンのプレリュード15番「雨だれ」を選んだものの。
弾いていてだんだん不安になってしまう、という話。
雨だれについての思い出とか記憶とか
雨だれは、家にあったレコードの中に入っていて、こどもの頃から本当によく聴いていました。バイエル下巻のレコードと一緒にあった記憶があるから、ピアノを習い始めた私のために親が買ってくれたものだったのか?
詳細はわかりませんが何度も何度も聴いていたのは本当で、子供の手でたくさん触ってしまったので結構傷だらけになってしまってボソボソとノイズが多かった。こんど実家で久しぶりに聴いてみよう。誰の演奏だったのかも確認してみたい。
とにかくこの曲はこどもの頃の思い出と強く結びついています。
母に関する記憶が多いかな。
母は看護師で、夜勤があって子供が起きている時間に不在のことも多かったので、めずらしく一緒に過ごせた夕方の時間帯の家の中にいる風景が浮かびます。レコードをかけてもらって、この曲何?と聞いて教えてもらった時の記憶かもしれない。
あとは、母方の祖母の家のこと。
祖母は、私たちの家から車で1時間くらいの、ちょっと山っぽい少し登ったところにある古い家に一人暮らしをしていました。田舎のこどもにとっては車に乗って一時間というのはかなり長い旅です。たまに車酔いしてしまってつらいこともあったけど、訪ねていくのは楽しみなイベントではあって、その泊まりに行った時の記憶や、祖母の家の雨漏りについての話をしていた記憶だったり。こども心に、雨だれは雨漏りのイメージでもありました。決して悲しいとかみじめなイメージはなくて、家族や親せきの人たちと過ごした楽しい思い出の、いい意味のノスタルジックなもの。裏口から出たら山で、緑が深かったから、そこで見た雨の景色のせいもあるかもしれない。
雨だれの曲想
そんなふうに、こどもの時から思い入れの深い雨だれですが、成長とともにこの曲にまつわるショパンのエピソードなども知るようになり、イメージも少し変わっていきました。
いつの間にか頭の中に出来ていたイメージ(妄想)はこんなかんじ。
自分の思い出や感情に重ねるというよりは、少し映像的。ショパンとジョルジュのエピソードをなぞったものがベースで、ときどき自分が雨の日に感じるものに置き変わったりもします。
冒頭の変ニ長調から変ロ短調
ショパンが僧院の窓から雨の降る様子を眺めている。生い茂った草木に雨がかかったり、水たまりに雨粒が落ちて波紋を作っている。僧院の屋根から滴る雨粒も大きそう。
季節は、、いつだろう。地中海ぎわの雨季。どうしても日本の雨の季節、梅雨を思い浮かべてしまうけれど…草木の枯れた日本的な真冬の景色ではなさそうだ。きっと極寒ではないものの少し肌寒い。湿気に包まれた質素な石造りの僧院の部屋は寒々しくて、とても寂しい。健康な人には平気でも、ショパンは体調が悪かったから気候の影響も大きく受けていたかもしれない。ベッドで少し身を起こして曲を書いて過ごしていたのだろうか。包まっているシーツも湿気で冷たかったかもしれない。窓の外の風景の美しさと、建物内にただよう悲しく寂しい空気の対比。
悲しみと不安の中間部、嬰ハ短調
雨が強くなったのだろうか。出かけたジョルジュはいつ帰ってくるのか…そうやって雨の降る様子を見ているうちに、心の中に不安が広がってくる。悲しみや、恐怖に支配されている心の中のイメージが、嬰ハ短調の中間部。
外の景色は目に入らないくらい、心の中に暗闇が広がって、不安にとらわれている。
冒頭の変イから嬰トに移り変わって打ち続けているのは…、雨音に加えて、咳もひどいかもしれない。心の中のドアや壁にこぶしを打ち付けている音かもしれない。どうしてこのような苦しみを?いつまで苦しさが続くのか?いつまで生きられるだろうか?
そう思っているうちに死神がノックしている音にも聞こえるような気がしてくる。不気味にうごめく低音部の和音は忍び寄ってくる死の気配。死神の幻影は逃げても逃げても追ってくる。
中間部最後は不協和音が続き、心が締め付けられるような悲しい叫び。悲しみ泣き疲れた果てに現実の景色に引き戻されていく。目の前には変わらず雨の景色がある。
再現部?終わりの変ニ長調
音楽の形式の用語をちゃんと知らないのですが、、、再現部で合ってるのか?激しく暗い中間部の後にまた冒頭と同じメロディーに戻ってくると、よけいにやわらかで穏やかに感じます。厳しい#の世界から柔らかな♭の世界に戻ってきた。
雨も少し落ち着いて、空が少し明るくなってきた様子。ジョルジュの帰ってくる様子を想像している。雨の落ち着いた空をふと見上げた瞬間のような、高いところできらめくように響く印象的な変ロ音は、明るい光を受けて草木の陰に虹がさしたようでもある。苦しく悲しい死の恐怖からいったんは戻ってこられた。安堵して眠りにつく。
書いてみて変わった思い
美しいけれど終始陰鬱な色をまとっている、この雨だれ。とくに中間部は忍び寄る死のイメージが強くて、なにか不吉なものを呼び寄せてしまいそうでとても怖くなってしまうのです。この曲に共鳴するものが大きいのか、内向型であまり楽観的ではない自分の性格が、余計にそういう音色を強めているような気もしています。自分にとってはここまではっきり曲の中のイメージができていることも珍しい。
特に実家で弾くのが気が進まない、と感じていて、そのことをメインに書くつもりでいました。曲のイメージを書き始める前の段階では。
実家はかなり田舎の方で、家の周辺もお年寄りが多くて、人通りも少なく、静かで寂しい空気。冬は特に。そんななかで年末年始に帰った時に練習していたらなんだか申し訳ないような、いたたまれない気持ちになってしまったのでした。もう少し若いときには今ほどは深く考えず、ただ好きな曲として楽しんでいたのですが…。決して死を忌み嫌うつもりはないのに、我ながら少し不思議に感じるほどに、このところは気が引ける思いでした。
いつかは処分しないといけない実家やピアノへの愛着心でしょうか。2年前に父の死を経験して、そのうちくる母との別れも意識するようになりました。そして時間が経って、自分もまた死に近づいている。でもここにはまだ来ないでほしい、この場所を奪わないで、という思いがあるのかもしれない。(実際は手放すのに苦労するかもしれないような土地なのに…)
自分の頭の中にある曲のイメージを改めて文字として書いてみて、今の気持ちは少し変わりました。やっぱり最後に救いがあるから。そこを大事にすればいいのではないかな。ちゃんと大事にしたいものがある、生きた人間の世界にいることもしっかり感じたい。