ママたちの反逆-保育士による不当な扱いに立ち上がったママたち(中間)
保育士Aさんの様子が変わってきたのは、2-3ヶ月前くらいからだろうか。
まず、これまでは子どもを迎えにいくと、毎回ではないが、にこにこと今日あったことを話してくれたことがあったのだが、それがまったくなくなった。
小学校にあがる子たちが抜けて、下のクラスから3歳児があがってきていた時期だったから、その子たちにかまけていて余裕がないのだろう、と思ったが、うちの子とAさんが一緒に遊んでいるところを見なくなったのがちょっと気がかりだった。
次に、そんな中でも時折、私に話しかけてくるときがあったが、彼女の口からでる内容がネガティブなもののみになっていった。
他の子ができているこれがうちの子にはできない、もっとこれができるべきなのに、といったように、うちの子に対する要求が急に高くなったのだ。
確かに最終年度(来年からは小学生)になり、就学前という、これまでとは違う意識を持ち始めるべき年に入った、ということは理解できる。けれど、だからといって、急にこれができるべき、と言われても子どもは大人と違ってすぐに対応できるわけではない。
例えば、私は断乳にしてもおむつにしても、カレンダーを見せながら、2週間くらい前から毎日、最終日を予告する、という方法をとってきた。断乳のときは乳飲み子にこんなの通用するのかしら、と思いながらではあったが、意外や意外、予告通り、本当に予定の日に終わりを迎えることができた。
そもそもおっぱいにしろおむつにしろ、もういつやめてもいい時期ではあったから、子どももやめるきっかけを待っていたのかもしれなかった。
いずれにしても、これに限らず、子どもにだって子どもなりに心の準備って必要だろう、と私は思っている。
ところが、Aさんは急に、「ほら、あなたはもう来年学校なんだから、自分の荷物は自分で持ちなさい!」と言い始めた。彼女の言っていること自体は確かに正しい。自分のお弁当箱と水筒のはいったリュックサックくらい、就学前の子どもだったらもう自分で持てるはずだ。
でも、それだったら、私は頭ごなしに「~しなさい!」ではなく、子どもにちゃんと説明したい。「来年からは自分でランドセル(ドイツにも日本のランドセルみたいなカバンがある)を背負うのだから、その練習をそろそろ始めようね」と。
すぐにそれが受け入れられないなら、じゃあ、いつからだったらできる?来週からにしようか、と一緒に妥協点を見出したい。そろそろこういう話し合いができる年齢だし、命令をしても、逆に反抗的になられてしまうだけだ。
Aさんにとっては、おそらく、持ってあげてしまっている私への批判もあっての厳しい口調だったのだろうが、それも含めて何もかもが急でびっくりしてしまった。
その後も、Aさんは、うちの子のネガティブなことばかりを言ってくるようになった。
-決まった子としか遊ばない
-自分から発言をしない
-いつも受け身だ
-ゲームの話しかしない
-クリエイティブな遊びや発言がなくなった 等々
これが本当にうちの子のことを心配をして、ということならこちらも、Aさんと方針を合わせて子どもを改善へと導こう、と思えるが、なんだかいちゃもんをつけられているようなかんじだった。
例えば、「決まった子としか遊ばない」というのは、半分コロナのせいだ。保育園でも感染予防ということで一定時期、園内でも園庭でも、クラスの異なる子とは遊べなくなったときがあった。それまではどちらかといえば別のクラスに仲良しさんが多かったうちの子は、正直、そのときとてもかなしい思いをしたと思う。
だから、同じクラスに親友が見つかった時には、私はとてもうれしかった。その親友のママともすぐに仲良しになり、ロックダウンで保育園が閉鎖されてしまったときには、お互いに子どもを預け合ってなんとかやり過ごした。
今は保育園の園庭には仕切りがなくなり、別のクラスの子とも遊べるようになったが、だからといって私は子どもに、誰と遊べ、とか、親友とばかり遊んではダメ、とは言えない。
それに、私も感染リスクの少ない屋外で遊べる季節には、子どもを別の友だちと遊ばせるべく、別のママ友に声をかけたり、連絡先を交換したりして、保育園後に一緒に公園に行くなど、努力してきたつもりだ。ただ、それでもやはり親友と遊ぶのが一番楽しいようだった。
楽しいと感じられる子と遊びたいと思うのは当たり前のこと。そのことを責められても、子どもはもちろん、親の私としても、どうしたいいの?としか思えなかった。
「自分から発言をしない」「いつも受け身だ」という件については、正直、びっくりだった。確かに、「自分が、自分が!」というタイプではなく、赤ちゃんのころも、おもちゃは取るほうじゃなくて取られるほう、叩くほうではなくて叩かれるほうだった。でも、自宅でオンラインでうけている日本語補習校の授業では、どんどん手を挙げて、自分がさされないと癇癪をおこすくらい積極的だ。もちろん、家でママと一緒にいるときと、家以外の場所にいるときでは、同じ態度ではないのかもしれない。でも、だとしたら余計、家以外の場所でのことについては、私はどうすることもできない。Aさんがうちの子をどう導きたいのかわからないが、もし保育士としてうちの子に問題があると思うのなら、それを改善へと導くのは保育士としてのAさんの課題であって、私の課題ではない、と思う。私が母親としてうちの子を見ている限りにおいては、問題はないのだから。
「ゲームの話しかしない」は、実はここがAさんのいちゃもんのはじまりなのだと思っている。うちの子はパパの影響もあって、しばらく前からいわゆるコンピューターゲームデビューした。
実は私自身はゲームが好きではない。嫌いと言ってもいい。が、今の時代、ゲームなしというのは現実的ではないし、夫がゲームをきっかけに今の理系の職業に就いたという話を聞くと、確かに理系脳の発達促進の役に立つという意味合いも無きにしも非ず、、、戦略的な考え方を身につけることもできるかも、、、と思った。だから、週末だけ、あまりたくさんやりすぎないこと、ゲームをしたらお勉強もすること、を約束にOKした。
また、私はコロナのロックダウン中、保育園が3ヶ月も閉まっていた時期に、うちの子の気に入ったゲームのキャラクターを使って、思いつく限りの工作をした。粘土、小麦粉粘土、折り紙、塗り絵、トイレットべーパーの芯、レゴ、クッキーなどなど、、、。そして、保育園からコロナ禍の家での過ごし方について知らせてほしいといわれ、これら工作をしているうちの子の写真をふんだんに使って報告書を作成した。これが、どうも彼女の気に入らなかったようなのだ。
コンピューターゲームをさせていること&決まったキャラクターのみを使った遊びしかしていないこと=だからあの子は「クリエイティブな遊びや発言をしなくなった」のだわ、となったらしい。
でも、これは完全に誤解だ。
ゲームはやりすぎにならないよう、特に私は目を光らせているし、キャラクターをつかった工作も、私の教師ならではの考えがあってのことだ。つまり、私は、うちの子があるキャラクターにはまったことをきっかけに、一つのテーマを多角的に捉え、様々な手段をつかって深めていくことを伝えようと考えた。子どもが小さくて伝わっていなかったとしても、間違ったことをしたとは今でも思っていない。
それに、何かにはまったときは、(常識の範囲内で)とことんやったほうがいい。熱中できるものが見つかるというのはそれだけですばらしいことだからだ。子どものことだからいずれ飽きはくるだろう。でも、だったら余計、鉄は熱いうちに打て、だ。
ということで、Aさんの言っていることは内容的にあっている部分はあるかもしれないが、解決方法が明らかに間違っている。Aさんが気が付いたことがあるとして、それを親に伝えることは大事だ。親と保育士が子どもをどう導いていくか、一緒に方針を決めていくことも大事だ。けれど、保育士が自分の仕事を親に丸投げしてはならない。親はただ子どもを観察してもらうためだけに、保育園に預けているわけではない。
親にできない役割をそこに求めているのだ。
しばらくしてわかったことは、こう考えたのは私だけではなかったということだ。私の知らないところで、ママたちの反逆が始まっていた。