バイリンガル教育(1)~ドイツで実践中~
ドイツでドイツ人と結婚し、子どもを授かりました。国際結婚の夫婦の多くがそう考えるように、私も、子どもにはドイツ語と日本語の両方を身につけさせたいと思いました。
1.バイリンガル教育の理由
理由はいたってシンプル。
①私の事情
②子どもの将来のため
①私の事情としては、
単純に、私は自分の子と自分の母語で会話がしたい、というもの。
大学で初めてドイツ語に出会い、そこから勉強を始めた私にとっては、ドイツ語はいつまでたっても外国語です。言いたいことが言いたいように言えずに歯がゆい思いをしている言語で子どもとの日常を過ごすというのは、私には無理な気がしました。また、子どもに、私の日本の家族と日常会話程度のやりとりを普通にしてほしい、とも思いました。
②子どもの将来という意味では、
いつか、子どもが自分のルーツのようなものを考えるようになったとき、日本により強い興味をもつということがありうるのではないかと思いました。または、ドイツと日本を行き来している中で、ドイツは生きづらい、または日本により生きやすさを感じる、というときがくるかもしれません。その時に、楽に日本を選べるようにしておいてあげたいと思いました。
でも、バイリンガル教育ってどうやるんだろう?
ドイツ語はパパからと、保育園や学校に通うことで間違いなく身についていくはずだから、要するに、日本語をどうするか、どのくらいできるようになることを目標とするか、がうちの子に対する私の課題だなと思いました。そんなかんじで、手探りのバイリンガル教育がはじまりました。
2.母国語?母語?第一言語?
さて、ここで「母国語」、「母語」、「第一言語」という言葉の定義について考えてみたいと思います。
・母国語
まず「母国語」ですが、調べると、
①「自分の国の言語」
②「生まれ育った国の言語」
③「話者が国籍をもつ国の公用語」
というおおまかに3つの説明が見つかりました。
いずれも「国」がキーワードになっています。
はて、①「自分の国」ってなんだろう、、、。
ということで、②と③を先にみていくと、
例えば、私の子の場合、
②ドイツ語
③今のところドイツ語と日本語
になります。ふむ。どっちの意味をとるかで「母国語」の数が変わるって、それでいいのかな、、、。
ちなみに③でいうと、私の子が成人になり、もしも国籍の選択を迫られて(日本は二重国籍を原則認めていない)、ドイツを選んだとすると、その時点で日本語は彼の「母国語」じゃなくなるということでしょうか。なんだかおかしいな。
こうした矛盾が生じてしまう理由としては、日本において、
②「生まれ育った国」=日本
③「話者が国籍を持つ国」=日本
ゆえに①「自分の国」=日本
当然「母国語」=日本語
というのがたいてい成り立っていた、ということが挙げられます。けれど、私の子の例にあるように、生まれ育った国とその子の保持する国籍が一部しか一致しない、または世界的にみれば-またはおそらくは今や日本においても-、まったく一致しないケースが珍しくない今の時代においては、この「母国語」という言葉は、少なくとも今のような定義づけでは使い勝手の悪い言葉だといえます。
また、日本では、
「母国語」=「母語(幼少期に親などに話しかけられて自然に習得する言語)」
が成り立つケースがほとんどであるため、これらが混同して使用されている例がたくさんあります。「母語」というべきところで「母国語」が使われている、というのが最も多いようです。
ただし、世界的に見れば、国の公用語と母語が一致しない例は珍しくありません。よく挙げられる例としては、フィリピンです。フィリピンの公用語は英語とフィリピン語の2つですが、フィリピン人が母語として使用する言語は170以上あるそうです。そのため、母国語は英語とフィリピン語、母語はビサヤ語(セブ島で話されている言語)やイロンゴ語(ネグロス島)、ワライ語(レイテ島)、ということが珍しくありません。また、日本でも、アイヌ人にとって母国語は日本語でも、母語はアイヌ語です。このように、国と言語を結び付けて考えることは、無理があるといわざるをえません。
・母語
その点、「母語」は、すでに書いたように、
「幼少期に、いつもそばにいて話しかけてくれる人(一般的には両親)から自然に習得する言語」
ということで定義が統一されていて、シンプルです。
これに従えば、私の子どもの母語はドイツ語と日本語になります。これは、うちの子を見ている限り、納得です。今、これを書いている段階でうちの子は5歳ですが、本人の意識として、ドイツ語はパパの言葉、日本語はママの言葉で、その両方が自分の言葉、というのが定着しています。
この「自分の言葉である」という本人の意識は、母語と見なすための重要な前提ではないかと思います。
また、母語は複数でありうる、ことがわかります。
・第一言語
次に「第一言語」ですが、これは、
その人が「最も得意とする言語」のことをいいます。
日本では、母語=日本語、第一言語=日本語、ゆえに母語=第一言語と考える人が少なくないようです。確かに、私のように母語が1つ(日本語)で、最も得意とする言語がその母語(日本語)の場合、この公式は成り立ちます。
しかし、母語というのはすでにお話したように、複数でありえます。つまり、複数の母語を持つ人を、この母語=第一言語の公式に当てはめると、その母語すべてがその人にとって最も得意な言葉である、ということになります。が、これは無理があると言わざるを得ません。
確かに、世界には(母語に限らずとも)複数言語を完ぺきに操れる人がいます。けれど、こういう特出した才能を持った人はあくまで例外であり、通常、「最も得意な」言語というのは1つです。
複数の母語を持つ人は、そのうちのどれか1つが最も得意な言語=第一言語になることが多いので、その意味で、母語(のうちの1つ)=第一言語、はありでしょう。
しかし、母語のすべてが第一言語になることはまれですから、母語(のすべて)=第一言語は、ほぼ成り立たないということになります。つまり、この公式を使うには、脚注(カッコ書き)が必要だということです。
また、中には最も得意な言語が母語のいずれでもないという人もいます。というのは、「最も得意な言語」は、勉強をするときに使用する言語、つまり学校教育での教授言語によって形成されやすいからです。
例えば、私たちが今、仕事の都合などで英語圏に引っ越しをし、子どもが小学校1年から現地校に通って大学くらいまで進んだとすると、または引っ越さなくても、インターナショナルスクールなど英語が話されている学校に通えば、私の子の第一言語は英語になるでしょう。こういったことは国際的には決して珍しいことではないですし、日本においても不可能なことではないはずです。芸能人の家庭などではよくあるみたいですよね。そう考えると、やはり第一言語を母語とイコールとだけ捉えるのは無理があると言えます。
ということで、母語=第一言語ではなく、母語に関係なくその話者の最も得意とする言語を第一言語と理解することとします。
ちなみに私の子はドイツの保育園に通っていて、すでに独り言はほぼドイツ語、さらにドイツの公立の学校に通う予定なので、第一言語はドイツ語になる予定です。
3.定義の重要性
以上、面倒な定義をしてきましたが、バイリンガルやトリリンガルなど複数言語を習得する/させるためには、これら定義を一度、自分の子どもに当てはめて見定めておくことが重要だと思います。それは、親の覚悟にもつながるからです。
うちの子の場合はいたってシンプルなケースで、
母語=ドイツ語と日本語
第一言語=ドイツ語
なので、母語であり第一言語であるドイツ語をしっかり身につけることを第一に考えつつ、日本語をどこまでやるか、という点を模索していけばいいということになります。
今のご時世、英語も道を聞かれたら答えられるくらいにはできてほしいと思いますが、それは私には教えられないことなので(ドイツ語を学び始めてからすっかり英語は忘れてしまいました)、家庭でのトリリンガル教育はあきらめました。本人が興味があるなら、その時に本人に努力してもらうつもりです。
このように、ターゲットの言語とその位置づけがしっかりしていると、バイリンガル/トリインガル教育も取り掛かりやすくなります。
そして、そこからが、親と子どものたたかいのはじまりだ、と思います。
そんな日々のたたかいの様子を、これからここに綴っていきたいと思います。また、子どもの言語習得をめぐる、もっと複雑な国際結婚事情なども別の機会に紹介しますね。
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