ゴジラ観た日記
ゴジラ観てきた。僕のこと良くて2番手くらいに捉えているであろう友達と観てきた。
そいつとは共通の友達がいて、よく3人一緒に遊んでいた。その主軸になっていたツレは女のケツを追いかけて遠くに行ってしまったので、僕と彼は疎遠になるかと思われたが、案外よく声をかけてくれる。
そんな彼のことを、本文ではNと仮称したい。
Nは高校からの同級生である。滅多に会うことはなかったが、大学も同窓である。
Nは僕の友達をしているだけあってやや卑屈だが、それがちょうどよい落ち着きになっていて、案外サシで会っても苦にならない。
Nは2年ほど前に結婚した。社会人になりたての頃、まだ共通のツレが女のケツを追いかけ友情も思い出も故郷も捨て去る畜生の道に堕ちる前は、それこそ毎週金曜日にラーメンを食いに出かけて互いの傷を舐め合った。
何かの拍子に3人が集れない期間が出来た。2ヶ月か3ヶ月か、たしかそんなもんだったと思うが、これまた何かの拍子にラーメンを食いに行こうとなって再結集した折、Nに彼女が出来ていた。
驚くべきことにNは僕達と会わなかった2、3ヶ月の間に破局も経験していた。なんでも付き合った次の日に「なんか違う」とか言われたらしい。
話を聞いたときはそんなバカな話があるかと思ったものである。そしてあろうことかNは、その後1週間足らずで別れた女の友人と付き合い、紆余曲折あって結婚に至るのである。
「指輪から紫色のオーラが見える」
そう言うNの顔は、いつものように卑屈に笑っていた。
変わり者のNだが、本当に悪い奴ではないのだ。悪いのは僕の作文能力の方だ。
結婚してしばらくしてからNの家に行ったことがある。遠征のため夜行バスに乗るまでの時間に暇を持て余していたらウチに来いよと言うのである。
Nの妻は、Nの妻だけあってやや変わり者の印象だった。
それでも、突然友人を家に上げる夫も、買ってきたマクドナルドを広げて、ホラー映画を見出す友人も快く受け入れて「またおいでよ」と言うだけの器量を備えた人だった。
僕と友人が恐怖のあまり顔を覆うような場面でも眉一つ動かすことなく画面を眺める様に寒気すら覚えた話はあまり掘り下げないでおく。
そんなNから、また不意に連絡が来た「映画行こう」。
お目当ては今をときめく新作、ゴジラ−1.0である。
キャッチコピーは、「生きて、抗え」
ゴジラ、幼い頃から大好きなキャラクター、もはやスターである。
平成vsシリーズが最も馴染み深い。なかでも、その最終作ゴジラvsデストロイアは100回は観た。レンタルビデオ屋で借り過ぎて母から禁止令が出るくらい見た。
ゴジラは何度か企画が持ち上がっては終わったり再開したりで、ここ数年はわりと盛り上がっている方だと思う。
ハリウッドでシリーズ化もしている。怪獣の造形は、かなり好きだ。
国産は16年の作品が最新だったように思う。あれも面白かった。
そんなゴジラの最新作。僕は所詮にわかのファンだが、それでも期待と不安が入り混じる感情を携えて映画館に足を運んだ。
本作はゴジラ70周年記念作品という位置付けなだけあって、宣伝広告もかなりの力の入れようだ。残念ながら公開当日は叶わず、2週目の視聴となったが、その間も各所から聞こえて来る賞賛の嵐に期待は膨らむ一方だった。
僕はと言えば、主演の神木隆之介と浜辺美波がかつて好きな小説原作の映画で共演した際にえらくやらかしてくれたので、この2人の首から上が消し飛ぶくらいしてくれないと及第点はやらんぞ、と言う心意気だった。
映画は素晴らしかった。
ご存知だろうか、ゴジラは怪獣王の異名を持つ。その名の通り、基本的に作中では人類の敵として描かれる。沢山の作品たちの中には、ゴジラをヒーロー的な位置付けにしている物もあるが、僕が最も馴染み深い平成vsシリーズでも、ゴジラはやはり人類の敵として人々の前に立ちはだかった。
しかし、決して悪役、悪いヤツと言う印象を残さないのがゴジラである。僕の映画スターは、人類の傲慢さによって産み落とされた、強く恐ろしく、そして哀しみを持ったキャラクターだった。
正統派のゴジラを名乗る上で、この要素は欠かせないのだろう。彼が語られるとき、戦争も核兵器も外すことが出来ないものなのだ。
設定は作品によって微妙に違うのだが、基本的にゴジラは、“核実験に巻き込まれた古代の生物が巨大化したもの"として描かれる。
彼は人類の過ちの化身として街を壊す。戦争へのアンチテーゼなのだ。
本作はそう言った王道を行きつつ、初っ端から観客の度肝を抜きに来た。
歴代最恐の呼び声が高いGMKゴジラも、一際異彩を放つシンも霞んでしまうほど、今作のゴジラは怖かった。
強く恐ろしく、そしてかっこよかった。
観ていて思ったのだが、僕は途端挟まれる人間ドラマがさほど気にならないタチらしい。ようは怪獣が暴れてくれさえすればあとはどうでも良いのである。
本作では賞賛の嵐の中に少しばかり「ドラマパートが長い」と言う声があったが、僕はそこまで気にならなかった。
言われてみれば長かったように思うが、そんなもの帳消しにできるくらい、ゴジラがゴジラをしていた。
ネタバレに配慮しつつ満足な感想を書く筆力が僕にはないので、是非映画館で見て欲しい。心配せずとも、神木隆之介と浜辺美波の“首は“飛ばなかった。
鑑賞後、僕とNはしばらく俯いたまま、トボトボ映画館を後にした。
「めっちゃ良かったな」
心の底からそう思った。ゴジラのデザイン、描き方、特に結末が良かった。
Nの方はやや浮かない顔だ。映画は面白かったらしいが、曰く空想のメカが出てくる方が良い!とのこと。それもわかる。スーパーX III、かっこいいよな。
映画観たなって気がした。鑑賞後、明るい街に出る。もう陽も傾いていると言うのに、この街は明るい。
大阪然とした蛍光色のネオンを眺めて、そう言えば戦後も70数年だったなと思った。
僕は戦争を知らない世代だし、正直それについて深く考えようと言う人間性も持ち合わせていない。アレは人間の過ちなんかじゃなくて、習性、どうしようもないものなのではないかとさえ感じている。
生きて、抗え。そんな僕の脳裏にさえ、本作のキャッチコピーと並ぶゴジラの姿が強烈に焼き付いている。
この繁華街も昔は何にもなくて、やがて何かが出来て、そして全部瓦礫になったりしたのだろうか。
映画でも戦争からの復興が描かれていた。瓦礫の中で眠る主人公たちが、暮らしを始め、仕事を見つけ、家を建て、集まって飯を食う、営みになって行く様。
幼い頃はまず気にしていなかったであろうそんな場面を思い返すくらい、いつの間にか大人になっていたのか、はたまたドラマパートの出来が良かったのか。
大人になることへのささやかな抵抗として、答えは保留したい。これがたぶん、僕なりの「生きて、抗う」ことなのだと思いたい。
鑑賞後、Nの家に遊びに行った。最近、犬を飼い始めたらしい。
どこかで、誰かが瓦礫の山に埋もれている。同じとき、僕は友人の家で犬と戯れ、手料理をご馳走になり、くだらないテレビに笑っている。
劇中、ゴジラに蹂躙され、絶望し、ただ立ちすくむしかない人々と同じような状況が、今日もどこかにある。
生きて、抗う。生きて、争う。ゴジラは空想で、戦争は現実。
そんな思案をもたらしてくれた今回のゴジラは、強く恐ろしかったが、やはりそれでも、僕のヒーローである。
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