力不足と本気の関係
人生であと何回本気になれるかと思う。普段の生活や仕事に於いてその姿勢が求められる時には「真剣にやろう」とか「一生懸命にやろう」とかもちろん心がけている。けどふと、「あの時は本気だったな」と思い返す経験の中には大概、力不足を痛感しながら必死にもがいてやり通そうとしている自分がいる。
足りてない、思うように行かないからこそ、それを何とかしようとして必死に出来る限りの事をしようとする頭と体があって、そういう時には自分の100%の本気でのみ時間が動いているような気がする。その時の自分はそれを実感は出来ないのだけれど。実感する余裕は残っていないから。
そう考えると人は昨日より今日、今日より明日の方が何かしら経験という力が増えて行き知恵も付き、年を重ねるごとに何か不可能とも思えるような事に挑戦するということは減っていく。「力不足」から得る「本気」の状態が良いか悪いかは別として無くなっていく。
本気という言葉は結構頻繁に使われていると感じるけれど、対象が人の時は別として、人生でそうそう遭遇する状態ではないのかもしれない。
大切な人に対して、子供だったり親だったり好きな人に対しての時間はきっと常に本気状態なのだと思う。だから他の事で本気になるというのは本来、難しい事なのだと思うし、人に対して本気に生活出来ているとすれば、それだけでもう良いのかもしれない。