きらきらした文句
おじさんの口から出る文句にも種類がある。誰も食いつかない文句と、理由が気になる文句。
誰も食いつかない文句は終始「出来ていない」事を延々と口に出し、明日へと続きようのないフルストップの批判。いつも批判の先にあるのは自分が許容出来ない変化。
時代を担うのは次の世代なのだから、伝えて行かなくてはならない事は、柔軟性を失った発展性の無い姿ではなく、叡智に溢れた救済と牽引力に輝く姿であって欲しい。
一方、理由が気になる文句は簡単な是非から成るものじゃなくて様子や程度に対する意見。批判の先にあるのは自分の理念との違い。
先日遭遇した歳の差25歳の男性達の会話。彼らは芸術や建築、デザインについて議論を交わして来た間柄。
「前から気になっていた場所に今度行くんですよ。」
「どういう場所?」
「写真ありますよ、ほら、これ。」
「へえー、凄いねえ。」
「でしょ。」
「楽しんで来て。」
「また感想話しに来ますよ。」
「うん、また聞かせて、あっ、俺、この鏡は嫌いだなあ。」
「えっ? 何でですか?」
「鏡ってインスタントじゃん。」
「えっ? どういう意味ですか?」
この返しをした時の青年の目の色が良い色だった。知らないことを知りたいと思う脳の生命力を宿した感じというか、きらきらとした時間が流れた。
おじさんの文句も聞き捨てにされない事がある。あるべき姿だよなあと思ったそんな時間だった。
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