最近のストリートブランドに関して(シュプリーム編)
ストリートブランドについて語りたい。
私はファッションの志のある者なだけで、専門家や評論家ではない。
シュプリームを長く愛用していたか?って言われると、そうでもない。
ストリートファッションに入門してから長くもない。
しかし語りたいのだ。業界に長くついてたものでなくても、第三者の目からする評価もある。洋服にあまり興味のなかった時期の私がみていたシュプリームと、現在見えてくるシュプリームの印象はだいぶ差がある。
私の考えをまとめるという意味でも、軽く意見を述べさせていただきたい。
シュプリームとは
シュプリームを語るには、多数の商品を消費した経験ももちろん大事だが、そのブランドの歴史や歩みを確認することも大事であろう。
この投稿では、私のストリートブランドの教科書ともいえる本の内容をもとに、歴史を語っていく。
あいにく、ストリートブランドの始まりだとも呼べるスチューシーではなく、シュプリームを先に書くことになったっが、それはどうか見逃してほしい。
シュプリームの創業者はJames Jebbiaである。1994年、ニューヨークのマンハッタンで、小さな路地で始まった。
その場所はラファイエット・ストリート(以下ラファイエット)である。1990年代のラファイエットでは美術品や骨董品などを扱う店が多かったという。若者の通りも多く、商店というよりクラブハウスに近い雰囲気であったらしい。サーフィングの代わりに誕生したスケートボードがアメリカで流行し(特にマンハッタンでは近所に海がなく、サーフィングを簡単に楽しめなかったという空間的背景も存在する。)、シュプリームはボーダーのための場所と化していた。
シュプリームの創業者(以下ジェームス)は、創業時から独特なイデオロギーを設定した。変動性(variability)と開放性(openness)である。それは長年にわたってシュプリームの行動原則として位置し、ブランドの特徴としても残っている。
最初シュプリームはマルチショップ、いわゆるセレクトショップの形を採用していた。しかしシュプリームのTシャツやフードの人気が高くなることにつれ、他のブランドの販売を減らしていった。クォリティが低いという意見もあったが、スケーターが求めていたのは洋服の丈夫さではなく、彼らのカルチャーを共有できる印であったため、そこまで問題はなかったという。
スケーターの支持をもとに成長し、破格的なデザインとさまざまなコラボレーションを通して、シュプリームはアメリカとストリートカルチャーを代表するブランドと成長している。
しかしシュプリーム、果たして今のままでいいのだろうか。
ここからは資料頼りではなく、素人の私が書く文章になる。
ズバリいうと、マンネリ化しているのではないだろうか。
ブランドのマンネリ化は必ずやってくる。「シュプリーム、いつも同じやんけ!」っていう意見は昔から確かにあった。
長年言われたからと無視していい要素ではないだろう。
帽子なども、昔なら秒で売れるデザインも最近では売れなくなった。新しいデザインが出るとすぐ売れるが、カラーによっては売れるまで時間がかかる。本当に売れているかどうかも怪しい時もある。
帽子だけではないことは理解してもらいたい。
また、その理由が、シュプリームのデザイナーの実力不足にあると言いたいわけでもない。リセール市場、いわゆる転売市場の縮小、競合ブランドの成長、消費者の認識変化、さまざまな業界内外の問題がありうる。
それにしても、特色がなくなっているのも感じられる。
私は洋服を買うときに、「このデザインが、このブランドじゃなくても買うのか」よく意識する。だからこそブランドにこだわらず購入できる古着をよくきるが、、
例えば24FWに発売してウールスーツセットアップ。シュプリームじゃなかったら買うのか、それでもない。
特別なディテールがあるのかをみても、それでもない。
時代が変わった分、いいクォリティーを求めてくる消費者は増えるし、スケートボードカルチャに対する理解がない消費者も増えてくる。昔みたいな、情頼りになってはいけないのだ。
攻撃的で、業界をリードするような破格的なディテール、デザイン、クォリティーを見せて欲しい。
しかし、zooYorkのように、大企業がファッションブランドを買収し、利益追求を目的に運営する場合生じる問題点も明らかである。
スケーター文化を理解し、リードしてきたシュプリームなら、解決策が自身の中にあると考えられる。初心に戻って、スケーター文化をリードする姿を見せてほしいと考えている。
でも正直に、一番の問題は消費者の認識であるとは思っているが、この話はいつかまた長く語らせていただきたい。
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