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「痛いの痛いの」は飛ばせるか。
ワールドカップが終わった。
クラブではリヴァプールが好きで,サッカーを見る機会はそれなりに多い。
年始は高校サッカーも毎年見ている。
あまりJリーグは見ない。
ワールドカップはアルゼンチン代表の優勝に終わった。
決勝戦は素晴らしい試合で,両チームのエースが大活躍だった。
とても見ごたえのある試合で,メッシが有終の美を飾れて良かったと思う。
次回からはレギュレーションも変わるようなので,最近よく聞く「新時代」がまた始まると思うと楽しみだ。
サッカーの試合はそんなこんなで満足だったのだが,ワールドカップを見ていると,だんだんと身体がカタール時間に合ってくる。
日中はなかなかつらいのだが,明け方に目が自然と覚めるようになってきている(ここから戻っていくだろうが)。
身体そのものは日本にあるものの,その感覚はカタールに飛んで行ってしまったようだ。
この不思議な感覚を味わえたのもカタールワールドカップのおもしろさだった。
いや,なんのことはなく,身も心も日本にいて,ただテレビで遅くまで(明け方まで)サッカーを見ていたと考えることもできるし,それが普通だろう。
だが完全に個人的に,認識で遊ぶのは好きなので,これもただの遊びである。
日本時間で朝4時からキックオフの試合も多かった。
それを見ていると,自然とその時間に起きているように身体の方が慣れてくる。
いつもの日常の風景の中で,テレビだけがカタールを映している。
目はテレビに映るカタールを見ている。
身体そのものは日本の自分の部屋にいる。
感覚はカタールの方に臨場感を感じている。
カタールの方に臨場感を感じているから,感情が動く。
傍から見ればテレビ画面を見ているだけの人なのに,なにやらその人は頭を抱えたり,立ち上がったりしている。
奇妙な光景である。
試合が終わってテレビを消して,完全に日常に戻る。
あれは何だったのだろうと頭の隅では思いつつも,強烈な眠気に身を委ねる。
次の日も,4時から試合があることが分かっている。
楽しみにしている自分がいる。
「楽しみにしている」とわかるのは,感情が昂ぶるからである。
行動が4時のキックオフに無意識に合ってくる。
いつのまにか,思考もキックオフに合わせるように動き始めている。
無事,4時のキックオフを迎える。
このように観察していると,以前に書いた「脳は自分のものではない気がする」というようなものに現実味が感じられてくる。
今回の場合は,思考は自分のものではなさそうということである。
なぜって,それはこうやって客観的に観察できるからだ。
思考とイコールにして良いかはわからないが,ということは自分の言葉も自分のものではない。
同様に感情もそうである。
だから電気信号として客観的に説明がつくようになる。
(だからといって無責任が許されるわけではない。社会が許してくれない)
この辺りまで来ると拒否反応を示す方もいそうなので,読むのをやめてもらって良い。
じゃあ自分が思考していないなら,誰が思考しているのだという話になるが,この線で行くと,「思考が思考している」と考えるのが自然になる。
だから思考回路は変えられる。
(洗脳は良くないとここで言っておく)
「自分が一番わからない」というが,それは当たり前であった。
その辺の消しゴムを見て自分がわかるのかという話である。
(「私はゴムだった。しかも消せる」と悟るのも悪くないかもしれない)
しかしこのままだと,「自分」というものはないことになってしまうが,それでいいだろうか。
思考し,五感で感じているものが自分ではないと仮定した場合である。
思考が思考し,感覚器官が感じている。以上。おしまい。ありがとう。
わからない以上は,これ以上考えても仕方がないので,何か閃くのを待つ。
これでは人生全然楽しくないじゃないかとも言われそうだが,思考回路は外から変えられるので,楽しむ回路を組めば良いだけである。
同様に,つらく感じる作業は,「つらい」という感情を流してしまえば良いことになる。
まずは「つらい」を見つける。(あ,「つらみ」だ)
「つらい」を客観的に見る。(あ,「つらみ」が浮かんでる)
「つらい」をどかす。(「つらみ」さようなら!)
無。
書いてみて,構造的に「痛いの痛いの飛んでいけ」と変わらないような気もする。
大人には効かないかもしれないが,こうして考えてみると,精神を物質として扱うようなものなので,慣れれば案外いけるかもしれないとも思っている。
これまで以上に人生を楽しむこともできそうだ。
ワールドカップが終わり,「楽しみ」が飛んで行ってしまった空虚感の埋め方の方を教えてほしい。
(写真は秋の山梨。更新ができておらず,季節外れの紅葉。人生に彩りを付けるも付けないも自分次第)