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変化ときっかけ。映画「HOKUSAI」(前半)から
WOWOWで,映画「HOKUSAI」を見た。
美術に詳しいわけでもなく,絵を頻繁に見るわけでもないが,この映画は葛飾北斎の絵師としての生涯を上手く描いていて,とてもおもしろかった。
以下,ネタバレを含むので,これから見るという方は注意してもらいたい。
前半は,北斎が絵師として内面に目を向けられるまでの話。
蔦屋重三郎や歌麿,写楽といった人々に出会い,徐々に表面的なところを描くだけの人物から,内面を描ける人物へと成長していく。
北斎が絵がうまいことはもちろんなのだが,人の心を打つものではないということを指摘される。
その理由がどうしてもわからない北斎は,周りに当たり散らすしかできない。
途方もない歯がゆさのようなものが伝わって,柳楽優弥の演技が素晴らしかった。
中でも写楽との出会いは強烈だった。
写楽は北斎に「道楽で描いている」と言い放つ。
写楽はその言葉に対して,「道楽で絵が描けるか!」と激怒する。
写楽は「心のままに絵を描いている」と言うのだが,北斎はなかなかそれが理解できない。
シーンが変わり,北斎は自然の中にいる。
森の中に一人たたずみ,火の前で筆を見つめて涙する。
気づけば眠っていた。
心のままに海へと向かう。
海の中に入っていって,気づけば海に一人浮かんでいる。
そして心のままに筆を走らせ,とうとう北斎は波の絵を完成させた。
それが死を前にした重三郎の胸を打った。
「お前,やっと化けたな」
のセリフが第1章の締めくくりだろう。
北斎の青年期の前半部は,彼が人・物の内面を見る目を育てていくストーリー展開になっている。
表面を見る観察力と,それを絵として描く才能は天才的である。
それだけでも「きれいな絵」として価値が出るだろうが,重三郎がそれを許さない。
そこで北斎に新たな気づきを与えている。
心の向くままに動くことで,北斎は物の内部に入っていく。
思えば,歌麿は女性の内部に入り込んでいた。
森の中に,火の中に,海の中に入っていく。
そうすることで,表面から内面へと自分自身が入っていけることに気づいたのだろうと思う。
内面に起きる変化そのものを見てもおもしろいが,変化のきっかけを与えてくれる他者の存在もおもしろい。
人は気づかぬうちに行動や思考が徐々にパターン化されていく。
むしろこのパターンがないと,日常生活はどんどん送りにくくなっていく。
自分が一週間で歩いた道を,抽象的に線で表してみたとしたら,おそらくほぼ同じ軌跡となるだろうと思う。
行動の前に思考や意識があるとすれば,思考・意識のパターンが大体一定だということである。
それは習慣と呼ばれるもので,習慣となればほとんど無意識になされている。
無意識になされているのだから,本人が気づかないのも当然である。
だから基本的に,変化のきっかけをくれるのは他者となる。
これは何も人でなくても,自分以外であれば何でも良い。
すべてが変化のきっかけとなりうる。
他者が尊いのはこのためである。
変わることが良いということを言っているわけではなく,気づきをくれるのが他者だということだ。
そしてどっぷりと浸かってみる。
人であれ物であれ,他者と出会って心が動くときは,対象を客観的に観察するのではなく,中へ入っていく。
表面をなぞるのではなく,それを受け入れて遊んでみる。
心の赴くままにそうすることで,気づくと自分が変わっている。
なぜ変わったのか,どうやって変わったのかは,後付けになる。
因果関係はいつでも後から付け足されていく。
変化の最中は,本人にとっては無心なのではないだろうか。
北斎は様々な人々と出会い,心が動き,変化していく。
それが結晶となって,結果として人々の心も動かす作品を生み出した。
前半部分にしか言及していないが,非常に内容の濃い映画で,ぜひ多くの人に見てほしい作品だ。
(写真はカエルを捕まえて紅葉した葉っぱの上に乗せたズルの写真。)