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タイムマシンは実現するか?
「タイムマシンは発明できると思いますか?」
授業の流れから、生徒からこんな質問を受けた。純粋な質問である。
工学的に専門的なことはよくわからないので、はっきりと「わからない」と答えた。
生徒の反応はやや残念そうだったので、一言、「過去とか未来って何だろう?」と問いかけだけしておいた。
個人的では、いわゆる身体が粒子となってタイムラインを移動する…というようなタイムマシンが発明されるかどうかは、あまり関心がなくなった。
というのは、意識を活用することで、「すでにタイムマシンに乗っている」ともいえるからだ。
たとえば、今私はこうしてnoteを書いている。意識は現在に集中している。
一方で、少し前には、生徒から受けた質問について思い出していた。その瞬間は意識は過去にいっている。
あるいは、明日のお昼は何にしようと考える。意識は未来に移動している。
授業をしていると、心ここにあらずといった表情をしている生徒を見かける。彼/彼女の意識が「今・ここ」にあるとはどうしても思えない。
身体だけ見れば「今・ここ」にいるのは明らかだが。
あるいは、例えばあなたが自分にとって好ましい人に出会ったとする。憧れて、「その人のようになりたい」と思ったとする。
そうすると、あなたはきっと、その人になれるように動き出すかもしれない。行動や習慣,考え方を、その人に近づけていくかもしれない。
そうすると、将来はあなたの中にきっと、その憧れの人物の要素が少なからず入っていることになるだろう。
そうすると、その人物は、「未来のあなた」だと言えないだろうか。
完全にその人になりきれないのは、他にも憧れの人やキャラクター、好ましい物がいるからだ。
周囲から多くの影響を受けて過ごしているので、完全に同一人物に成りきることはない。
しかし、近づこうとすればするほど、たしかにその人物に似てくる。
逆に、好ましくない人物や物に出会ったとすれば、あなたはきっと「そうはならないようにしよう」と思うだろう。いわゆる反面教師だ。
この場合、過去の自分の要素を見ている可能性が高い。やや複雑だが。
「前向きは未来、後ろ向きは過去」
と考えてもいいだろう。
このように考えると、私たちはすでにタイムマシンに乗って、日々タイムラインを目まぐるしく移動していることになる。
もしかしたら、なりたい自分になる近道は、自分にとって好ましいものに触れている時間を増やすことかもしれない。
そしてそれを意識しないぐらい自分にとって「当たり前」になったとき、タイムマシンに乗って望む未来にたどり着いたと言えるのかもしれない。
そうすると、今に意識を戻したとき、「次はどこに行こう?」と自分でこの先を選択できることに気がつく。
人生は旅である。
生徒が時間についてどのように思考を巡らせるのかは密かな楽しみである。
どうか、時間をかけて考え抜いてほしい。