『もっと出来る事』~難聴者の心~
(前頁 ~『夢を追う』) ※難聴者さんインタビュー⑦
インタビューを進めるうちに、GenGenさんが難聴で、そもそも「難聴の事を教えて欲しい」という主旨で取材をお願いした事を忘れてしまうが、不意に「それは難聴者さんにしか解らない心なんだろうな」とリアル (現実) に引き戻されるシーンもあった。
明るい夢や希望を持ったGenGenさんの声が、ふと小さくなる時があるのが気になった。
活動中の、KABA.ちゃんさん率いる「THAT'S WHY!! 」でも「迷惑をかけない事」が今の自分の課題であり、自分がいる事で「THAT'S WHY!! 」がもっと認められるようになりたいと願っている。
自分をどんどん発信して行きたいが「有名になるにはまだ早い」という。
それが「プロのダンサー」としての事や、「自身の課題」であるなら、そう考えるのも自然だと思うが、「あれ?」と感じる事もあった。
これは直接会って話を聞いた私個人の印象だが、
GenGenさんには「そこは自分にGoを出していいのでは?」と思うようなトコロで、ちょっと「遠慮」をしているような、「自分に厳しいだけ」ではない何かがあるように感じた。
その根っこは
「聴こえない事で周囲の人に迷惑をかけてしまう」 「聴こえなくてすみません」 「足を引っ張らないようにします」
といった類の「難聴者にしか解らない心」なのではないか。
傍から見ると「そこはもっと堂々としていいのに!」といったトコロで一歩引くようなこの感覚は、健聴である私には解らないかもしれない。GenGenさんも多分、無意識なのだろうと思う。
もっと出来る事
聴こえない事で、具体的にどんな迷惑をかけるのかを訊いた。
難聴者と一緒に何かをする側も大変なのだろう。GenGenさんにはそれを申し訳なく思う気持ちがある。妥協の許されないエンターテイメントの世界で、メンバーの理解があってこそ、GenGenさんはダンスが出来る。
これまで他のダンス活動でも「ちょっと遅れる、ズレてる」と言われる事があった。周囲は「聴こえ」に関係なく「もっと出来るハズ」という完成度を求める。
「健聴者と同じかそれ以上のレベル」に自分を持っていく為に、「難聴をイイワケには出来ない、まだ努力をしないと、もっと練習をしないと」となる。
他の人生や、聴こえない事を前提に「難聴者として生きる選択」もあるのだろうが、GenGenさんは自分で選んだ道に対して「難聴であること」に甘えない。
人より努力して当たり前、どこまでやっても「まだ健聴者に追いつかない」 「もっと出来る事があるのでは」、といった感覚を持っているかのように私には思えた。
「抜くところは抜いて、楽しんでやって行く」というGenGenさんが、自分が満足できるところに到達してくれたらいいな、と願う。
「健聴者が歩み寄るのか、難聴者が歩み寄るのか」
どちらがどこまで歩み寄るのがイイのか、私にはわからない。
ダンス界など一部の世界だけかもしれないが、こうして「生まれ持った個性」を努力でカバーしようとする人もいて、どちらがイイという話でもないと思った。
ただ一つ「難聴」に限った話ではなく、GenGenさんが体験したように、目の前でバッサリと受験票を突き返すような、可能性の入口を閉じるような事は無くなるといい、とは思った。
現在の「障害者雇用促進法」による企業の障害者法定雇用率は2.2% (つまり従業員45人以上の企業は、1人以上の障害者を雇用する) 。2021年3月からは2.3%に。この先も上がっていくだろう。
迎える側の課題を訊いていないので理想論かもしれないが、こうした動きに合わせてフリーな部分の多いエンタメ業界も間口を広げたら、やる方も見る方もより楽しい世界を作れるかもしれない。
障害者手帳に値する事に限らず、身長、体格などの個性で、やりたい事と出来る事が一致しないといった「合う合わない」は誰にでもある。でも「難聴のGenGenさん」はダンスが出来る。
GenGenさんの「自分にも出来ると見せて行きたい」という思いはきっと、色々な個性を持つ人の勇気になる。
アンダーグランド系ではなく、目に留まりやすいエンターティナー系でやって行きたいというのも、そうした思いがあっての事だろう。
GenGenさんのような人を知る事で「生まれ持った個性」を起因としたイジメや偏見もなくなって欲しい。それぞれ少しずつ様々なマイノリティを持つ誰もが、お互いに理解しようとする世の中になって欲しい、と思った。
~次頁『僕らに出来る事』
Interviews and Contributions(取材・寄稿)
yuka (BeOneプロジェクト代表)
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