障害?障碍?障がい?小5の思う「しょうがい」とは
【コラム/参加者さんご紹介】
BeOne手話歌の第1期に参加してくれた子の中に(当時小5)
障がいを持つ妹と一緒に参加してくれた子がいました。
妹と一緒にBeOne手話歌に参加した事を、とても喜んでくれたのが嬉しかったです。
この子も歌が上手いけど、妹さんの歌が大好きだそうです。
手話歌とは関係ありませんが、このコミュニティでは「バリアフリー」も一つのテーマなのでご紹介させてください。
この企画には色々な方が参加してくれていて、色んな事に気づかされます。
どう思うかは人それぞれかと思いますが、小5のイチ意見として紹介させて頂きます。
この作文も、いつか紹介したいと思いながら、このタイミングになってしまいました。
共有の許可を頂きましたのでよろしければご一読ください♪
※個人名等はブラインドとさせて頂きました。
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「共に生きる社会を目指して」
みなさんは、今「障害」ということばを、「障がい」「障碍」と書きかえる動きが様々なところで進んでいることを知っていますか。
わたしは、新聞を読み、「障害」の「害」の字を不快に思う人がいるということを初めて知りました。では、なぜ「害」の字はふかいに思われるのでしょうか。
辞典で調べてみると、「害」という漢字の意味は、災害、殺害などの言葉があるように「きずつける」という意味や「要害」のように「さまたげる」の意味で使われることもあるそうです。そのような意味があるので不快に思われるようです。そうであれば、わたしは、「害」の字をひらがなにして「障がい」と書けばよいと思います。兵庫県宝づか市は、今年度から、市役所の公的な文章などで、「障碍」という文字を使い始めたそうです。しかし、漢和辞典編集者の円満字さんによると、「意味は「碍」も「害」もほぼ同じ」だそうです。それならば、わたしは「害」を「碍」に書きかえても意味がないと思いました。
しかし、新聞を読み進めると円満字さんの言葉でわたしの考えは変わっていきました。その言葉とは、「ひらがなにしたからといって、さべついしきがなくなるわけではない。」というものです。「障がい」と書いたからといって、障がい者の生きるかん境の改ぜんという大切な問題は解決しないのだと思いました。さらに、障がいのある子もない子もいっしょに過ごすキャンプに、小学四年生の時から毎年参加している中学一年生の〇〇さんは、「ふつうに仲良くできるわたしたちなのに、どうして片方は社会からじゃまな存在と見られなければいけないのか。」といきどおりを感じたそうです。〇〇さんの経験を通して、共に生きる社会、共生社会をつくることができれば、表記の仕方は問題なくなるのではないだろうかと考えるようになりました。わたしは、差別意識が少しでもなくなる社会を目指していきたいです。
わたしには、障がいをかかえた妹がいます。特別支えん学校で友達と共に楽しい学校生活を送っています。妹は地域のイベントや防災キャンプなどに毎年参加していますが、たまに上手くいかないことがあると、大声を出してしまったり、あばれ回ったりして、いろいろめいわくをかけてしまいます。時には、いやな目で見られてしまうことがあり、妹もわたしもいやな思いをすることがあります。
しかし、わたしはそんな妹がいるからこそ毎日の生活がとても楽しくなりました。特にわたしが毎日楽しみにしていることは、妹の歌です。妹の歌は、いつもねる前にとなりの部屋から聞こえてきます。高くきれいな歌声は、わたしの心を気持ちよくしてくれ、気が付いたらいつもねてしまっているほどです。わたしは、妹に支えられているのです。
また、わたしは四年生の時に総合的な学習の時間で、パラスポーツについて調べました。どのパラスポーツにも共通していることは、「障がいのある人も活やくできる」ということです。実際に競技を見ると、一生けん命がんばっている姿がとてもかっこよく、パラアスリートから、何事にも一生けん命がんばろうという元気をもらいました。いろいろな人にパラスポーツのみ力を伝えることで、2020年東京パラリンピックを盛り上げ、おん返しをしたいです。
こうしてふり返ると、わたしは障がいのある人に支えられていることに改めて気付かされました。決してじゃまなそん在ではありません。だからこそ、わたしも障がいのある人を必要な場面で支えたり、時には支え合ったり、みとめ合ったりして共に生きる社会、共生社会をつくっていきたいです。そして「障がい」の表記が問題にならない社会になってほしいと思っています。
2019年「朝日小学生新聞」
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