見出し画像

子供の妄想?! ~てん子の上京物語~



私が上京した時代は…

私が上京したのは、今から20数年前のことです。当時、PHSが普及し始め、携帯電話が徐々に広まっていましたが、まだインターネットはそれほど浸透しておらず、YouTubeやAmazonも存在しませんでした。歌手では、宇多田ヒカルさんが流行していた時代です。

上京の理由は、子供の妄想?!

私が上京した理由は単純で、「北海道から出たい」という思いからでした。しかし、子供ながらに「北海道の学校に進学したら、一生北海道から出られない」と本気で思い込んでいたのです。

その結果、母親と大喧嘩し、一人娘を手元に置いておきたい母を振り切って、上京することになりました。

子供の妄想だったことに気づいた瞬間💦

それから20数年後、私が「行きたくない」と思っていた大学の出身者とネパールで出会いました。その方は非常に自立した女性で、普通にネパールに赴任して仕事をしています。

この出会いから、私が抱いていた「北海道の学校に進学したら、一生北海道から出られない」というのは、ただの子供の妄想に過ぎなかったと気づかされました。その学校を出ても、世界を舞台に活躍することができるのです(笑)。

継父の助けと母との和解

まぁ、実際にはただの子供の妄想で、大学がどこであっても大きな違いはなかったのですが、母親から独立するために思い切って上京したことは、今では良かったと思っています。

そして、その背中を押してくれたのが私の継父でした。

母と大喧嘩した後、継父が私の部屋に来て、「お前の気持ちはわかるけど、母さん、泣いてたぞ」とだけ言い残して去っていきました。私も言い過ぎたと感じていたので、後味の悪さが残りました。

翌朝、母が突然「あなたの好きなように生きなさい。ただし、嫌になって帰ってきても知らないけどね」と言い出し、なぜか私の進路を認めてくれたのです。後になって知ったのですが、継父がその夜、母に「てん子の好きな人生を歩ませないと後悔することになる。子供の旅立ちを邪魔してはいけない」と説得してくれていたのです。

感謝と現在の継父への思い

今、私は継父のおかげで自分の好きなことをさせてもらっています。感謝してもしきれません。なんなら、東京どころかネパールまで来てしまいました💦

継父は今でも、私が実家に帰ると歓迎してくれます。自分で言うのも何ですが、私のことを可愛がってくれていて、異国の地で働く私を気にかけてくれています。

思春期の娘と40代の母親だけの家では、解決できなかったわだかまりを、異性の継父だったから、なんとなく解決できたのかなぁ…なんて今なら思います。

40歳を過ぎても勝手なことをしている私ですが、たまには継父に親孝行しなければ、と思っています。

今回の”てん子語録”

  1. 上京の背景: 20数年前、PHSが普及し始めた時代に、ただ「北海道から出たい」という気持ちだけで上京を決めたんです。

  2. 母親との葛藤: 「北海道の学校に進学したら、一生出られない」という子供の妄想を真に受けて、母と衝突しましたが、継父の支えで上京することができました。

  3. 気づきと継父への感謝: ネパールでの出会いから、「一生出られない」なんてただの思い込みだったと気づきました。今、私がこうして好きなことをしていられるのは、継父のおかげだと心から感謝しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?