まあまあ・・・の役割

夫婦というのは色々な形があり、その距離感も様々だと思います。
高齢の夫婦が一緒にいる姿が、はたから見ていて微笑ましくみえるのは、
夫婦としての歴史がそうさせるのでしょうか。

でも実際の日々の生活は、そんなドラマでもないわけで、
父と母のやりとりは、私や弟からみれば、
「ああ、はいはい」
と、スルーしてしまうことは多々あります。
二人とも、お互いがいない時に私にこっそり耳打ちする時の顔といったら!
「お父さんったら、こうでああで・・・」
「まあ、お母さんは、かくかくしかじか・・・」
私も立派におばさんの域ですが、
歳をとっても親の前では子供。
間に入って、『まあまあ・・・(;^_^A 』とするのが役目です。

毎日家でずっと一緒にいるというのは、
どれだけ年季が入った夫婦とはいえ、多かれ少なかれストレスがかかること。
当事者の両親と違い、私たちは第3者として見ていられるので、
こうして日々小さなケンカやちょっとした言い争いをしていることが
後になりぐっと寂しくなるのを想像すると、
今は二人が少しでも穏やかな気分で過ごせるよう、
そして二人が悔いのない日々を送れるよう
『まあまあ・・・(;^_^A』の役割に徹します。

この『まあまあ・・・(;^_^A』の意識や心の状態は、
ケセラセラにも似てるでしょうか。

当事者がみえなくなっている方向性を、
穏やかに導いていく。
介護だけでなく、人生の迷い時や低調な時にも
いえ、普段の生活の中に、こういう役割の人がいると、
かなり救われます。

その時々で、誰がその役割になるか。
誰かその役割がいるか。

そういう目線でみえてくると、
問題解決の糸口もみえてくるかもしれませんね。

ではまた。未央奈でした。


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