
相手を理解しようとする気持ち
次女は現在小学1年生。
毎朝、私は次女を起こそう、ご飯を食べさせ学校に行く準備をさせようと奮闘。
しかしながら、次女の行動はなかなか布団から出てこず、やっと椅子に座ったと思いきや、座りながら寝るという所存。起こすと機嫌が悪くなり、学校への準備がおくれ、家を出る時間がいつもギリギリなんです。
これまで私は次女が ”あまのじゃく” なんだと思っていました。私がそう思うことで自分の落ち度を何とか繕っていたのかもしれません。
そう思うキッカケを与えてくれたのはダンナとの散歩道でした。
私は毎朝の次女との格闘をダンナに話しながら、ふと気づいたのです。
ダンナが次女に話しかけると、なぜだか次女はすんなり行動にうつすことに、、、、。まるでオセロの裏表のようなんです。
私は次女のできない部分ばかりに目が行っていたように、、、、
ダンナはそれとは正反対の声かけをしていたように思えます。
これは何かの気づきになっている、そう私は確信しました。
相手の言い分を聞かずして、自分の事を聞いてなんて、よく考えれば虫のいい話です。相手の粗さがしより、理解が大事だと気づきました。
そういえば、アドラー心理学の本で読んだことがあります。
”ダメ出しより、ヨイ出し”
ヨイ部分もダメな部分も人間あるんだから、そこを認め、これからも成長していけたらいいと私自身にも『伸びしろ』があることに気づけるヨイ機会でした。
次女との関係性をよいものにできるように、ははも変わらねばっ!!!
I can do it !!(やれば、できる!!)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。