文法処理の脳内メカニズム!
こんばんは~。熱すぎる!
暑すぎるというか、熱い。
さて、今日のテーマは文法処理の脳内メカニズムです。
てか、最近暇すぎる。マジでyoutube見て、本読んで、ブログ読むくらいのことしかしてない。
結論から言うと、文法処理には「同時的・空間的に総合」する働きが関係しています。
どういうことかというと、僕らは文章を読んだ時に、無意識のうちに「主語」「述語」などを空間的に組み立てて、論理的図式にまとめ上げる能力があるのです。
僕もこれを読んだところでパッとはしていません。でも、面白くないですか?
目には見えないけど、中学の時の国語の授業でやったような、あのまとめの図式が頭の中には浮かんでいるのです(文章レベル)。
たとえ、それが1文であったとしても、なんとなく頭の中にイメージがあるのです(文レベル)。
言語の不思議は、可視化できない所にあると思います。
例えば、前回やった「だから」や「しかし」を目で見ることは出来ません。もちろん、聴覚でも触覚でも知覚できません。
そこで、僕はこれを「内受容感覚なのではないか」としました。要するに、身体の内側からふつふつと生じてくる感情や気分、血液のながれや心拍数などのことです。
僕らの目には2Dのものしか映りません。
立体視というのも、2Dの重なりにすぎませんからね。
実際問題、数学の立体図形の問題を解くときは、テスト用紙を(心的または物理的な方法で)クルクル回しながら、どうにか平面、すなわち2Dを切り出せないかと頭を悩ませるはずです。
しかし、僕らは道を覚えられますし、形を覚えられます。
可視化されないものでも、脳内では何かしらの形で記憶していくのです。
言語でもそうなのではないでしょうか。
僕らは数学の問題を解くときに、3次元ベクトルまでしか絵で示せません。しかし、実際問題、4次元ベクトルも5次元ベクトルもあるじゃないですか。
そして、理学部数学科の人は熟練していけばそれを了解するわけです。
この概念処理をどう遂行しているか。やはり、4次元以上の空間を処理するだけの頭の機能があるのではないかと考えます。
これを2次元に落とし込んで、黒板にまとめていく現代文の授業。
――もうちょっと聞いておけばよかったと後悔してしまいます。
まるで数学の立体問題と同じではないかと。今はそう思います。